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生々しい話ですみません

 

 大学が10月から再開し日々のことに追われ、その辺りをそれなりのペースで駆けずり回っています。2年生の後期にもなるとだいぶ専門的な授業が増えてきて、学校に行くのが最近は楽しみです。今日のある授業では、会計の基準についての話が少し取り上げられました。アメリ会計基準や日本会計基準国際会計基準があるのだとか。なんて面倒臭い。「そんな基準世界で統一して一つにしてくれ、学ぶ者のことを考えてくれよ」と頭の中で唱えていました。

 

5分で前言撤回

 そんなことを思いながら話を聞いていると、少し昔に世間を賑わせたタックスヘイブンの話へと移り変わります。パナマケイマン諸島を舞台とした話です。多くの国が国際会計基準(日本、アメリカ、中国などは正式に採用せず)を採用していますが、パナマケイマン諸島国際会計基準を採用しておらず、独自の国の会計基準を採用しています。そして、パナマケイマン諸島で決算をすると利益を低く計上することができ、国へ払う税金を大幅に減らすことができます。「ふむふむ、こういうことか!」と聞いてからというものの、自身の悪い顔が表へて出てきて「前言撤回、やっぱり会計基準は世界で一つに統一なんてされなくていいよ!」と思う次第です。(ただ、世界の大きな流れとしては、会計基準は統一される動きのようですが)。ちなみに邪推ではありますが、「〇〇さんのやろうとしていることは、こういうことなのかもしれないな(笑)」とも思ってしまいました。

 

ほんと生々しい話ですみません

 こうあまり良いとは言いがたい内容の話ですが、もう少し喋らせてください。最近会計でずっと答えを探していることがあります。それはなぜ日本国は製造業に対して「原価計算をFC」でさせるかです。一つは明確な答えがあります。それは利益を出さして税金をより納めさせようとするからです。原価に製造費に販管費労務費に減価償却費と乗って、見せかけの利益が発生です。ですが、それ以外にも理由があるようです。これを探しているのですが、なかなか考えても見つかりません。ただ、ある方からヒントは頂きました。それは「社会全体のことを考えてみるとわかるかもしれない」と。まだ、全くピンときてはいないのですが、とりあえず生々しい発想をやめてみることが肝要なようです。(笑)もう少し会計の勉強を頑張ってみます。

 

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感謝

 

 Amazon prime video の無料期間をいいことに、夜な夜な映画を観ています。高校三年生のセンターが終わったその日に、(小説)『君の膵臓をたべたい』著:住野よる を読んだのですが、それから約一年半。初めて『君の膵臓をたべたい』の映画を観ました。小説を読んだ高校生の時は、今の僕から見たら明らかに頑張り方を間違えていたのですが、当時の僕なりには、100%で頑張っていたなと思います。そして一年半も経つと、同じ作品を観て(読んで)も、見るところ、感じるところが違っていました。小説を映画化した時のがっかり感が全くと言っていいほどなくて一安心。小説同様に涙してしまいました。

 

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梯子に階段

 映画で感化された勢いをそのままに、いい機会として普段はなかなか言えない「感謝」を綴りたいと思います。新学期が始まり大学生活は、はや一年半。この一年半でだいぶ見えること、感じることが変化してきました。周りの方はお察しだったと思いますが一つ、念には念のためぶっちゃけ。大学生活1年生半ばまで、僕は自分のことしか考えていない人間でした。自分で自分にスポットライトを当てて、自身が成長するためにはどうすべきかを常に考えて行動するように心がけていました。そして自分の成長がとても有意義で、いつか人に役立つだろうと本気で思っていました(苦笑)。でもそれで人は大きく成長することは絶対にできない。そう教えてくれた方々がいました。ただ、教えてもらえるとはいえ、答えを安易に示すことはありませんでした。むしろ「僕のためを思ってくれているが故に敢えて」、あまりしてくれませんでした。「こうやったらうまくいくから、こうやってああしなさい」とエスカレーターやエレベーターを用意してもらえるではありません。ただその代わりに、梯子や階段を用意して頂きました。「登るのも自由、途中で降りるのも自由だし、休憩するのも自由だよ。」意思決定は僕自身が下し、その上でヒントとなる一段一段を示して頂きました。

 

情けは人の為ならず

 僕はクサい言葉が嫌いでした。いや正確に言うと、感謝の言葉をクサい言葉と考えてしまう癖があったのかもしれません。所謂かなりの偏屈でした。(未だにかも笑)しかし、今はだいぶ感謝の言葉を感謝の言葉と捉えることができるようになっています。そう捉えられるようになってきたカギが「人に貢献すること」が大切で「一番の成長につながる」と分かるようになってくることです。これは体感的なものである気がして言葉にする自信がありません。もちろん理論じみたことは言うことできます。「人は一人で生きていけないから、人に貢献して、支え合って生きていかないといけないの」「社会って人と人との関係で成り立っているんだから、人に貢献するのが基本なんだよ」とかなんとか。やはり文字面だけだと全くと言っていいほど伝わりません。ただこのようなことは、あらゆるところで強く訴えられています。偉人たち、たとえば経営学でいえばドラッカー、心理学でいえばアドラー等。さらに漫画や書籍や映画などでも強く強く「人に貢献することが肝要だ」と訴えられています。もちろん僕が夜な夜な観た『君の膵臓をたべたい』にもこのメッセージが含まれているのだと今の僕は思います。

 

千里の道も一歩から

 僕が今やるべき努力は「人に貢献すること」だと思っています。気づいたとしても、なかなか実際にやるのはとても難しいです。「よしやるぞ!」と思ってもなかなか行動に移せない自分に、もどかしさ、情けなさをこの頃感じてばかりです。だからまずは人の話を聞くとか、周りの人をみるとか、話しかけるとか。そういう小さいことから始めるのが僕にはとっても大事だと感じています。まずは小さく「人に貢献」ができるよう日々頑張っていきたいと思います。気がつくのが本当に遅い僕ですが、今まで出会った方々へ、「ありがとうございました」。

 

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見えてるのに見えてない

 

企業研究スタート

先月のこと、マネジメントゲームを導入した企業でMG研修に参加し、工場を見学させていただきました。たかがゲーム、されど、されど、されどゲーム。マネジメントゲームが実際に導入されているのか、一つイメージを持つことができたのはとても大きなことでした。それに際して僕が今からやるべきことは、経営の成功パターンを多くストックすることだと教わりました。Xという状況の時は、Aという経営手法、Yという状況の時はBやCという経営手法と。ということで企業研究をこの夏から始めました。

 

うどん

企業研究をするにしても、「いきなり大きな会社について、例えば『トヨタ物語』を読んだりするのは少し荷が重いな〜」これが正直なところです。とはいえ、「それなりに大きい会社でないと資料は少ないし...」こうブツブツと言い訳じみたことを唱えています。そんなこんなで、まずは自分の好きな食べ物、うどんから企業研究に取り掛かることにしました。ってことで、うどんと言えば丸亀製麺

 

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法律なんて真剣に考えたことなかった

書店にとってまず手に取ったのは、『丸亀製麺はなぜNo.1になれたのか? 非効率の極め方と正しいムダのなくし方』著:小野正誉 です。うどん好きにはたまらない本です(笑)。ところで、経営の成功パターンをストックするには、企業の周辺情報を集めることが大切と聞きました。例えば、政治や補助金やら法律などなど。そして丸亀製麺も例に漏れることなく、法律が創業時に密接に絡んでいました。

丸亀製麺が誕生した2000年、大型商業施設の出店を規制していた大規模小売店舗法が廃止されたそうです。丸亀製麺はフードコートに多くお店を出し、繁盛していたのですが、法律廃止により、出店要請が相次ぎさらに繁盛したそうです。

ところが2006年まちづくり3法が改正され、大型ショッピングセンターが出店できるエリアが再び規制。フードコートを中心に加速していた出店が一気に減り、丸亀製麺は苦境に...。

そこで発想を転換。今度は、ロードサイドに店舗を展開したそう。なんで成功したって?それはさすがに本を読んでみてください(笑)

 

見えてるのに見えてない

本には、釜揚げうどん並が無料のバーコードがついてあり、読破後つい、足を運んでしまいました。本の内容をチェックしてやらんとばかりに店内へ一歩、二歩。本に書いてあったことと店内を照らし合わせてはプチ感動!丸亀製麺の秘密が数多隠れていました。

ここで、一呼吸して考えてみます。僕は丸亀製麺に今まで何回も入り、うどんを食べたことがあります。ところが店内の工夫には特に気がついていませんでした。

例えば、店内で働いている人の割合は40代くらいの中年でかつ女性が多いこと。これは、料理経験が豊富な人の方が料理が単純に上手だから。それにアットホーム感が醸成されるからとのこと。

今までも、丸亀製麺に入った時、40代くらいのパートの女性は僕に見えていたはずです。でも、どういう年代の人や性別の人が働いているかなんて意識したことがないから、ただ景色として移っていたのです。

つまり、見えてるのに見えてない

ここで、なんて当たり前のことを言ってるんだと突っ込みたくなると思う人もいるかもしれません。ですが、これこそ勉強の醍醐味なのかなと個人的には思います。「見えてるのに見えてない」を減らすこと、見える状態にすることはチャンスの神様の前髪をつかむことに匹敵するのではないでしょうか。

まだまだ企業研究はスタートしたばかり、コツコツと経営の成功パターンをストックしていきたいです。

 

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幽霊ホテル!?

 

 先日岡山県津山市のMG(マネジメントゲーム)に参加してきました。MGを実際に導入した企業で開かれたMGであるため、僕にとってはとても新鮮で勉強になりました

 マネジメントゲームを体現した会社ってこんな感じなのか!

とイメージを持つことができたのは何よりの収穫です。

 

科学という下敷き

 MG研修が行われた企業は、今伸び盛りであるとのことです。数年前まで、年商がゼロ8つほどだったのが、数年後にはゼロ10になる見込みのある会社です。ではなぜ、それだけの成長ができるのか。これは何千何万もの努力や工夫があり、一言では決して表せないですが、あえてひとこと言うと、

経営の下には「科学」がある

からだそうです。ただ、この科学を駆使するためには膨大にな知識が必要です。

 

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曇天模様の津山

 

博覧強記であれ!

 経営において、科学を下敷きにしておくことがものすごく重要とのこと。そして、科学を駆使するには膨大な知識が必要と書きました。ただ、膨大な知識といっても闇雲に知識をつければいいというわけではありません。

経営においての成功パターンをできるだけ多くストックしなさい!

ということです。

 例えば、MGの先生から聞いた話では、現在のタイの状況は高度経済成長期の日本と状況が似ているから、その時期の成功した日本企業の戦略をすればうまくいく可能性が高いとおっしゃっていました。ただ、タイは今から少子高齢化に差し掛かるから、同じ手では行き詰まってしまうと聞きました。

 つまり、状況は刻々と変化するから、1つの成功パターンだけしか持っていないと、一時成功していてもすぐに企業は失速、墜落するよということです。だから成功パターンをできるだけ多くストックしておく必要があります。

 しかしながら、成功パターンをできるだけストックするには、膨大な周辺情報が必要です。事業を展開している(する予定)の国の政府はどういう体質や政権体制か、税制度はどうか、補助金等の支援制度はあるのか、経済はどうか、人口ピラミッドはどうか、国民柄や気候、法律、周辺国の状況など、実に様々な周辺情報を把握した上で、初めて状況をつかむことができます。そして、状況をつかんだ上で、この状況ではこの手段が有効と、1つ成功パターンを見つけるわけです。

 ともすれば、1つの成功パターンを見つけるだけでも膨大な情報を把握しなければならないのに、服すの成功パターンをストックするとなれば、もっともっと沢山の情報を把握しなければならないのです。

 ここで言えることは、「博覧強記であれ!」です。自分自身、地道に1つ1つ勉強をしていかなければです。

 

実在するんだ幽霊ホテル...

MG研修1日目にちょっとしたことが発覚しました。それは、僕のとったホテルが津山で有名な幽霊ホテルだったことです。

「今日ホテルどこですか?」

と聞かれ、

「〇〇ホテルです」

と僕が答えると、

「出た!!!」

いや、何が??

「そこのホテル、幽霊が出るんですよ!」

「え...」

研修中にそれを聞いたもんだから、自分の作業(決算)に全くもって身が入らなくなりました(笑)。一緒にMGに参加されていた方も言い出します。

この間、そのことを知らないで奥さんにそこのホテルをとったんだよね...。そしたら、夜奥さんがパニックの状態で電話してきた大変だったとか。

「いや、マジのやつじゃん」

さらに、そこのホテルは外から見ると、全くもって廃業してるように見えるらしい。地元民の間では有名な幽霊ホテルとのこと。

確かに、後々振り返ってみると、アプリでホテルを予約した時に、写真が一枚もなかったな。考えてみれば他のホテルより安かったし。

安くて写真の掲載がないホテルはご注意を!

 こう見えて?(どう見えてるか知らないけど、)小心者の僕はすぐにキャンセル。他のホテルを取りました。それでも妙に広い部屋が怖い、落ち着かない(笑)。

津山に行く用事があって、勇気のある方。ホテル名をお教えします!是非僕の代わりで幽霊ホテルに泊まってきてください(笑)

 

 

目から鱗の工場見学

 MGを導入した企業の見学は自身、初めてでした。MG(マネジメントゲーム)を一年間ほどやって、経営がどういうものか、ほんの少しわかってきたものの、実際の企業のイメージは持っていませんでした。そして今回、MGを導入した企業の工場を見学させていただきました。

 そこの工場はとにかく綺麗でした。整理整頓は無駄な時間を短縮する上で一番重要なこと。環境整備の徹底ぶりには驚かされました。さらに、工場見学は社長さんの解説付きというプレミアムなものだったので、ただ見るだけではわからないところを多分に解説していただきました。すべてのモノの配置に意味があることや研究開発がどれだけ優れているか、設備投資にはどういった狙いがあるのかなど、色々と聴かせていただきました。

 

〜すみません、ここからはMG用語で〜

 ここの企業はとにかく、研究開発(青チップ)が強い企業でした。繊維に鉱石を入れこみ、遠赤外線の効果で保温効果など、ポリエステルよりも優秀な生地を作りあげていました。(イメージは青チップ10枚以上)。そして、工場内はスムーズに完投ができるような作りになっていました。「完成投入!」と声が聞こえてきそうな気さえしました。さらに、ここの企業は、多くの社員にMG研修を受けさせるなど、徹底した教育ぶりです。黄色チップも強い!

 そして、一番のポイントは、青チップ、赤チップ、黄チップの掛け算がきちんと機能するような会社づくりがされているということです。例に挙げると、社内の雰囲気がとてもいいことや、工場を日本に構え、一貫したロット生産をおこなっていること、若い社員を採用して教育を徹底していることなど様々です。

 MGをしていて、きちんとチップの掛け算が起こるかなと僕は考えたことがありませんでしたが、実際はこのことを考えていないと青チップ、赤チップ、黄チップを積むことは、ゼニを捨てるようなもの。この企業では、このチップの掛け算が起こるようにするための工夫が凄まじかったです。

 

青チップにより良い値付けがされてあるので、なかなか大学生の僕には手が伸びませんが、クオリティの高い商品なので、人にプレゼントする時に奮発しようかななんて思ってます。いつか(笑)

 

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危うく新幹線

 

 今朝は大失態をやらかす一歩手前でした。今日は早朝に広島を発ち、岡山県津山市で社内MG研修に参加させていただく予定でした。朝四時半におき、寝ぼけ眼で広島駅を向かっていました。そしてその道中、僕の勘違いが発覚します。MGでお世話になってる方に「今日はよろしくお願いします」とメッセージを打つと、「今日じゃなくて明日だよね?」と一言。「...。明日!!」。まさかの研修の日にちを間違えてました。危うくそのまま新幹線に乗り込んで津山へと向かうところでした。2、3ヶ月に一度発症する天然ボケが、このタイミングで...。

 

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まさかの帰宅を出迎える

 

MG仲間が増えた!

 今月も広島で開催されたMG(マネジメントゲーム)に参加しました。毎月参加する中で、徐々にいろんなことが見えてきました。それは、経営や会計についてももちろんですが、自分に足りないといところがたくさん。例えば、人にあまり興味がないとか、とか、とか。すごい根本的な問題に気がついて、半年ぐらい徐々に改善中。まだまだ長期間の治療が必要そうです。ここを変えることができると、ホップ・ステップぐらいはできそうです。

 広島MGでこう色々と広い意味で勉強させてもらっているのですが、ついに同じ大学の中国人留学生の友達も広島MGに参加してくれました。今月の広島MGは、福岡、京都、神戸と遠くからの参加者が、職業は、経営者や従業員に会計士、コンサルタント、小学生、高校生、大学生、留学生とかなりバライティーに富んでいました。

 そして、友達の留学生がまさに多種多様な人たちの中でゲームをしている姿を見ることができてよかったです。MQ会計の「売上が上がれば必ずしも利益が上がる」とは限らないとことの理論に感動しているのが印象的でした。

「大学で習う会計ではそこのところが全く見えないし、教えてもらえない。むしろ誤解してしまう。そりゃ感動するよね!!」

 こっから一緒にがっつり勉強できて、切磋琢磨できることを想像するととっても楽しみです。

 

ここからの一年

 約一年間、MGを通して、経営や会計の有効な捉え方、認識の仕方がわかってきました。まだまだ分からないことだらけではありますが、去年の今に比べたら、かなり成長したなと思います(かなりの手前味噌)。ただ、ここでどうしても頭によぎる、避けては通れない問題が目の前に立ちはだかってきます。

それは、「結局、自分は何がしたいの?」ってことです。

これがどうあがいても見つかりません。ただ、この一年でヒントは見つけました。

それは

「絶対に正しいことはなかなかない。だからこそ、世の中に選択肢を提供する」

ということです。これは知識としてではなくて、徐々に感覚的にわかってきたことです。高校を卒業してから150冊以上本を読む中で、「絶対的に正しいことはない」とわかってきました。

 例えば、文化人類学社会学は対立します。経済学と心理学も、人権問題やジェンダー問題と遺伝学も対立。どの分野もそれなりに根拠を持っていて、説得力のある理論を持っています。さらに、大学の統計学の先生に聞いた話ですが、学問で証明できるのは2つの分野だけだとおしゃっていました。その二つは、論理学と数学です。つまり、世の中は「答えのないことばかり」なのです。

 

先日、東京にプログラミングを学ぶという大義名分で行きました。その主催者の一人は起業家で、尖った人材を輩出しようとする高校を作ろうと画策していると話していました。そして、こんなことを言っていました。

 自分の作る学校が絶対的に正しいとは思っていない。ただ、日本の学校文科省がほとんど認可している学校で、如何せん選択肢が少ない、と。だから、「こういう学校あってもいいんじゃない?」と選択肢を提供したい、のだと。

 

 この認識はとても大事であり、自分がこれからやることを見つける上ですごい大切なことだと思います。この意識があると、批判があっても、自分は一つの選択肢を提供しているんだと、自分の行動に自信が持てますし、何より他の人を認めることが楽にできます。

 そしてこれからの一年、ある選択肢を提供している企業を実際に回ってみたいと思います。それもMGを導入している企業。ゲームが現実でどう導入されていて、どうゲームの力が発揮されているのか。

 とりあえず、改めて津山へ向かいます。気を取り直して今日は岡山で一泊。

 

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試験落ちた...

 

一つ、ショックなことがありました。それは酷暑が幾分か和らいできた夕暮れ時のことです。「ちゅんちゅん」と陽気に小躍りしていました。そう、一匹のスズメがセミを食べていました。

「そんなに大胆だったんですね...」

唖然して立ち尽くしてしまいました。いやー、よりによってセミなんて食べなくていいじゃん。なんでそんなことするかね(笑)。僕の頭の中では、スズメは可愛く、穀物を突っついてる存在なのに。だってもっとあるじゃん、精米所の前を陣取ってお米のおこぼれを狙うとか、いっそのこと直接田んぼを襲撃するとかさ(まだ稲に実はついてないか)。

でもこういう景色が目に入るのって、僕には珍しいなと思います。なぜ、目にこんな一場面が入るかって、試験に落ちてナーバスだからです。

 

いちおう弁明

その試験とは、プログラミングを一ヶ月で叩き込んでもらい、ザッカーバーグフェイスブックを開発する前のレベルまで一気に持って行こうというコンセプトの選抜試験の一工程、第一段階です。試験は全部で4段階あって、その第一段階で落ちました。試験は恵比寿で行われ、ビールが苦いだけに、思い出も苦いものとなってしまいました。内容は、プログラミングチックな日本語を使った問題や、SPI、潜在能力テストなど。事前に試験内容の予告はなく、参加者一同、ぶっつけで臨んだようです。初めてやったSPIや潜在能力テストは結構面白かったです。ただ、それをやりにわざわざ東京に出たのかよ。無理くり、今の自分にはとっても有意義だったと言い聞かせてます。(学んだことは次回のブログに回すことにします。)

 

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はい、恵比寿

翻って神谷美恵子

なんだかんだで、試験に落ちるとショックです。「別に人生に大ダメージってわけじゃないし」なんて言い訳してみたり、「試験落ちた、日本〇ね!」といってみたり、自分でも情けないです(笑)。気にしないようにしてもムシャクシャするので、ガラッと視点を変えてみます。改っていうと、この恵比寿話は、自分のスキルアップのために起こした行動の話でした。だが、ここからは、試験に落ちた言い訳、腹癒せの如く、スキルアップどうこう以前の話をしていきます。

広島に帰ってきてから一冊の本を読んでいます。その本は神谷美恵子の『生きがいについて』という本です。神谷美恵子とは、光田健輔を発端とする、ハンセン病患者の強制隔離政策に基づいてできた、岡山県瀬戸内市の島にある長島愛生園で精神科医として叩いていた方です。ついこの間、ハンセン病どうこうで、裁判の判決が出ていましたよね。ハンセン病患者に対しての国等の対応は国も謝罪をしましたし、よくないとは思いますが、一概に全てが悪だとも言えなく、この話はちょっと横に置いておきます。この神谷美恵子は、ハンセン病療養所:長島愛生園で、ハンセン病を宣告され、生きがいを失った人たち、失いかけた人たちを観察してきました。そして彼女の著者:『生きがいについて』で興味深いことが書いてありました。

 

全か無かの法則 

高校で生物選択をした人は聞き覚えがあるかもしれません。全か無かの法則(悉無律とも言います)、ある一定の値(閾値)以上の刺激が加わると筋肉が反応するが、閾値以上の刺激が加われば加わるほど、反応が大きくなるというわけではありません、反応刺激が大きくなったからといって大きくはなりませんという法則です。高校生物の神経の説明のところで出てきました。この全か無かの法則を用いて、「生きがい」が、『生きがいについて』の中で紐解かれていました。

例えば、自分の生きる意味とは、「仕事をするためのみにあるのだ!」「幸せな家族を築き上げることのみにあるのだ!」と言い切ってしまうとすごく苦しいですよ、ということです。いろんなことをちょいちょいやった方が幸せではあるかもしれないということです。ここで全か無かの法則を当てはめてください。

つまり、仕事をいくらやったとしても、いくら幸せな家族を築き上げようと努力しても、全か無かの法則に基づくと、幸せを感じる大きさ(反応の大きさ)は限られている訳です。

仕事で感じらるハッピー量は10ハッピーまで。家族で感じられるハッピー量は10ハッピーまでという風に。このように一つのことのために生きていると辛いのです。逆にいうと、いろんなことをやると幸せ。言い換えると、多趣味だとハッピーだと言えます。

仕事一筋だけだと感じらる幸せは10ハッピーだけど、例えば多趣味の場合、仕事で10ハッピー、家族で10ハッピー、趣味の料理で10ハッピー、友達と遊んで10ハッピー、ユーチューブを見て10ハッピーというようにたくさん幸せを感じられる訳です。

 

立志

全か無かの法則を踏まえると、一つのことに卓越することと幸せを感じることは必ずしも両立し得ないということがわかります。だから、有名人で尊敬の眼差しを浴びている人が急に自殺をしたりすることがよくあるのかもしれません。まあ、ともあれ、本を一冊読んでグラグラと価値観が揺らぐ僕はまだまだ、志を立てることができていないと感じます。何を大切にして生きていくのか、何にどの程度力を入れる生き方をするのか、どれほどバランスを取るのかとらないのか、探していきたいと思います。

 

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三年後の稽古をせよ

 熱暑で気が滅入りそうな近頃、テスト勉強、レポートに追われる日々です。レポートの内容が定まらずに読書、読書、一呼吸置いて、読書。今日はそんな読書で気がついたことについて書く所存です。

 

客観的ではない

私は、この数年で読書の虫になりつつあります。レポートに追われ、ネタを探す中で、先月は本を16冊読みました。飛ばし読みはしないタイプなので、自分にしては上出来であろうかと思っています。かくの如し、大学生になってから大量に読書をする中で、気がついたことがあります。それは本が客観的なものではない、ということです。「そんなの当たり前じゃないか!!」そんな揶揄が今にも聞こえてきそうです。しかしながら、本を習慣的に読むようになって最初の頃は、すぐに本に感化されてしまう傾向が自身にはありました。「この考え方面白いな、これが正解なのだ」と。ただ、これはとても浅い読書でであり、客観性を意識していない読書法です。もちろん、本を書く方の多くは、すこぶる客観性に注意を払っており、ある程度の客観性は本には担保されている面もあるともいます。ただ、いくら有名な著者であったとしても、客観ではなく、主観で書かれたものです。(主観で書かれているからこそ読書には面白みがあるのですが...)文字を綴っている人のことを想像することが大切。(読書の)量をこなす中でこのことに、あるとき膝を打ちました。

 

成長が目に見えない辛さ

読書をする上で辛いこと、それは成長を感じられるようになるまで、かなりのタイムラグがあるということです。本を読むと、頭の中は幾分か変わったと思えるのですが、自分の行動により結果が出るようになったなと思えるようになるには、結構な時間を要します。そして自身も、まだまだ読書による成長をなかなか感じていません。ただ、長いスパンで見たときに、大きく成長するだろうと見込んで、私は日々文字を追っているわけです。そして、僕がこの考え方をしていることを支えている言葉にがあります。それは、「三年後の稽古をせよ」という相撲界由来の言葉です。一見地味な練習がを継続することが、大成するためには必要。そして、その練習は三年という長い月日が経ったときに表れるという意味です。地味なことを継続してやるのは辛いものですが、スポーツにしろ、勉強にしろ、何にでも言えることだと思います。まだ完全には読書の有用性に合点がいっていませんが、「三年後の稽古をせよ」この言葉を胸に、読書を続けていこうと思います。

 

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