シューターのブログ

「石の上にも三年」は生き残らない

 

 諺に、「石の上にも三年」というのがありますよね。私を何かと親や先生から、とりあえず続けてみなさい。「石の上にも三年」というでしょ、と言われたものです。(中学生の頃何か違和感を感じ、先生に言われた時はイラっとしました。)しかし、この諺、現代にとてもそぐわないように感じます。

 そもそも諺とは、(三省堂 スーパー大辞林によると)「昔から人々の間で言いならわされた、風刺・教訓・知識・攻守などを持った簡潔な言葉。」とされています。つまり、これまでの長い年月の中で生き残ってきた、物事の道理を捉えた学ぶべき価値のある言葉であります。だから、長年生き残ってきた「石の上にも三年」という諺を心得ておくべきなのですが・・・

 

 現代はイノベーション(革命)が必要とされている

 

 ここ数年、イノベーションだの、クリエイティブだの、耳にタコができるほどこれまで聞いてきました。昨年まで高校生だったのですが、聞きすぎてうんざりという感じでした。(そして、イノベーションやクリエイティブがなぜ今必要になってきたのかという背景を説明してくれる先生がいない...)

 

 実は今からの職業の構造を見ていくと、イノベーションが求められる理由が浮き彫りになってきます。鍵となるのはズバリ「AI」。この「AI」の発達が、高校、大学で僕たち世代が、「イノベーション」、「クリエイティブ」という言葉を浴びせられる原因であり、根本にあります。

 

「AI」が得意としている作業は、記憶や判断、意思決定です。ということは、今ある仕事で言えば、事務作業の多い中間管理職や膨大な記憶が頼りな弁護士などの、頭脳労働職、すなわちホワイトカラーがAIに取って代わられます。すると、AIに仕事を奪われた人たちは、どういう選択肢があるかというと、ブルーカラー(肉体労働者)であるか、クリエイティブなことをするかの二つです。しかし、ブルーカラーの仕事は増えることはなく、これまでと同じくらいの仕事量であると予測されています。すると、残された選択肢はただ一つ、「クリエイティブ」な人間になるということです。だから、今の教育関係者は「イノベーション」や「クリエイティブ」という言葉を生徒に対して用いるわけです。

 

 一つ、将来の仕事の形を予想してみます。例えば、進路相談をする教師。今は、先生と生徒が話し合い、先生が「こんな学校あるけどどうかな?」と勧めることもよくあります。しかし、近い将来は、先生が生徒から興味のある分野や家庭状況、その他雑多の条件を聞き、それをAIに伝えます。すると、AIは先生から受けた情報と膨大な学校のデータを照らし合わせ、最適解を一瞬で出します。その答えを先生がAIから聞き、それを生徒に伝えます。

 というようなことが近い将来、少なくともシンギュラリティ(人工知能が人類総和の脳を超える。今の仕事の最低5割、最高9割、人工知能に仕事を奪われる)に達する2045年までには起こると僕は思います。

 

日々変わり続けることが求められる

 

 前述の通り、現代は「クリエイティブ」「イノベーション」が求められます。そして、「クリエイティブ」であり、「イノベーション」を起こす人間であるためには、日進月歩、成長しつずけることが必要不可欠です。「石の上にも三年」確かに一つのことに打ち込んでこそ見える景色があると思います。ただ、闇雲にとりあえず3年続けてみるというのは僕は反対です。もっとその三年という時間を他のことに使い、有意義な時間にすべきです。「石の上にも三年」ではなく、「君子は豹変す」を座右の銘に日々成長していきます!!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。