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伝言ゲームのプール

今年ももう折り返し地点を過ぎました。ホントあっという間で、更なる駆け足で半年を過ごさねばと感じています。そんな今年の折り返し地点で感じたことが伝えることの難しさです。

 

伝言ゲーム

世の中には”伝える”ための心理学、脳科学トーク術・話術の本と実にたくさんの本が書店に積まれています。あまり”伝える”ことの重要さを考えたことのなかった僕は書店に行っても、「こういった類の本は過剰に出版されてるんじゃないの?」と思う程でした。ただこの過剰に思えるほどの量の出版に納得がいくようになりました。それは世の中が難解な伝言ゲームに満ちているからです。

 

お菓子・映画も伝えられない

伝言ゲームの世界とはどういうことか? 例えば、一押しのお菓子を友達に紹介する時、「チョコレートのこのお菓子、こうこうこういう味で、とっても美味しいんだよ!ぜひ食べてみて!」と紹介するとします。でも味なんか伝わらないですよね。それどころか、「急にお菓子の話されても困るんだけど(笑)」とか、「チョコレートがそもそも嫌いなんでけど(笑)」となるかもしれません。映画を紹介するときにも言えます。「この映画とっても感動的で、涙腺崩壊。絶対に見て欲しい一押しの映画なんだよ!」と。でも、「急に映画の話やめてくれる、今そんな気分じゃないから」とか「アクション系の映画しか見ないんだよ」となるかもしれません。そう、こんな些細なことも人間は伝えることができなくて、友達にお菓子を食べてもらうことも(お菓子くらいならあげればいいですが(笑))、映画を見てもらうこともできません。全く人にお菓子の良さ、映画が伝わらないです。これらが世の中に難解な伝言ゲームが満ち溢れているといえる理由です。まさに、伝言ゲームのプールです。(僕が勝手に言っていますが...)

 

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マネジメントゲームの様子

グレープフルーツ

ついこの間の土日、マネジメントゲーム(MG)に参加してきました。そこにはいつものように様々な人種(タイプ)の人たちがいました。分け方が適当ではありますが、理系チックな人から文系チックな人、体育会系な人と本当に様々です。MGではそんな色んな人種の人たちと時々、グレープフルーツを伝え合います。二人組になって、一人がグレープフルーツという存在を知らない体で話を聞き、もう一人がグレープフルーツについて説明します。参加者各々は、「グレープフルーツは甘くて、けど酸っぱさも苦さも兼ねていて、形は丸くて、〜.....」と説明します。でも聞いている側はグレープフルーツという果実を知らないわけなので、なかなか伝わりません。そんな伝わらないというモヤモヤ感を参加者一同抱えたまま、レクチャーが始まります。まず、相手がそもそもグレープフルーツの話を聞きたくないかもしれないので、「今大丈夫?」とか「時間ある?」ってところから相手に聞くのがベターです。それからいきなりグレープフルーツの説明をされても、グレープフルーツを聞く側は全く知らないので意味がわかりません。だから「オレンジって知ってる?レモンって知ってる?」と聞き、相手の知っていることと結びつけて説明するとなお良しです。つまり相手の頭の中を想像することが必要です。ただ、それでもグレープフルーツの話を聞きたくないのが人の性です。だから相手と話している中で情報を収集し、相手の興味を探ってそれと結びつけることが大切です。例えば話している中で、相手は果物好きで特に柑橘類が好きなようだとわかったします。その上で「柑橘類が好きなあなたにオススメの果物を紹介したいんだけど」というと、いきなりグレープフルーツの話をするときと比べて、伝わりやすくなります。

 

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惜しくも2位でした

分かっていても出来ない

今までの経験してきた環境(例えば、大家族で一番年上で人に物事を伝えることが多かったなど)により、これらのことが自然とできている人も中にはいます。でもできない人が多いのも事実で、僕もできない一人です。そしてこういった理論を知っても、なかなか実際にやるとなると難しいです。僕が人に分かって欲しいのはMGを学ぶことの有益さであり、同じ学生にも体験してもらいたいです。今まで色々いってきましたが、やはり伝え方が悪かったなと思っています。MGは経営ゲームなのですが、実に別に経営者の人だけに役立つのではなく、むしろそれ以外の人の将来にも役立ちます。MGについて例えば、就職希望の人であれば、かなり就職に役立ちます。なぜならMGを学んでいると経営者の視点が身についてくるからです。「で、経営者に視点が分かった人材がどれだけ重宝されることか。(笑)」他にも、進路選択・職業選択に悩んでいるのであれば、MGがオススメです。なぜなら、広島で活躍されている社長さんと一緒に勉強ができ、話す機会が多いにあるからです。毎回MGでは入れ替わり立ち替わりいろんな分野の経営者の方が来られます。食品・水産・建設・スポーツ・アミューズメント・工業などなど、実に様々でそれらのことをいくらでも直に聞くことができます。さらには経営者の方々がどういうことを考えていて、どういう人材を求めているかも、一緒にいると分かってきます。だからインターンシップ以上にコスパがいいです。(他にもたくさんメリットはあるのですが、これくらいにしときます)。とはいえ、今まで、僕の伝え方が悪かったのが事実ですし、今もトライしては失敗の連続です。毎月MGはやっているので、一緒に参加する人数が少しずつ増えれうよう、上手にMGの良さを伝えていけたらなと思います。

 

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象の檻

 

 1年以上車に乗っていないペーパーで、今日久しぶりに運転しました。

「エンジンかかった」

AT車エンストしない」

「クリープで勝手に進む!」

一つ一つにいちいち反応してしまう始末でした(笑)。とりあえず家の近くのスーパーまで無事について、帰って来れたのでひとまず良しです。ちょいちょい練習しないとまた忘れるな(笑)

 

やっぱ抽象的な芸術わかんね!

 そんなことはさておき、昨日は広島市現代美術館山口啓介さんの『後ろ向きに前に歩く』を見てきました。まず気になったのが題名。「後ろ向きに」というのは人間、過去と現在しか見えなくて、未来は見えない、という意味で、「前に」は、それでも人間未来に向かって歩くしかないという意味らしいです。

「うーん深い!」

ところで肝心の作品を見た感想はというと、抽象的な絵が多くて芸術素人にはだいぶちんぷんかんぷんでした。ただ、一つ「震災ノート」という東日本大震災が起きてから毎日欠かさず書かれたノートがあり、そこには具体的な知識体系等が抽象画に落とし込まれているということがわかりました。そして、毎日8年間欠かさずノートを書き続ける継続力には脱帽です。見習わなければ!! また、それともう一つ気になった作品として、『象の檻』を取り上げた作品がありました。

 

監視される日本

象の檻』と言ってもZOOにあるやつのことではありません。アメリカの通信傍受装置のことです。アナログ通信に重宝されていたらしく今は過去のものとなっていますが、日本をはじめとする各国の情報がアメリカによって傍受されていました。(今はプリズムという監視プログラムでデジタル情報までもを傍受しているようです。)この施設は2007年ごろまでに沖縄の楚辺通信所に、2014年ごろまでに青森の三沢基地の姉沼通信所にありました。『シチズンフォース スノーデンの暴露』を見ていないので詳しいことはわかりませんが、一分間に数百万もの通信を傍受できる当時最強の盗聴装置だったそうです。気がつかないだけで、最近米軍施設が身近には多いなと最近感じます。

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ja.wikipedia.org より引用 『象の檻

 

 

広島には弾薬がたくさんあるけーね

今日は6月23日ということで沖縄では慰霊祭が行われています。そして、その沖縄に今春行ってきて、米軍施設を遠巻きに見てきました。普天間基地、嘉手納基地、嘉手納弾薬庫と。戦闘機がバンバン飛んで、かつすぐに爆弾・爆薬を飛行機に積み込めるという環境に知識としては知っていたものの唖然としました。

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嘉手納弾薬庫

一見ただの森に見えると思いますが、この森の地下に広大な米軍の弾薬庫が広がっているとのことです。本当に見た目わかんないですよね。そして、沖縄やべーなと嘆いたいたのですが、この施設広島にもあるんです...。しかも本土全国に爆薬を運ぶ拠点となっている弾薬庫が3つ。

 

 

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弾薬供給拠点 in広島

 

決して無視できない動き

広島には3つ、東広島の川上弾薬庫、江田島市の秋月弾薬庫、呉市の広弾薬庫です。の弾薬庫があります。本土の中でも最大級の弾薬庫です。ベトナム戦争湾岸戦争の時には多くの爆弾がここから積み込まれ、現地にその爆弾が落とされていました。そして今もなお使われている施設です。不確かな情報ではありますが、太平洋戦争時に日本が受けた爆弾の5割、6割、いや7割ほどが収容できるのではないかと噂されてるほどの広大な施設です。実際に情報公開されていた頃には横須賀の方に弾薬が広島から運び込まれたという記録もあります。(今はテロ対策という建前で、広島の地方自治体には爆弾・弾薬や武器等を運ぶ際、日時しか伝えられていませんが...。)

さらに今岩国基地が拡張されています。岩国基地には厚木基地に所属する原子力空母ロナルド・レーガンに搭載されるステルス戦闘機F35やちょくちょく話題になるオスプレイが置かれています。普天間から辺野古への移設が進んでないことも関係するのか、過去には海兵隊岩国基地に移動してきています。そして、現在、さらに米軍関係者が岩国住めるように愛宕山に住宅地が形成されています。この動きから判断するのは全く妥当ではないですが、広島・山口が今まで以上に米軍にとって重要な拠点になっているかもしれません。

 

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お別れ

 

先日、祖母の散骨に行ってきました。散骨の場に初めて立ち会ったのですが、私の中ではお墓があるのが普通という感覚だったので、少し不思議な感じがしました。「お墓がないから、海に拝めばいいのかな?」なんて疑問もあります(苦笑)。散骨自体は、意外とスピーディーに進んでいきました。陸からだいぶ離れた沖に出て、そこで散骨を行います。お骨は粉末状になっており、白くて水に溶ける紙の小さな袋に入れられていました。そして最後にその袋にお別れのメッセージを書いて、海へそっと落とします。すると、袋が途中で溶けて、粉末が海水の中に広がっていきました。船上でのお別れは初めてのことで何とも言えない気持ちになりました。

 

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ストーリー

散骨が終わってからは、祖母にまつわる写真や動画を見ました。僕が知っている数年前の祖母の写真から、30年、40年前の写真まで見ました。その中には、僕が5歳くらいの頃、祖母と遊んでいる動画もありました。全く記憶になかったのですが、めちゃめちゃはしゃいでいる自分が撮られていて、「こんな頃があったのか!」と驚きました(笑)。それと同時に思い浮かんだのが、

「時間って進んで行くんだなぁ」

ってことです。当たり前のではありますが、やはり何か悲しく、受け入れたくない事実です。それからさらに5年前、10年前、30年前、40年前の写真を見ていくと、僕の全く知らない祖母が写っていました。30代の祖母の写真を見ながら話す親戚。その話を横で聞きながら、祖母がどんな人か全然知らなかったなと、今更気がつきました。

 

漠然とした疑問

色々祖母にまつわる話を聞いている中で、結局は最後に話になるのは「幸せだったのかな?」ということです。こればっかしは知る由もないのですが、つい僕も考えてしまいました。さらに、とても漠然としすぎた疑問なんだけど、「人生って何だろう?」とか「幸せって何だろう?」とか...、も浮かんできました。そして、自身について考えたときに、納得した形で、選ぶことと捨てること、つまり取捨選択をしていかないと、公開の人生になってしまうと思いました。よく葛藤して、うまく選びきれない、うまく捨てきれないことがあるけれど、そこのところを上手にならないとなと思いました。

 

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相手が悪かった?!〜立ちはだかるソクラテス

 

この頃、ディスカッションをする中で、正論を言うことはある程度情報があれば簡単なことであるが、正論を言えば良いってもんじゃないなと感じることがあります。ディスカッションの中では、正論と正論がぶつかり合うことがよくあり、どちらを完全に否定することもできなければ、どちらを完全に取ることもできません。だから、結局のところ「バランスや割合といった問題かな」なんて思ったりします。もしくは、そもそも正解なんてないし、「人それぞれなんじゃない?」と思うようになってきました。

 

巡り巡り、辿り着いたのは哲学?!

大学に入ってから興味本位で100冊以上の本を読んできました。ディスカッションがあれば、それに関すること本を読んだし、授業で気になることがあったら、授業で扱った分野の本を読みました。研修や旅に出れば、研修に関する本、旅先に関する本を読み漁りました。そして、最近は、3月に沖縄に行ってからと言うものの、戦争関連の本を読んで、文化について知らないと深くはわからないなと思い、文化に関する本を読み、文化を理解するためには思想がわからないといけないなと東洋思想の本を読み、東洋思想の本を読んでいると、宗教について知らないといけないなと宗教の本を読み、宗教に関連して天皇のことも調べておこうと天皇関係の本を読み、宗教・東洋思想・天皇の本を読んでいると、何かしら西洋哲学に絡んできて、西洋哲学を勉強しなければとなっています。

 

西洋哲学を勉強し始める

そこで、西洋哲学の本を読み始めたのですが、如何せんとっつくにくい。そこで、人気のブロガー「飲茶」が出版している本『史上最強の哲学入門』(河出文庫)を読み進め勉強することにしました。そして、西洋哲学の一番最初となると、古代ギリシャの話になります。そこで僕はいきなり頭をハンマーで殴られてようなことを本で読みました。

 

プロタゴラス

そのこととは今から2400年前のギリシャに遡ります。当時のギリシャの頃にすでに人間は真理(正しい道理)を求めていました。「〇〇が正しいのか?」いや「△△が正しいのか?」と。で結局のところ、当時のギリシャの哲学者はこう結論付けました。

「絶対的な真理なんてそんなものはない!価値観なんて、人それぞれさ!」(『史上最強の哲学入門』による)

「結局それかよ(笑)!」と思うと同時に「いやーわかるわぁ!」と共感しました。結局、「今も昔も人は考えることは同じなんだなっ」とプロタゴラスに勝手に親近感さえ持ってしまいました。やっぱり僕の「人それぞれじゃない?」って考え方は間違っていなかったんだ!」と少しばかりと自信も持ちました。そして、この考え方を「相対主義」と言うのですが、この相対主義ではある問題が生じてきました。

 

相対主義の弱点

「人それぞれ違うから、正解なんてないよー」って言っていると、人は「真理なんて求めなくていいよねー、とりま適当でいいじゃん!」と堕落していきました。すると当時民主主義であったギリシャはダメになっていきます。さらに、政治家は具体的なことを言うと「相対主義」を駆使して、「その考え方は他の視点から見たらおかしいんじゃないの?」と、いとも簡単に他の政治家に反論されるようになりました。そうなると政治家は、具体的なことを言わず、当たり障りのないこと、うわべだけのことを言うようになります。そして、さらに世の中は良くない方向へと進みます。そこで政治家に立ち向かったのがそう、ソクラテスです。

 

僕に立ちはだかるソクラテス

このままではダメだと立ち上がったソクラテス。政治家に立ち向かいます。そこでソクラテスは政治家に質問をしまくり、政治家が無知なことを民衆に知らしめ、恥をかかせます。

「この政治家どもは何もわかっていない」と。(こんなことをやっていたのでソクラテスは処刑されるのですが、苦笑)

ではなぜソクラテスはこのようなことをやったのか?めちゃくちゃ生意気なやつだったのか?

それは、ソクラテスが政治の腐敗や国民の堕落を見てきた中で、「相対主義」(人それぞれ違うよねー)をやめて、「真理を追求してほしい」と言う思いが強くあったからです。そして、その第一歩として、自分は何も知らないことを知ることが大切だ、「無知の知」を政治家たち、はたまた民衆に唱えていったわけです。

そうここで、僕の「人それぞれだよねー、だから答えなんかないよね」と言う態度が否定されました。ここで僕は「意見を持つことの大切さ」を知りました。そして「もっと勉強しなければな」と思いました。(それにしても相手が悪すぎた...めちゃ偉人じゃん(笑))

 

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いつも通り

今回で100記事目。ちょっとした節目なので、スペシャルなコンテンツにしようかと思いましたが、結局いつも通り書くことにしました。

 

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週末廿日市の吉和の方に行ってきました。美術館に行ったのですが、その駐車場に大きな大木がの切り株が置かれていました。この木、なんと5万年前の木らしいです。5万年前って...縄文時代でさえ1万6000年前なのに。木に手を触れてみたけど、5万年前は感じられませんでした。感性がないのかな(笑)

 

読書・読書・読書

この頃、自由な時間ができたら、だいたい読書をしています。読書の習慣がついてから、本を読んでいないと何か気持ち悪いというか、(いい意味で?)病気です(笑)。そして最近読んでいるのが、歴史や思想に関する本です。5万年前よりも随分最近の話、3000年前からの歴史・思想についてです。

 

日本の宗教

大学2年生になってから、授業の内容的にか、留学生が大学にいるからか、外国人講師・教授が持つ授業が増えたせいか、宗教の話が出てきます。カトリックだったり、プロテスタントだったり、イスラムだったり、色々な人が各々、宗教を信仰しています。ところで、「日本人(あなた)は?」と質問されることがよくあります。

「日本の宗教...なんかよくわからない。」

これが正直なところでした。クリスマスやハロウィンは日本で行われるから、キリスト教も関係あるのか?でもお葬式は仏教が多いよな。神社ってそういえば神道からきてるよな、なんて。ただ僕は、もうキリスト教でもなく、仏教でもなく、「儒教」についてを調べています。

 

儒教

儒教って何??僕もついこの間までこの疑問を持っていました。

孔子って人がなんかつくったやつね!」

みたいな(笑)ただ、この儒教、中国で3000年以上前から生まれ、日本に入り、大きく影響を与えた思想(宗教)なのです。例えば、(『儒教と何か』加地伸行 によると、)忌引きの制度。儒教では、「祖先を祭祀しなさい、親を大切にしなさい、子孫を残しなさい」「親しい人こそ大切にしなさい」などが唱えられています。そして、忌引きの休暇制度は、学校・官庁では、例えば親の死の時は7日間、兄弟・姉妹は3日間、おじ・おばは1日の欠席・欠勤を出席・出勤扱いにする。これは儒教から来ています。他にも、日本人が政治に対して消極的なのは、(いろいろな説があり、複合的な原因がると思いますが)儒教の「官僚(聖人)を師としなさい」という教えが日本にも流れてきて、それが日本人の国民性につながっているという説もあるそうです。意外と感じないだけで、儒教と日本の関わりは深いようです。まだまだ勉強中で詳しいことを書くとボロがもっと出るので書きませんが、日本文化を考える上で儒教は大切な要素であることが最近わかってきました。

 

神道

実は「儒教」の他にも「神道」について最近調べています。というのも日本文化はとても複雑だからです。歴史を見て、仏教が大きく日本に影響を与えていたり、意外とキリスト教儒教だったり、と。そして、日本古来の思想(宗教)、「神道」も日本に大きく影響を与えているそうです。この「神道」、調べてみると思いの外、面白いです。僕は今、天皇と宗教の関係という観点から調べています。例えば、(『天皇は宗教とどう向き合ってきたか』著者:原武史)はとても面白い本です。この本では、主に近代・現代の天皇と宗教についてが書かれてあり、神道についても多く触れられています。この本では、明治時代になってから多くの神社(明治神宮平安神宮など)が作られたことや、一時神道が日本の国教になりそうであったことが書かれています。また、貞明皇后昭和天皇神道が大きく影響していたことも書かれており、さらには、天皇の太平洋戦争終戦の判断が遅れ、沖縄戦を招いてしまったことなどが書かれています。「神道」について調べると、身近な話に関係してきてとても面白いです。

 

人が考えること・やることは一緒?!

思想や宗教を調べている中で、感じることがあります。それは「人は考えること・やることは一緒だ」ということです。思想や宗教はつまるところ、

「この世界はどうやって生まれたのか」

「死んだらどうなるの?」

など、人間にはなかなかわかりそうにないこと、説明のつかないことについてを追求しています。そしてこれは、「科学」とも一緒であるという意見が最近学問の世界の間で勃興していることを大学の授業でも聞きました。医学は、生と死(生命)についてを科学的に追求していくし、宇宙の分野は「この世界がどう生まれたか」を科学的に追求していってます。追求しているものは、なんら思想・宗教と同じで、そのプロセスが違うに過ぎません。

こう考えると「何か人間ってかなしいなー」「勉強するのが馬鹿馬鹿しい」なんて思えてきたりもしました。

 

最後に

なんとか100記事を今までに書くことができました。一件あたり40件弱ほど平均でアクセスがあり、「少なからずいろいろな方が見てくれてるんだ」喜んでいます。最近はブログ更新が遅いので、改めて気を引き締め、より良いブログが書けたらなと思います。これからも引き続きよろしくお願いいたします(๑╹ω╹๑ )

 

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え??おっさん達から説教されてる??

 

この2日間、いつものMG(マネジメントゲーム)に参加してきました。頭を駆使しすぎて、「脳細胞がどっかに飛んで行ったのでは?」と思うくらい疲れました(寝たら脳細胞戻ってきました(๑╹ω╹๑ ))そんなMGから、今回も多くのことを学びました。

 

MG

MGというボードゲームをやっていると、経営や会計、会社全体最適を感覚的に、理論的にだんだんとわかってきます。そして、よくご一緒させていただいている経営者の方々の中には、それを実務に落とし込んでいる方もいらっしゃいます。この実務レベルまで持っていけるボードゲームというのがとっても魅力です。ですが、MGはこれだけではありません。ゲームの途中に講義があって、その講義が個人的には、とっても勉強になります。色々なトピックを話していただき、普段生活する中での景色を変えたり、考え方を変えたりすることができ、僕の大学生活(授業等)の質を格段に上げてくれます。

 

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このボードゲーム、深いんです!

 

気づく力

今回の講義で特に印象に残ったのが、「気づく力」についてです。このことについては、時代の流れとともに説明していただきました。まず、昭和前半の頃の会社についてからですが、その頃は、「結果」に対して、叱責をして、「結果をとにかく出せ!」というある意味理不尽な対応が、現代と比べた時の割合として多かったです。ただ、叱責だけでは、なかなか上手くいかないということで、「結果」と考えるためには、「行動」を変えなければならないということになりました。『「行動」を変えなさい』と、声高々に叫ぶと、「行動」が変わり、「結果」が確かに変わりました。が、、、変わる人とがいる一方で、変わらない人も多くいました。次に、「行動」が変わらないのであれば、そこに「教育」を用いて、「考え方」を変えないといけないよね、ということになりました。これが成功し、日本は世界のトップに躍り出ました。が、、、「教育」をしても、「考え方」が変わる人がいる一方、変わらない人もいました(ある意味、ゆとり教育で、「ゆとりだー」とゲームをしちゃった人と、ゆとりをうまく使って世の中で通用する武器を磨いた人の二極化です)。さらに、バブルが弾けると、あれ、これでも「日本が世界に通用しなくなったよね」と言われるようになりました。そこで、求めらるようになったのが、「気づく力」です。今教育界なんかでは、「アクティブラーニング」だの、「主体性」だの言われていますよね。つまり、世の中は「気づく力」を求めていて、それに教育界が答えようと、模索しているというわけです。

 

気づく力を若い人であればあるほど持っていない??(説教なのか?)

この「気づく力」を高める上で、実は大きな問題点があります。それは、「モチベーション」が必要ということです。当たり前ではありますが、「モチベーション」が高くないと、自分で「気づこう」となんか思わないですよね。そして、若い今の世代ほど、「モチベーション」が低いという特徴があります。このことについて、一度ブログで書きましたが、改めて説明します。『若いほど「モチベーション」が低い。』これは決しておっさん世代が若者に説教しているというわけではなく、しっかりとしたロジックがあります。そのロジックは、昔の生活と現代の生活を想像するとわかります。まず、昔の生活ですが、昔はご飯を炊くのも、風呂を沸かすのにも一苦労でした。例えばご飯を炊くのであれば、自分で米を育てて、収穫しなければいけなかったし、木を切って、薪にし、火を起こして、米を洗って、釜に入れ、炊いて、やっとご飯が食べられました。対して現代は、アマゾンで米を頼めば、家に米が届くし、無洗米であれば、米を洗う必要もありません。届いた米を炊飯器に入れ、水を入れて、スイッチを一つ押す。これだけでご飯が食べられます。何が言いたいか。つまり、昔は、米を食べるだけでも、莫大な「モチベーション」が必要だった。対して現代は、ほんの少しの「モチベーション」で米が食べられます。これは、「ご飯」にだけ言えることではなく、掃除にしろ洗濯にしろ、移動にしろあらゆることに言えます。昔は普段の生活だけで莫大な「モチベーション」が必要だった。対して、現代は、ほんの少しの「モチベーション」で生活ができる。だから、必然的に僕ら若い世代は「モチベーション」が低いし、「気づく力」が弱いです。そして、それは仕方がないことです。

 

「モチベーション」を高める

仕方がないとはいえ、「モチベーション」が低ければ、「気づく力」は弱いし、「気づく力」が弱ければ、「考え方」が変わらない。「考え方」が変わらなければ、「行動」「結果」も変わらない。これはまぎれもない事実です。だから「モチベーション」を高めることが重要です。また、捉え方によっては、「若い世代はモチベーションが低い」、だから「自身がモチベーションを高めるだけで、頭一つ簡単に抜けられる」と考えることもできます。では、『「モチベーション」を高めるためにはどうすればいいの?』結局ここに行き着くと思います。その答えの一つが「MG」に参加することです。「MG」には、いろんなツワモノ達が集まってきます。そして、講義の質、ボードゲームの質がめちゃくちゃ高い。だから、モチベーションを高めるのにうってつけの場です。実はこのゲーム2日間で、3万円ほどします。ただ、大学生であれば4000円で受けることができます。(3万円でも経営者をはじめとする方々が参加されるのは、それだけ得られるものがあるということです。)大学生にとって4000円は少し痛い部分がありますが、長いスパンで見たときに、とってもためになります。人生の質が変わってくると僕は思っています。なので「MGに参加する学生が増えたらいいのにな」というのが率直な僕の思いです。色々な考え方を共有できる「モチベーション」の高い学生に一緒になれたら、僕としてはとっても嬉しいです。「MG」に参加したいという方は是非声をかけてください。僕もできる限り、同じ世代には「MG」のことを話すようにします。

 

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選択=捨てる

 

この頃は辺りが暗くなっても寒くなく過ごしやすいとともに、もうこんな季節になったのかと、ふと思ったりします。やらないといけないことではやりたいことをもっとやっていかないと、あっという間に大学生活も終わってしまうなと時々感じます。では、今日は、「選択」について書いてみます。

 

頭でわかってても、体でわかっていなかった

よく「人生は選択の連続だ」なんて聞きますが、「人生は取捨選択の連続だ」と最近感覚的にわかってきました。今まで自分も含め人間誰しも、否が応でも、何かを選択し、同時にそれ以外の選択肢を捨てることを迫られてきました。そして、それはこれからも変わらないことです。

「選択」することは「捨てる」ことを伴う

とても当たり前のことなんですが、やっぱり今まで頭でしか僕はわかっていなく、やりたいことを全部やればいいんだと思っていました。勿論「やりたいことを全部やる」という考えも良いこととは思うのですが、その分時間は使うし、時間は有限ということを考えた時に、「選択」=「捨てる」を意識しなければなと思います。

 

選択と集中

「選択」=「捨てる」という考えが生まれたら、次に頭に浮かんでくるのが、「集中」についてです。しつこいですが、何かを「選択」したら、同時に他を「捨てている」。そして、「選択」は必ず他の選択肢を犠牲にしているからこそ、自分が選んだ選択をより意義の大きいものにしなければなと思います。そうした時に必要になってくるのが、「集中」です。いろんなことをたくさんやっている場合、一瞬、いろんな選択肢を保持していて、良さそうに思えますが、そうとは言えません。いろんなことをやっているのは事実ですが、一つ一つの選択のクオリティーがなかなか上がりません。どれも中途半端になりがちで、自身の「選択」をうまく活かしきれていないと言えます。いろんなことをやるというのは、教養のような土台作りとしてやる場合に限り、そろそろ僕自身は「集中」を考えなければならない頃だなと思い始めています。

 

何を「選択」して、何に「集中」すればいいの?

「選択」と「集中」が大事なのは確かなのですが、結局「それらをどうやって決めればいいの?」とことにいつも行き着きます。僕はひとまず、「やらなくてはならないことではないけれど、やりたいこと」を数ヶ月の単位でピックアップして、「選択」と「集中」に取り組み始めています。「やらなければならないこと」をやるのはもちろん大切ですが、そればかりに力を注いでいても、人と差別化を図って自身の武器を作ることは難しいと僕は考えます。だから、「やらなくてはならないことではないけれど、やりたいこと」を積極的に、「選択」「集中」しています。

 

別れを経て

ちょっと話は変わって、「選択」と「集中」よりも大きな話になりますが、先日、火葬場で、祖母と最後のお別れをしてきました。一番最後に祖母を見送る時に、今までの祖母との思い出が一気に蘇ってきて、「なんて人生は儚いんだろう」と悲しみがこみ上げてきました。そして、「いつかは自分も必ずこうなるんだ」と思いました。そう思った時、二つのことを決めました。一つ目は、

「とことん自分の好きなことをやる」

です。単純に、人生一度きりだからそうしようと思いました。二つ目は、

「人のために能力を使う」

ということです。いつかは必ず自分も死ぬ。そしてもし、「自分のためばかりに生きていたら」残るのはせいぜい財産とお墓ぐらいですし、何もあの世に持っていくことはできないです。そこで、それだったら、「人のために」行動して、死んだ後も、今まであってきた人たちの心に残ってたい、「ありがとう」と思ってもらいたいです。だから「人のために能力を使おう」と思いました。

 

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