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借金するのは悪いこと?
〜大学生になって気がついた高校時代の失敗と戦略的借金〜
今日は金曜日、オンライン授業と課題地獄の最中、束の間の休憩で借金について書きます。なに、こましゃっくれてんだよ、と思われるかもしれませんが御許しを。
早速ですが借金に対して、どんなイメージを持っているでしょうか。おそらく多くの人が悪いイメージを抱いていると思います。僕も大学生になるまでは、テレビで、「お父さんが経営している会社の借金を払えなくて、家に取り立てが来て、所有物がなくなり、家族はバラバラ」というなんとも悲惨な映像を見た記憶があり、借金に対しては悪いイメージどころか、「借金はしてはいけないもの」と思っていました。しかし、借金の本質を知ると、借金が決して悪いものであるわけではないことがわかります。(ちなみに、今は会社法上、株式会社の場合、原則として債権者からの取り立てを株主(個人)が直接受けることはないのでご安心を。)
会社・会計の勉強をするとわかる借金の本質
大学生に入ってから、興味で勉強してるのが会計です。会計と聞いただけで、「計算いやだ」とアレルギー反応を起こす人や「所詮金勘定でしょ」と鼻で笑う人もいるかもしれません。しかし、会計ってすごいんです(笑)。会計の勉強をすると、「会社が一体全体何か」や「資本主義の一部」が見えてきます。海外のある国では、会計はきちんと義務教育に組み込まれているそうですよ。まっまっ、会計愛はこの辺で押さえといて、借金の話に。早速ですが、
借金とは、「時間を買うこと」です。
世の中にあるほとんどの企業は借金というものをしています。(一部自己資本のみで資金を賄っている企業もありますが)。なぜするのかというと、投資をするための資金調達です。例えば、1億円で工場を立てる建てたいと社長さんが思っているときに、手元に1億円がないとします。すると、なんとか頑張って1億円を貯めるという方法が考えられますが、それには時間がかかります。また、たとえ手元に1億円があった場合でも、借りたお金で工場を立てれば、手元にある1億円は他のことに使えますよね。手元にある1億円を使っちゃうということは、ある意味1億円を使う選択肢を潰すことになり、潜在的なチャンスを失うことになります。だから、借金は「時間を買うこと」ということができます。(ちなみに、利子は時間を買うのにかかる費用です)
個人に当てはめられる「借金は時間を買うこと」という考え方
この話は、会社のことだけではなく、個人にも当てはまります。例えば奨学金。僕は大学に通っているのですが、4年間で約200万円ほど借りて大学に通うことにしています。(借りています)。勉強が好きで、将来に役立つ勉強をしたいと思ったから大学に行くことを決めました。もちろん借金をするからには、絶対に返さないといけません。また、借金して手元に得たお金は、遊びの金に使うのはご法度です。あくまで投資。そして、時々学生が奨学金を返せないというニュースを耳にしますが、そうならないように稼ぐ力を磨き、将来実際に稼いで返すことがマストです。この考え方に対し、大学で勉強することは、「将来に金を稼げるようになるためではない」と真っ当なご意見をお持ちの方もいるかもしれませんが、稼げるようになることが、奨学金を借りたものの責任であるというのが僕の意見です。もし僕が奨学金を借りてなかったら、働いて大学に行くお金を貯めてから入学することが必要であり、おそらく数年はかかるでしょう。その数年をショートカットできるのが「借金をすること」のメリットです。
高校時代の失敗
大学生になって、もっというと教えるプロに出会ってから気がついた高校時代の失敗があります。それは塾に行かなかったことです。僕は今まで塾に通ったことがありませんでした。なぜ塾に行かなかったと言えば、母子家庭でお金がなかったというのが一番ですが、独学で勉強すればいいという思い込みも、どこかにあったからです。勉強するためのお金なんて、奨学金をもっと調べて応募したり、教育ローンを組んだりだなんだで、なんとかなる話だったと思います。でも僕は、独学でいいやと思っていたり、ある種独学が美徳とすら思っていたりしている部分もあり、借金をしませんでした。なぜなら、あることに気がついていなかったからです。それは「教えるプロに教えてもらうことが一番能力を伸ばすことの近道である」ことです。やはり、教えることに長けていて、ある科目や学問に精通している人に教えてもらうと、理解度も楽しさも違います。大学生になってから、教える人の上手な人に多く出会って、やっぱり良い教育はお金を払ってでも受けるべきだと身をもって体験しています。そういう意味では、教育を思う存分受けることのできる子供は羨ましいです。親戚に頭下げたりしなくていいし、勉強したい放題だし、ほんと恵まれてんな〜って。貧乏なら、戦略的借金をして良い教育を受けるべきだというのが僕の考えです。
今はいい時代
結局のところ、勉強するのに必要上でネックになるのはやはりお金です。大学に通ったり、留学するとなると数百万するのが当たり前です。だから、(傾向の話になりますが)富裕層の子供の方が、質の高い教育、レベルの高い教育を受けることできるチャンスがあります。そして学歴も高い傾向があり、将来稼ぐ額も高い傾向にある。金持ちは金持ちの子供を産み、貧乏は貧乏の子供を産むというやつです。ただ、これはあくまで傾向の話であって、のし上がることはできます。僕はのし上がります。そして嬉しことに、この傾向を緩和する動きに今この時代、あります。それが顕著なのは、YouTubeと書籍の進化です。ここ3年ぐらいでYouTubeにわかりやすい勉強チャンネルがたくさん出てきているように僕の肌感覚では思えます。例えば、英語なら「がっちゃん」数学なら「ヨビノリ」、歴史ならオリエンタルラジオ中田の「Youtube大学」と。さらにここ数年、学校の勉強では教えてくれない学問の全体像、分野ごとの横のつながりを教えてくれる書籍が増えているように感じます。お金がなくても良い教育を受けることができるという、いわば教育の分野で民主化が起こっているように思えます。
最後まで読んでいただきありがとうございます
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こころとの向き合い方 ZEN
ここのところオンライン授業だなんだで忙しく、2ヶ月ほどブログを書いていませんが、今回は自分の中で引っかかっていること、最近ある出来事に遭遇して、新たに考えが進んだことを書きます。何についてか、一言で言うと「こころとの向き合い方」です。
曹洞宗だったこと発覚!
この4連休(とはいえ大学は木曜日・金曜日と授業があったので実質2連休)の最終日、祖父の49日がありました。ペーパードライバーに逆戻りしないためにという大義名分で運転して、寺へと向かったのですが、まぁ山の中。なぜ山の中にあるって?なぜなら曹洞宗だから。
曹洞宗とは、なんぞや。祖父の家系が曹洞宗だったことに、祖父が亡くなってから、つまり最近知ったのですが、曹洞宗、実は皆さんにとってとても身近な存在です。例えば大晦日。除夜の鐘が煩悩の数つかれるわけですが、これは曹洞宗のお寺で行われます。そして、座禅。何か考えてしまうと無であらず、と後ろから叩かれるあの、座禅。これも曹洞宗によるものです。この曹洞宗、禅、実はとても歴史的に興味深いものです。
宗教のイメージとかけ離れる曹洞宗・禅?!
祖父が亡くなってから、曹洞宗ってなんだ? 禅ってなんだ? って初めて人生で調べました。調べている中で、とってもわかりやすく全体像を掴める説明が、オリエンタルラジオ中田のYouTube大学の『禅の心』の回です。禅の説明についてはそちらがわかりやすいのでそちらにお譲りしますが、僕がブログを書く上で必要なとこで少し引用させてもらうことにします。この禅を大切にする曹洞宗は、仏教というものであり、宗教の一部です。しかしながら歴史を見ると、政治といった権力や人の欲望に迎合することなく、粋であり続けたのが曹洞宗であるそうです。だから、多くの人が抱く宗教というイメージとはかけ離れており、むしろ宗教というよりも、メンタルコントロールのメソッドに近いような捉え方がいいような気がします。そして仏教というものは、本来「無」を大切にし、キリスト教やイスラム教といった一神教とはまるで異なります。しかしながら、
「無」を大切にするってよくわかんないよね?
ということになり、人には伝わりづらく、進行はなかなか広がらなかったそうです。そこで、お経を唱えましょうだったり、経典が全てですだったり、とわかりやすくしたものが、浄土宗や浄土真宗、日蓮宗だったりするわけです。すると、「〇〇が正しい、全てだ」と仏教が一神教っぽくなっているわけだそうです。だから、権力者だったり宗教同士、仏教同士でも対立が起こるのですが、禅を大切にする曹洞宗は違う、異質な存在です。
世界中で受け入れられるZEN
世界には様々な人たちが様々な宗教を信仰しています。それにもかかわらず、仏教の一種である禅が世界中で受け入れられているという奇妙なことが起きています。しかしこれは禅が、「答えは何もない」「自分と向き合え」と内向きであり、人の持っている思想(宗教)や権力とバッティングしないからだそうです。例えば、(ブルースリーの中でもですが)、スター・ウォーズで、ヨーダが "Don't think, feel"というわけです。これなんかは、アメリカで禅の考え方が、受け入れられている証左だと僕は思います。他にも、アップル創業者のスティーブ・ジョブズが禅を大切にしていたことで有名ですよね。このように、仏教だけど、宗教ぽくない禅が、宗教を信仰している世界の人々に受け入れられているわけです。禅がZENになっているわけです。
こころと向き合う
禅のことを調べて面白いなと僕は思っているのですが、禅なんてやったことないので詳しくはよくわかりません。しかし、禅は欲を捨てることができたら、お釈迦様のもとで修行ができるという考えらしいです。しかしながら人間は、欲望を持つ生き物であり、欲望を捨てろなんて無茶です(笑)。人間は感情を持ち、欲望のままに動くものです。だからこそ、人は失敗し、悩むものであるのかなと思います。僕自身、自分の気持ちや感情との付き合い方に悩みます。
お金による感情と幸せの問題
ここで少しだけ、僕のプチ悩みを書きたいと思います(笑)。21年という短い人生ですが、いろいろあって今のところお金に振り回された人生です。だから勉強したくても、思う存分勉強ができない人の気持ちや、お金による理不尽で辛い思いを抱く人の気持ちが、ほんの少しだけではあると思いますが、わかります。かろうじて僕は、奨学金で大学に行けているのでラッキーな方ですが。
ここで、一つあまりよくない感情ですが、僕が持っている感情について書きます。それは
「見返したい」
という感情です。
正直にいうと、お金のことで理不尽な目に合わせた家族や親戚を
「見返したい」
「お金持ちになって・社会的地位を得て、見返したい」
という気持ちです。家族や親戚に対しては感謝しなければならない対象ですが、でも感情的には嫌いだし、「見返したい」。しかしこの考え方で幸せになれるかというと、明らかに間違っていますよね(笑)。お金や名誉が全てでないことは、今や世界の多くの人に知られていますから。でも多分、お金持ちにならないと、社会的地位を得ないと、僕のこの感情は消えない気がします。
自分とさらに向き合う
「金持ちになること」や「社会的地位を得ること」を僕は決めています。「お金を追求することは悪い」「拝金主義は悪だ」と思ったりもしますが、正しいかどうかではなくて、抱えている感情を消すために。もう、そこは割り切っています。人は欲を捨てられないと。ただここで僕自身心得ておくべきことがあります。それは
〇〇が正解である
なんてものはないということです。お金を追求すること(資本主義)が幸せの追求の答えでもないし、ただただ、ぐーたらして楽しく過ごすことが幸せの追求の答えでもないわけです。お金も全てじゃないけど必要だし、ゆったりすることも全てじゃないけど必要。これはすべてのことに言えます。
絶対に正しいものなんてものはないからこそ、自分と向き合うことが大切だと感じます。
ちょっとZEN、気になるな〜
最後まで読んでいただきありがとうございます
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Boys be ambitious : 少年よ、大志を抱け
少し古い本。第二次安倍内閣が発足してからちょうど一年くらいの2014年1月に書かれた本を読んでいます。
政治に関しては、あんまり知らないのですが、最近法律やらなんやらを勉強する中で、どうしても政治に関する基礎知識の習得は避けて通れないと思い、本を手に取っては読むようにしています。
とはいえ何から勉強すれば良いのか。特に見当がついているというわけでもないので、なんとなく、「アベノミクス」から調べていこうかなと思っています。もちろん、3本の矢が「金融緩和」「財政政策」「成長戦略」の3つで構成されていることくらいは耳にしたことがありましたが、いまいち内容はわかっていませんでした。
改革は大変
上の写真の本は、対談形式で書かれており、竹中平蔵さんの主張をうまく田原総一郎さんが引き出すという感じで話が進んでいきます。
読んだ感想は、「いろいろ改革をしようとしてんだな〜」という感じです。
小泉政権時代の話から、民主党政権時代、そして安倍政権時代の話と話題豊富です。
内容については、理解できるところ、できないところ。納得いくところ、いかないところ個人的にはあるのですが、一番強く感じたことは「改革は大変」ということです。
みんなハッピーにはならない、でも前に進まないと
安倍政権が何をしようとしていたのか。例えば、「公務員制度改革」や「混合診療の導入」、「農業へのテコ入れ」、「日本企業における社外取締役比率の押し上げ」などです。ずっと長年変えられることのできていない重要な問題のようです。
これらの問題になんとか手をつけ、改革してやろう。そんな気概を安倍さん一応は持っていたようです。でも結局なかなか完全に問題解決には至らないようです。
では、なぜか改革をすることができないのでしょうか。
既得権益者が猛反対をするから
この一言につきます。
具体例は出しませんが(笑)、やっぱ人間自分が一番大切。自分の利益が大切。改革が進められ、不利益を被ったらほとんどの人が嫌がりますよね。だから改革は中々進まないし、世の中は中々良い方へ好転していかないようです。
しかし、それでも改革しなければ、本当に世の中はダメになってく。そんなメッセージを発する竹中さんの主張は印象的でした。既得権益と戦わなくはならない。アンハッピーな人が出てでも、前に進まなければならないのです。
必要なのは大志
中々進まない、改革を推し進めるには何が必要か。大志が必要だと本の中では書かれています。自己利益を考えるような小さな志ではなく、
「世の中を良くしよう」
「未来の世代に貢献しよう」
こういった大志を抱く人が増えることが大切だと。
その言葉を目にした時、北海道に像があるあの人の言葉が思い浮かびました。
Boys be ambitious :少年よ、大志を抱け
そう、クラーク博士の言葉 "Boys be ambitious" 「少年よ、大志を抱け」です。
懐かしいかな、高校の修学旅行の時に、クラーク博士の像の横で写真を撮りました。その時は、この言葉の意味、まったく持って意味がわかっていませんでした。
ただ、大きな夢を持つことが大事なんだな〜
くらいに。
でも、どうやらそんな意味だけを持つ言葉ではないようです。
何かを変えようと思ったら、絶対にアンチ、既得権益者と戦わなければならないことになる。ある意味みんなをハッピーにすることはできない。それでもやり通すには、
「大志」が必要。
だから、クラーク博士は、
Boys be ambitious : 少年よ、大志を抱け
この言葉を残したのだと僕は思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます
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元を辿れば
お久しぶりです。約1ヶ月ぶりにブログを書きます。この状況で4月に入ってからはほぼ家にステイしています。さすがに家だとやることが限られているので、最近は勉強ばっかしています(笑)。ここ一週間はオンラインで大学のゼミが始まり、勉強に身が入ります。
一方で、この4月でもう大学3年生になりました。時期的にも周りの動きを見ていても、そろそろ本気で自分に向き合って、将来を考えなければなと思います。あー、気楽にもうちょっと勉強して〜
ジグソーパズル
この思わぬ長い春休み。外出自粛は辛いですが、こもって勉強するのは嫌いじゃない性分で、今までの会計の勉強に加え、法律、経済の勉強を始めました。当たり前のことなのですが、勉強してみないとわかんないもので、経営、会計、法律、経済、政治、思想etc. など学問分野は分断されているものではなく、つながっていると最近は感じることができ始めています。まるで、ジグソーパズルのピースを1つずつはめるように、社会の構造が少しずつ理解できて楽しいです。
最終的には哲学の勉強なのかも
いろいろと勉強範囲を広げる最中、特に面白いと感じる分野は法律です。今は会社法と金融商品取引法を主に勉強しているのですが、これが面白い。会社がどのように機関設計されているかや投資者はどう保護されているかが勉強をすればするほど明らかになってきて、資本主義を形成する一部を知ることができます。
こう嬉々として法律を勉強しているのですが、勉強をしながら、「国によって法律は違うのだよな」という当たり前のことを思い、「法律が違うってことは、国家体制も違うよな」と思いました。ということは結局「法律は政治に密着してるな」という当たり前のことに改めて気がつきます。でも、政治をしてるのは人間であり、人間の考え・思想で動いている。法律も人間の思想により定められ、会計も経済も人間様がつくったものです。
「あ、最終的には人の考え、思想で世の中でできており、種々の勉強の末たどり着く先は哲学の勉強なのかもしれない!」
そんな気がします。
哲学から勉強するできる人ってすごいな
思想、すなわち哲学の勉強は、今まで数冊の本を読む程度のことしかやったことがなく、本格的にやった経験はなしです。僕の中での哲学のイメージは、「訳分かんね」で勉強はとても続きそうにはありません。
大学の全学共通科目で哲学を受講しても、
「世界は水からできている」とか
「世界は空気からできている」とか
ちょっと漠然としていて取っ付きづらいかったのが正直なところです。
僕は法律、経済、会計などなどいろいろ勉強をして、いろいろなことが頭の中でつながらないと楽しんで哲学を勉強することができそうにありません。その一方で、哲学をガンガン勉強できる人ってすごいなと若干のコンプレックスを最近感じます。(笑)
最後まで読んでいただきありがとうございます
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法律と粉飾決算
オリンピックが延期。この春休みは世界の激動を目の当たりにしてしまったなと感じるばかりです。昨日は経営者の方にお会いする中で、約1000万円返金だとか、数百万の損失だとか、ゾッとするようなリアルを聞き、こんなにもウイルスが与える影響が大きいのだと驚きました。学生をやってるとそこまでの危機感を感じることはありませんが、ビジネスの世界ではただ事ではないようです。バブル崩壊の際には、地方はその影響を受けるのに数年間のタイムラグがあったそうですが(僕は生まれていない)、今回のコロナウイルスは地方へのタイムラグがないようで、より一層深刻な事態だとか。早く収まって欲しいと願うばかりです。
こんな春休みでしたが、もうすぐ新学期。学生の僕は、そろそろ大学モードに突入しなければなという心持ちです。というわけで今回は春休みに勉強して思ったことをきっかしブログにしようと思います。
街から消える書店
「この半年、1年くらいで本屋さんが無くなったなぁ」。広島の街を闊歩しながら感じていました。広島の書店といえば、「廣文館」や「フタバ図書」がお馴染みですが、最近店舗が減っている気がします。(代わりに、蔦屋書店が増えてるのかな?)僕は本が好きなので、ついつい書店に入ると本を買ってしまいます(笑)。昨日も「廣文館」に立ち寄って、本を買おうか買うまいか葛藤しました。
この疑問、何かあるのではと何となく思っていたので、春休みに調べてみると会計や法律といった話にダイレクトにつながってきました。
意外と身近に起こる粉飾
この二つの書店。調べてみると、どうやら粉飾決算をしていたようです。粉飾決算といえば「ライブドア」や「てるみくらぶ」などが思い浮かび、大きく報道されるもので、珍しいのが粉飾決算なのかなと思っていましたが、意外と接点のある企業が粉飾決算をしているものなんだなと驚きました。フタバ図書は、40年も粉飾を行っていたようで、びっくりです。どうやって40年も続けたんだろう。「よく広銀に今までバレなかったな」「会計士とグルだったのか?」とか色々想像してしまいます。もう少し会計や金融機関、監査に詳しくなったら個人的に調べてみようと思います。
そして、廣文館のほうも同じく粉飾決算。ただ、こちらの場合は、少し訳ありであることがある本を読んでいる中で分かりました。
金融庁について勉強していたら
最近の僕の関心は、「世の中がどういう仕組みで動いているんだろう」「世の中に存在する数多の組織がどのように影響を及ぼし合っているんだろう」というようなところです。この欲は、今まで大学生になって200冊ほど、(意味あるのかなと半信半疑)本を読んでいる中で、少しだけ世の中の組織マップが浮かび上がってきて、湧いてきました。そこで、この春は『金融庁2.0』著者:上杉素直/玉木淳 (日本経済新聞出版)をわりかし、じっくりと読んで、金融庁について調べていました。すると、その本でたった一文ではあるのですが、廣文館について触れてあり、粉飾の経緯が明らかにされていました。
モラトリアム法
モラトリアム法とは通称で、「中小企業円滑化法」のことです。この法律は広島出身の政治家、亀井静香氏が旧民主党時代に金融担当大臣を務めており、通した法案です。リーマンショックによりダメージを負った日本の中小企業を支援しようと、モラトリアム法を2009年に通したわけです。そしてその年の12月にモラトリアム法は施行されたわけです。これにより、中小企業は経営改善を約束に、金融機関から多額の資金を融資してもらうことが可能になりました。中小企業にとって、モラトリアム法は万々歳で、何としてもこの法律の下で、金融機関から融資してもらいたい、または融資し続けてもらいたい訳です。
すると、何が起こるか。そう「粉飾決算」です。
融資してもらいたい、融資し続けてもらいたいがために、決算書をいじってしまう訳です。企業からすると
「だって融資がなくなったら、会社が危機に瀕するんだもん」
こんなところが本音でしょう。
粉飾決算は絶対にいけません。しかし、粉飾が起こりやすい構造というのが実はあったようで、それはモラトリアム法という、法律所以のものでした。
このパターンが、廣文館だったようです。
法律の影響力はやはり強い
法治国家である日本において、法律は絶対です。しかし、普段生活をしている限りは「法律最強」と感じることはあまりありません。しかし、今回のモラトリアム法の事例で法律はやはり影響力が大きいなと感じました。
ここから僕は、法律に興味を持って最近勉強を始めています。最近個人的に面白いのは、現代、情報産業と金融機関が圧倒的な力を持っており、それらの企業が他の産業に乗り出すことを国は恐れているようです。故に、企業が市場を独占しないように、法律があらゆる手を使って防いでいます。一方で規制を緩和する動きが見られたりもします。
法律vs企業
この構造が最近見えるようになって、やはり世の中は法律ありきだと感じます。
法律の勉強を進めて、世の中の構造をより明らかにできればなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます
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働くとは、生きるとは 〜迷走vol.4〜
『キングダム』呂不韋の描く秦國
大学の休みも後半。久しぶりに漫画に夢中になっています。読んでいるのは『キングダム』。メジャーな漫画ですが、今まで読んだことがなかったので、40巻までとりあえず読んでみました。するとなんのその、無茶苦茶面白い『キングダム』。今まで人生損してたのかというくらいに面白いです。
働くのは金のため?
最近「働くとはなんだろう」と、考えざるを得なくなっている時期に差し掛かっているのですが、ここで、「働く」ことと密接に関わっている「お金」について注目してみたいと思います。
あなたはなぜ働いているのですか?
この質問に対して、
お金を得るためです
と答える人は、それが一番の理由ではないにせよ、大多数だと思います。
巷ではしばしば、「お金が大事か」それとも「お金以外が大事か」と二項対立で口角泡を飛ばす人もあるようですが、どちらかが善で、どちらかが悪という話ではないと思います。現代において、お金がないと生活が苦しいのは紛れもない事実だけれど、お金だけを目的に生きるのは御門違いだと思います。
そもそもお金の機能とは
私たち多くは「お金」を求めるわけですが、そもそもお金とはなんでしょうか。ここで貨幣の3つの機能を確認します。中学校や高校の授業の社会科科目で習ったかもしれませんが、貨幣の機能は
・交換機能
・価値保存機能
・価値尺度機能
の大きく3つです。お金を媒介として、欲しいものと交換できる「交換機能」。家など高価なものを買うために、コツコツお金を貯める「価値保存機能」。この商品は何円、何ドルと、ものの価値を示す「価値尺度機能」です。
この3つの機能のうち、「価値尺度機能」をベースをもとに、興味深い論を説いていた人物がいました。漫画の世界ではあるのですが、『キングダム』に出てくるキャラクター、呂不韋(りょふい)です。
お金は大事、だけど惑わされるな
まず、『キングダム 』とは、どんな漫画か知らない人もいると思うので、ざっくりと説明します。
舞台は、約2250年前の中国。この時は春秋戦国時代という戦いの世であり、秦・趙・魏・韓・楚・燕・斉の戦国七雄が争っていました。のちに秦が中華統一を果たすわけですが、ここでご存知、「秦の始皇帝」が登場です。後に、秦の始皇帝になる嬴政(えいせい)と、その下で戦う信(李信)が主人公です。そして嬴政と信が中華統一を目指す物語こそ、『キングダム』です。
嬴政は13歳で即位するのですが、少年ということで王の任務を全うすることができるわけもなく、他の人物が実権を握ることになります。その人物が呂不韋(りょふい)です。呂不韋は強大な勢力を誇り、嬴政を圧倒します。それを良いことに、嬴政が 成人を迎えてもなお、実権を握り続けるため、あらゆる策を施します。嬴政が成人する22歳の時まで9年間、呂不韋と嬴政は実権争いをするわけですが、実権争いの最終局面、嬴政と呂不韋は理想の中華を語らいます。
キングダムの中で、中華について語る際、呂不韋はお金の機能の3つのうちの一つ「価値尺度機能」を論の中心に据えて話します。(39巻)
人間の欲望は貨幣の誕生によって、増幅された。貨幣には、価値尺度という機能があり、「自分の方が富んでいるか、貧しいか」を一目で把握することができる。だから、優劣をつけたがるという性を持った人間は、「他の人より裕福になりたい」とお金を求め、欲望をたぎらせた。だから、それを逆手にとって、人間の欲望をコントロールする、すなわちお金をコントロールし、秦という国を発展させる。
このようなこと(僕の解釈)を呂不韋は言ったわけです。この国の発展のさせ方が良いかどうかという話は置いといて、呂不韋はお金の危険性を見事に言い表していると思いました。
人はこうして気がつかぬうちに、お金に操られてしまいます。
だからお金ばかり求めていると、自分が何のために生きているのかを見失いがちになると思います。
働くという話に戻りますが、職業選択をする際、
お金だけで選ぶのは危ない
と言えます。
もし手元に10億円あったら
「もし手元に1億あったら、10億あったらどうする」
こんなことを大学1年生の時に、ある社長さんから聞かれたことがあります。当時はそんな大きなお金について正面から真面目に考えることができませんでした。
額が大きすぎてイメージできなかったのが正直なところですし、一般感覚的には、「絵空事を真面目に考えて意味あるの?」なんて思うかもしれません。
でもこれは真理を得た質問だと僕は思います。なぜなら、
金持ちになっても使い方をイメージできていないと意味ないじゃん
そして、
お金のために一生懸命頑張るって意味あるの?
という疑問にぶつかるからです。
一年前は大金について真面目に考えることができなかったのですが、最近は幾分か「手元に1億あったらどうしよう」と、正面から真剣に考えることができるようになってきました。(笑)
お金には思っている以上に深いです。
最後まで読んでいただきありがとうございます
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働くとは、生きるとは 〜迷走vol.3〜
なんだかんだ人間もろい
『迷走vol.1』『迷走vol.2』では、どんな仕事も世のため、人のためにあるということが最近わかってきたということを書きました。そして、仕事を選ぶということは、自身がどうやって世のため人のために貢献するかを決めることだという思いに至りました。この考えをベースにした上で職業を選んでいくわけですが、このほかにも仕事を選ぶ上での指標が必要だと思います。そして、前回のブログでは、苦手だけど必要なことに取り組む仕事か(攻め)、得意なことに取り組む仕事か(守り)という指標で仕事選びについて考えて見ました。
人で仕事を選ぶ
いきなりですが、「幸せ」ってなんだろうって考えたことあるでしょうか。
僕は最近になって考えるようになりました。今までは「見返してやりたい」とか、「負けたくない」とか、あまり良くない動機で努力をしていたのですが、それだと、どうも虚しいし、意味がないってことにだいぶ気がつきました。
だから「幸せとは何か」って考えるようになりました。
僕だったら「本を読むこと」とか「美味しいご飯を食べる」とか、もっと漠然というと、「自分でできることを増やす」とか、「新しいことを知る」とか、いろいろ楽しい、幸せと感じることがあります。
でも、究極に一言で表すとしたら、
「好きな人と好きな場所で好きなことをする」
だと僕は思うんです。いろいろ考えていくとどうしても、そこにたどり着きます。
確か旅好きの若者にすげー支持されている高橋歩って人もそんなことを言ってた気がします。(人それぞれ幸せを感じるためのプロセスってもんは違いますが)
だから、「この人とはなんかウマが合うなぁ」「この人からだったらいろんなこと学べそうだなぁ」と仕事を選ぶなんてこともありじゃないかなと思います。逆に、「この人すごいけれど、なんか合わない」「興味のある分野、仕事だけど、なんかあの人は嫌い」と消去法で仕事を選ぶなんてこともありかなと思います。
もう一つ、いきなりですが、「強み」とは何ですか。「強み」とは相対的なものです。陰キャがスーパー陰キャ集団に入ると、その人は陽キャとみなされます。パリピがスーパーパリピ集団に入ると、その人はパリピではなくなります。
ちょっと例えが悪かったかもしれません。甲子園に出ている球児がプロ野球選手に混じったら、「野球が得意です」といえますか?って話です。
そう、強みとは「相対的」なのです。
この強みの性質を理解した上で仕事を選択する人も一定数世の中にいるようです。
例えば芸人のバカリズム。
僕は「ipponグランプリ」でキレキレのバカリズムが大好きなのですが、そんなバカリズムさん。実は芸能界に入る入り口、実は吉本ではありません。なんと、日本映画学校俳優科出身です。
バカリズムさんは最初から芸人を目指していたそうなのですが、吉本に入ると自分の力では埋もれてしまうだろう。だからあえて映画学校に入って目立とうと決めてそうです。
自分を客観的に見て、進む道を選ぶところは凄いなと思います。
少し自分の話に置き換えてみます。僕が経営だったり金融に興味があるからと言って、コンサル会社に危うく入ると、東大生集団などと一緒の職場になり、埋もれてしまう可能性が大です。
だから、自分の得意なことはどのくらいのレベルか、そしてどこだったら自分と同じような人間は少ないかとポジショニングを考えることは意外と重要なことかもしれません。
これは汚い話とかじゃなくて、自分の人生を無駄にしてしまう「宝の持ち腐れ状態」になることを防ぐ方法でもあると僕は思っています。
もちろん、自分の得意なところで勝負したいから、得意なことが同じ人たちが集まる仕事を選ぶのがいいかもしれません。
しかし、人間もろいもので、劣等感を感じてしまう生き物です。そんな感情を抱いたまま、何年も何十年も過ごすくらいなら、ポジショニングを意識して自分の力を世のため人のために発揮できるよう、仕事を選ぶことの方がよっぽど有意義であるのではと思います。
今日は「人で仕事を選ぶ」という指標、「自身の強みで仕事を選ぶ」という指標で考えてみました。答えがないって辛いなぁ。
最後まで読んでいただきありがとうございます
迷走vol.4に続く