シューターのブログ

迷える若者 〜今の若者がコミュニティを求める理由は歴史を見ればわかる〜

 

近代とは

いきなりですが、「近代とはいつでしょうか?」と問われたらあなたは答えられますか?僕は今まで答えられませんでした。しかし、一つの近代の定義の仕方を知りました。そのきっかけはピースボート、いや正確にはピースボートについて批評した本、『希望難民ご一行様』(著:古市憲寿/本田由紀)を読んだという些細なことです。僕は今、大阪でボランティアという形でピースボートのポスターをお店に貼りまわり、微力ながら貢献ピースボートに貢献させてもらっています。そんなピースボート、面白い貢献の仕方をしているなと個人的に思います。で本題に戻りますと、近代の定義、あくまでもこれは社会学上の定義だそうですが、

「生まれた場所や身分に関係なく誰もが競争に参加して、成功を夢見ることのできる社会」

です。

これは一体どういうことのなのか、江戸時代から見ていくと納得できます。

 

江戸時代から戦後まで

前近代にあたる江戸時代は、生まれた場所によって一生が決まるという特徴がありました。基本は、農民の子は農民、商人の子は商人、武士の子は武士になるというのが当たり前の流れでした。ところが明治時代以降になると、それまでの宗教や身分から人々が解放され、自由になり、多くの人が競争に参加でき、富を地位を目指すことができるようになりました。言い換えると、近代の定義、

「生まれた場所や身分に関係なく誰もが競争に参加して、成功を夢見ることのできる社会」

になります。しかし、ここでもう一つ近代の定義があります。それは、

「みんなが一つの目標に向かって夢を追えた」

という定義です。これがどういうことかというと、明治時代になってから、人々は身分などの旧来のシステムから「自由」にはならなかったが、バラバラにはなりませんでした。身分から解放されても、人々は「地域」「家族」「会社」「国家」といった共同体に再編されました。人々は「地域」「家族」「会社」「国家」という共同体の中で、互いに競争しあったり、認めあったり、慰めあったり、助け合ったり、笑いあったりとしました。そして、その再編を支えたのが、戦前は「富国強兵」や「経済成長」であり、国民誰もが、「いいこと」だと信じて疑わず、みんなが「富国強兵」や「経済成長」を目指しました。つまり、

「みんなが一つの目標に向かって夢を追えた」

これが近代です。

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まあまあ古いポスター見っけ!

迷う僕たち若者

ところが、1991年頃から、流れが変わってきます。1991年はバブルが崩壊していった頃です。3年後の1994年には「就職氷河期」という言葉が流行語大賞になっており、「経済成長」という”みんなの目標”が一気に消え去りました。

「会社には就職できないし、そもそも会社って危ういもんじゃん。みんなの目標は消えるし、人生会社勤めに励むのって、人生において実は正解ではないのかも?」

といった疑問が若者の頭に浮かび始めたのがこの頃です。僕たち若者は、「好きなことを仕事にするのがいいなじゃない?」「最高の仲間や家族を作って、一生仲良く暮らすのがいいなじゃない?」と迷いの旅に出ます。そしてこれは今日の若者にも言えますし、否定したいですが僕にも言えることかもしれません。

 

寂しがる若者

バブルが崩壊してから、「会社」という共同体が弱いものになり、共同体の弱体化は教育にも伝播します。今まで教育は「いい学校に入るために、受験勉強で戦え、そこで勝っていい大学に入れば、大企業に入れる」というものであり、学校では、受験勉強という一つの目標に向かうことができました。そして、その戦いに勝てなかったものの多くは、それなりの収入・地位で諦め、幸か不幸か暮らしていくというのが大方の流れでした。しかし、バブルが崩壊してからは、大企業安泰が崩れ、受験勉強で頑張る意味が薄くなります。大企業に入らなくても活躍する人たち、稼ぐ人たちが多く世の中に出てきます。すると若者は「みんなで一つの目標を目指す」ということをしなくなりました。学校という共同体が弱くなり、サブカルが発達するなど趣味は多様化、向かう道もバラバラになり、若者たちは「何に向かえばいいのか?」と迷いに迷います。そして、慰めあったり、認めあったり、支えあったりする「共同体」が弱く、少なくなり、バブル崩壊から現代までの若者の多くは「寂しい」という気持ちに襲われます。

 

ピースボートの貢献

大阪でピースボートのボランティアとして活動していて感じることは、「ピースボート」は若者に対して「居場所」を提供しているということです。ピースボートにいる若者たちはポスター張りをする中で、共に頑張り、励まし合い、認め合い、絆を深めます。「寂しさ」を埋めることができる場所として機能しています。実際にピースボートにいると、「誰と船に乗るかが大事」ということを聞きます。先述の通り、「共同体」が弱くなり、若者は「寂しさ」をより感じるようになりました。時代の流れに合わせてピースボートは、若者の悩み解決とピースボート自体の活動をうまく合わせて進めています。「共同体」「居場所」を提供するピースボートにいて、こういう世の中への貢献の仕方もあるということを知りました。

 

僕は常に成長したい

若者は「共同体」や「居場所」を求めていて、「友達・仲間・家族」と大切にする価値観が一般的というのは、ピースボートにいて感じます。ただ僕は少し変わり者なのか、「仲間と過ごす」ことより、「勉強すること・一人でいること」の方が楽しいと感じます。「本を読んで、たくさんのことを知る」「何かに挑戦して、自分が成長する」ことに幸せを感じます。(もちろん仲間といることも楽しいですが...)そして、一つ、「共同体」や「居場所」を求めるが故に失いがちになってしまうものを提示しておきます。それは「目的性」です。寂しいから「共同体」「居場所」「仲間」が欲しいと意識・無意識にかかわらず、人生の冒険をしていると、目標を持たなくなったり、努力するということを忘れがちになったりします。寂しいが故にそれに惑わされ、気がついたら成長して、社会で上を目指すということをしなくなる。それは僕が一番避けたいことです。

 

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一つの貢献の仕方

 

マリナーズイチロー選手が引退するというのを聞いて、ショックを受けている最中です。幼稚園・小学校の時BSのチャンネルでよく、マリナーズの試合を見ていた事を思い出します。野球に対する姿勢、僕も物事に対してイチロー選手のように向き合えたらなと憧れの存在です。イチロー選手には本当に小さい頃からテレビ越しで感動をいただきました。本当にお疲れ様でした。

 

マネジメント

大阪にきてから10日と少々、そんな中で今日は、地球一周に来月から向かうメンバーを送り出すパーティーを行いました。バックグラウンドの違う人たちが地球一周するために努力をしてきて、それが実り、ついにこれから旅立つというところに立ち会え、パーティーの運営に少しですが貢献できたのはとてもいい経験でした。しかし、僕が少しですがパーティーに貢献できたのは、ある人のおかげです。そしてその方は、マネジメントの役割を果たし、僕に機会を与えてくれました。

 

初の音響担当

パーティーで、初めて音響を担当しました。といっても仕事は簡単なもので、BGMを流して、音量を調節ぐらいのものです(笑)。ただ、僕としては音響をやっていて楽しかったです。そして、盛り上がった空気の中に溶け込むのが苦手な僕にとっては有難い仕事でした。その時間を音響に熱中して過ごすことができ、有意義に過ごすことができました。そこでふと頭に思い浮かんだのが、ドラッカーのマネジメントについてです。ドラッカーはマネジメントの役割として3つを挙げています。

①自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。

②仕事を通じて働く人たちを生かす。現代社会においては、組織こそ、一人一人の人間にとって生計の糧、社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然働く人を生かすことが重要な意味を持つ。

③自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。

 

長いので、特に注目して欲しいのが2番。”仕事を通じて働く人を生かす”という部分です。この2番を僕は今日、与えてもらいました。音響という仕事を与えてもらえたからこそ、楽しく過ごすことができたなと感じました。そして、それを感じた時に、マネジメントって素晴らしいな、経営者という立場、リーダーという立場が、より魅力的だなと思いました。

 

適材適所〜人を輝かす〜

最近、努力どうこう以前に、人それぞれ好きなこと嫌いなことがあり、得意不得意なことがあるんだなと気づき、感じ始めました。自身もある分野に関して、「やっても楽しくないから伸びしろが少ないな」と感じる分野が少しわかってきました。だからこそ、適材適所を意識し、人を輝かせ、世の中に貢献するということが大事だと思い始めました。実際にドラッカーは、「マネジメント」というのは、弱みに注目せず、これを組織の中で中和する、と言っています。つまり、適材適所で組織を構成し、組織を動かしていきましょうということです。そこで、僕は人をよく見て、一人一人を生かせるような人、周りを輝かせるような人になりたいです。だから、まずは人に興味を持つ、自分から人に質問してみるということを心がけ、生活していきます。

 

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1週間経過IN大阪

大阪に来てから9日目、あっという間という感じではありませんが、気がつけば1週間が経っていました。毎朝淀川を渡って梅田へと向かい、そこから大阪・兵庫へとポスターを貼りに出かける日々を過ごしています。通天閣近くの西成区やオフィス街の中央区や梅田駅周辺、大阪の北に位置する摂津市兵庫県西宮市の武庫川など日々転々としており、複雑難解な関西の電車にも慣れてきました(笑)梅田駅に接続している阪神・阪急・JR・大阪メトロ、だいぶ覚えました!ちなみに大阪駅と梅田駅がほぼ同じ場所にあり、大阪にきて混乱したのですが、その梅田の名前の由来は、低湿地を開拓して、埋めて田にしたというところから「埋田」。「埋田」を美称して「梅田」と呼ばれるようになったそうです。

 

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淀川に架かる橋より

1週間ポスターを貼ってみて

1週間ポスターを貼る中でいろいろ感じることがありました。まず大阪でも地域により全く街の雰囲気が違う。ある場所は感じの悪い人が多かったり、反対にある場所は人当たりのいい人が比較的多かったり、街によってこんなにも人が違うのは驚きですし、ポスターを貼って回る際のちょっとした楽しみです。また、商店街の多い地域や完全なオフィス街、中心部から外れたベットタウンなど様々な場所を歩き回ることができて楽しいです。

 

果たして成長しているだろうか?

大阪にいる中で常に「自身は成長できているだろうか?」という疑問が頭に浮かんでいます。人の成長は毎日少しずつで気がつきにくいけど、長いスパンで見るとわかるため、より期待と不安が入り混じります。ただ、成長できているかどうかはさておき、伸びしろは大阪に来て見つけることができました。それは「悩む時間を短くする」ということです。ポスター貼りをする際、お店を毎日100件以上回るのですが、もちろん一軒一軒お願いして回ります。そして案の定ほとんどが断られます。だから、「数打ちゃ当たる」という戦法でお店を回らないとやってられません。とはいえ、僕は小心者なのか、入りにくいお店に入っていこうかためらい「悩む」時間があります。効率の事を考えると「悩む」時間は「考えている」時間ではなく、何も生み出していないので無駄であることは明らかなのですが、ついつい店の前をうろちょろします。だから、ポスター貼りを続けていく中で、断られることに対する免疫をつけ、「悩む時間」を限りなくゼロに近づけられるようにしたいと思います。

 

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大阪生活4日目

 

大阪に来て4日が経ち、梅田行きの入り組み用にはまだあたふたしていますが、生活にはだいぶ慣れてきました。毎朝スカイビルを見ては「がんばろう!」と自らに唱え、ポスター貼りのために街へと足を運んでいます。そして店を回り回ってポスターを貼っている中で、気づくことがありました。

 

結論を先ず提示する

毎日150件くらいお店を周り、断られ、断られ、断られ、そして貼らしてもらいを繰り返す中で、自分の話し方の癖・悪いところを自覚し始めることができました。その話し方の癖・悪いところの一つに、最初の説明がくどく、話の聞き手をさせてしまう、「話の目的は何?」と思わせてしまういうことです。プレゼンのコツや話し方のコツで「先ずは結論から」というのは、よく言われますし、僕も知識としては知っていましたが、実際にやってみて初めて、「自分が結論から述べる話し方をできていない」ということに気がつきました。実際にやってみることは、知識を詰め込むのとは違う、経験が大切だということを痛切に感じました。

 

”すみません”ではなく”ありがとうございます”

もう一つの癖として、”すみません”というワードを多用してしまうというのがあります。これも今までは自覚がなかったのですが、ポスター貼りをする中で感じました。そして、その”すみません”というワードは”ありがとうございます”に変換できるということに気がつきました。”ありがとう”と感謝の気持ちを伝えればいいのにも関わらず、知らず知らずのうちに”すみませんねー”なんて言っている自分がいます。これは変えるべきよくない癖だなと感じました。ポスター貼りを通して、徐々に変えていきたいと思います。大阪で、また一つ、そして二つ、成長できそうな予感がします。

 

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実務的なところから簿記を見つめる

 

最近巷で話題になっている本『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 会計編』(第二弾)という本を読んでいます。この本は、『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 人生100年時代の個人M&A入門』(第一弾)という本の会計バージョンであり、必要な会計知識や貸借対照表BS)、損益計算書PL)の見方、現代の会計がカバーしきれていないところ等が説明されています。第一弾の方は読んではいなく、第二弾の方を読んでいるのですが、この第二弾、簿記3級を勉強するときと一緒に読むととても面白いなと感じました。

 

会社の価値

会社の価値を測る指標として一つに時価総額があります。時価総額とは、株価×発行済株式です。これが会社の価値になります。しかし、これはあくまで上場企業の話であり、上場していない企業の価値は図ることが不可能です。そこで、上場していない企業の価値を図る指標が書かれていました。その指標の一つは、「純資産+営業利益3年から5年分」というものです。(なぜ、この式になるかという説明はだいぶ煩わしいので省きます)僕が面白いなと思ったのは、人の都合によって(もっというと、経営者の意思決定や銀行目線により)会社の価値の基準が決まっているということです。当たり前ではあるけれど、価値基準とは人の都合によってできているものもあるんだといことを思い出すきっかけになりました。

 

粉飾決算はどこで行うか ~簿記3級って思った以上にすごい~

『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 会計編』はあくまで会社を買うことを目的に書かれているので、会社を買う際の注意点というのが書かれています。そして、会社を買う際に注意すべきことの一つとして、粉飾決算に気をつけることがあります。この粉飾というのは、BSを見るだけで怪しいかどうかを見分けることができます。BSは借方(左側)が資産、貸方(右側)が資本と負債で構成されており、資産が資本と負債で対応しています。そして、粉飾は資産を増やすか、負債を減らすかのパターンが主なんですが、特に資産を増やすというのが簡単かつバレにくいため多いです。(負債項目がいじりにくいという理由もある)さらに、資産項目の中でも売掛金や在庫の水増しが多いそうです。で、結局僕が何を言いたいかというと、貸借対照表BS)ってすごいってことです。簿記3級(商業高校の生徒が大体取得する)に相当する会計の知識があれば、ある程度会社の良し悪しが見分けられるということです。もちろん会計がカバーしていなくて、現地調査が必要な部分もありますが、商業高校で学べる知識がこんなにも使えるというのは驚きです。簿記3級の知識があるとないでは見える景色が違うなと実感しました。

 

資金繰りを考える ~BSってやっぱすごい~

ここからは僕の自己満足の領域で書くのですが、BSを見るだけで資金繰りがいいかどうかも見ることができます。キャッシュが途絶えてしまったら、いくら儲かっていても会社というのは倒産してしまいます。BSにはさっきも書いたように、資産・負債・資本が書かれていて、資産・負債は上から現金化しやすい順に記載されています。ということは、資産の場合、上に記載されている現金や普通預金が多ければ多いほど、資金繰りが良くなり、負債の場合、上に記載されている項目が多ければ多いほど、資金繰りが悪くなります。つまりBSから会社の状態をかなり見ることができます。そして、BSは簿記3級で学ぶことができます。だからこそ、簿記3級の知識があるとないでは大きく違います。個人的には簿記を勉強することで少し日常が楽しくなりました。暇つぶしにでもやってみてください(笑)

 

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大阪生活スタート

 

ブログを書いている今、大阪に向かっている道中です。今日から約1ヶ月間、大阪で生活をします。ワクワクというより不安要素が多いのが正直なところです。大阪で生活する目的は、来年、地球一周の旅に出るための、資金稼ぎです。ただ、それだけでは絶対に終わらせない。大阪の地で、絶対に吸収してやろうと考えているスキルがあります。

 

こんな本を手に取るの恥ずかしいんだよなぁ

本屋に入ると僕はなぜがいつもテンションが上がります。読みたい本をリストアップして本屋に入るときはもちろん、特別な目的がない時も、「最近どんな本が売れてるのかな」なんて本屋に入ってきます。そんな中、目に止まって、ついつい買ってしまったのがこの本。『話し方で損する人得する人』です。どうせ、「小手先のテクニックかなんかが書いてあるんだろう」と先入観たっぷりで、ぱらっとページをめくり、気づけば購入していました(笑)内容は案の定、小手先のテクニックのようなものも書いてはあったのですが、もちろん重要なことも書いていました。

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つい買ってしまった(笑)



プライベートとビジネスでは話し方を変える

この本を読んでいて一番大切だと思ったことは「プライベートとビジネスでは話し方を変える」ということです。プライベートは「共感」、ビジネスは「理屈」、これが大事だとか。なんとなく想像できる人もいるかと思います。ただ、僕は、全くもってできていなかったなと思います。僕は常に理屈で今まで動いてきました。「感情」の優先度は、かなり低かった気がします。

 

僕が理屈で動いてきた理由

僕はプライベートでも常に、理屈で行動してきました。そして僕が理屈で行動してきた理由は、僕なりにあります。それは、僕が小学生の頃に遡ります。僕はれっきとした口下手で、自分から人に声をかけるのが超苦手でした。ちょっと洒落た感じでいうと「シャイ」ってやつです(笑)。だったらそのシャイをカバーするにはどうすればいいか、というのを僕は小学生なりに考えました。その時に出た答えは「結果を出す」ということです。実力があって結果を出すことができれば、学校の先生は褒めてくれるし、友達からも自然と注目が集まると考えました。だから、人より真面目に勉強をする、人より真面目にスポーツをやることが当たり前になりました。そして僕は、いつしか世の中は実力主義・結果主義だと勘違いするようになりました。

 

理屈で動く父

僕が理屈で動いてきた理由は父からの遺伝か、父を見て育ったからだと思います。僕の父は常に理屈で動いているような人でした。それゆえに、父から共感してもらったことというのは、僕の記憶の中ではありません。母と楽しそうに会話している父を見たという記憶も僕にはありません。つまり、プライベートでも「理屈」、ビジネスの話し方をしていたということです。それだとプライベートがうまくいかないのは目に見えること。案の定、僕の家族は崩壊しました(笑)でも、そのことに僕も、ついこの間まで気がつくことができていませんでした。「理屈」で動くことが知らず知らず当たり前になっていました。

 

感じる力、feelが足りないと指摘された日

大学生になって、いろいろな世代、職業の人と会っている中で、ある人にあることを指摘されました。それは「感じる力、feelが足りないよ」ということです。その指摘を受けた時、「感じる力?feel?」と全くもってピンときませんでした。その人曰く、感じる力が一般の人以上にあると、「人が普通気が付かないことに気づいたり、見えないものが見えたりする」とのことです。(書き方がスピリチュアルになってますが笑)僕の場合、人より感じる力をつける以前に、人並みに感じる力をつけることが必要なのですが(笑)。そして、その感じる力とは、プライベートの話し方を変えることからだと思います。おそらく僕は、プライベートでもいまだに「理屈」で話しており、「共感」する能力が著しく低いと思います。プライベートで人が話しかけてくるのは、問題を解決したいとか、アドバイスが欲しいとか、そういうことは少ないのにも関わらず。だからこの大阪での生活で、当たり前のことだけれど、「人の話を最後まで聞く」「質問で人の話を遮らない」「一緒に考える、悩む」ことを意識し、行動に移し、プライベートとビジネスでの話し方を分けられるよう頑張りたいと思います。

 

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お金に振り回される僕の周りの人たち

 

当時15歳、僕は理由もわからなく頭を下げていた。「すみません」と謝るものの、「なぜ勉強がしたいだけなのに、頭を下げて謝らなければならないんだ?」というのが正直なところだった。謝る理由は正確には分かっていた。高校生の奨学金の保証人になってもらった親戚への挨拶に行くのが遅かったのだ。挨拶に行くのに、2週間は遅く、保証人を結局断られてしまった。その親戚は、割とお金にシビアで、夫婦間のやりとりもお金を用いているそうだ。もっと具体的にいうと、お弁当を作るのに〇〇円、というようなやり取りをやってるという話を聞いたことがある。僕は理解ができない。その頃から、お金とは煩わしい、トラブルを生むもの。だが、必要なもの。結局のところ、「お金とは?」という疑問が僕に浮かんだ。

 

お金にとらわれる祖父

それから1年前、僕が14歳の時。親の離婚がきっかけで、母方の父親、僕の祖父と一緒に住むことになった。小さい頃はそれなりに優しい祖父というイメージがあった。だが、一緒に住み始めて数ヶ月のこと、急に僕に殴りかかってきた日があった。彼は「うるさい」と僕に殴りかかってきた。僕は静かにしていたのにだ。ほとんど喋っていないし、テレビもつけていない。おそらく祖父の幻聴だ。他にも、祖父が近所でトラブルを起こして、警察官が家に来ることもあった。「インターホンの前に、警察官が立っている時は驚いた。」祖父は僕がネットで調べたところ、統合失調症だ。高齢者は認知症と括られてしまうのだが、症状は統合失調症。病院に意地でも行かないのでわからないのだが。そんな祖父は最近、幻覚で「あの女が、俺の金を持っていった!」と狂気じみた声で叫んでいた。本当の僕はもう、何も言えない。ただ、僕から見ると、祖父はお金に囚われているように見える。

 

典型的なサラリーマン

僕の祖父は典型的なサラリーマンだった。終身雇用という制度に乗っかり、祖母には「もう少しそこの会社で頑張りなさい」と言われ続け、定年まで一つの会社で勤め上げたようだ。それがゆえに、お金に対しての執着心があるようだ。といのも祖父は、時間を犠牲にして働いていたように思える。本来仕事とは、労働を代償にして、賃金を受け取るというものだろう。しかし、サラリーマンであった祖父はおそらく違う。労働を代償にしてというよりは、「時間を代償にして、賃金を受け取る」という構造の中にいただろう。だから、「俺(祖父)がこんなに苦労して(自分の時間を代償にして)、稼いだ金なんだから、そのお金は何よりも大切なんだ」とどこか心に抱いている気がする。だから、幻覚で、「あの女が、俺の金を持っていった!」と叫んでいたのだろう。(あの女が誰かなんかも僕にはわからない

 

お金に無頓着な父

そんな祖父や僕の親戚とは対照的に、僕の父はお金に少し無頓着だった。めちゃめちゃお金に無頓着というわけではない。ギャンブルはしないし、酒豪というわけでもない。だが、仕事を転々としたり、スポーツカーを買ったりと、家計には少し厳しい行動をとっていた。僕が13歳の頃、急に仕事をやめて家に帰ってきた。もともとロジックじみたところのある父は、母親ともコミュニケーションがあまり取れていなかったようで、大げんかになっていた。好きなことがやっと見つかったとかなんとかで、急に勉強を始めるために仕事を辞めたのだ。その後、父の不倫がきっかけで親は離婚。もうめちゃくちゃだ。その後、母子家庭ということで暮らしたのだが、父もお金を貯めていなかったらしく、僕の教育資金はあまりなかった。(そのおかげで、今も結構お金には苦労しているのだが

 

身近であるのにわからないお金

僕の周りには、お金に関して、シビアすぎる人、無頓着な人がいた。執着しても良くないし、無頓着でも良くない。お金って難しい。でもそんな僕にでもわかることがある。それはお金とは、「信用」であるということだ。例えば、家に泊めてくれる友達がいたとする。本来ホテルなどに泊まろうと思ったら、もちろん料金が発生する。だが、友達は無料で止めてくれる。どういうことかというと、その友達は信用しているわけだ。だから家に泊めてくれる。ではホテルはというと、泊まる人に対しての信用が、あまりない。そこで信用をお金という形で受け取るのだ。だからホテルに泊まるのに、「料金」というのが存在する。だったらお金なんか必要ないのではないか?と思う人もいるかもしれない。だが、信用を正確に測るのは難しい。その反面お金は、きちっと数値化できる。だから、お金というのが誕生したのだ。そして、祖父や僕の親戚は、そこを理解していないように思えてならない。信用がお金というものに形を変えているというのを認識しておらず、お金ありきになっている。だからあれだけ、お金に執着しているのだろう。ただ、お金というのは便利な道具でもあり、大切で必要なものであるというのは紛れも無い事実だ。そこの意識が薄かったのが僕の父親なのかもしれない。

 

純粋にお金について勉強したい

僕は今、ビジネスを専門に勉強し始めている。周りの人からは、ときどき、「お金を稼ぎたい人なんだ」見られるかもしれない。もちろん、「お金が欲しく無い」と言ったら嘘になる。ただ、僕の周りには、お金に囚われている人や、無頓着な人がいた。そして、「お金は生活にとても身近だがわかりにくい」。そんなお金を理解したいし、上手に付き合っていきたいという思いがあるから、今、お金について勉強しているし、ビジネスを勉強し始めている。そこのところは明確にしておきたい。そして、これからもっとお金について理解したいし、上手の付き合い方を見つけるために努力する。

 

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