シューターのブログ

木を見て森を見ず

 

大学生になってから丸々半年が経とうとしているのですが、時々正しい方向に自分は努力しているのか?と不安になることがあります。これは大学生に限ったことではなく、中学生でも、高校生でも、社会人でも一緒だと思います。そこで最近、大枠の設定というのが大事だなと感じます。

 

小学生の頃、図画工作の時間というのがありました。絵を描いたり、モノを作ったりと楽しい記憶があります。その図画工作で、「木を見て森を見ず」というのをよく起こしていました。小学校低学年の時に、ダンボールをロボットを作ろうとしていたのですが、完成形を作ることができませんでした。結局出来上がったのはロボットの腕2本、ロボットの姿など全く見受けられなかったです。(笑)

 

なぜロボットを完成させることができなかったのか??

ロボットが作れなかった理由は単純なのですが、自分にどのくらい時間があって、何にどの程度、力・時間を注ぐべきだったかわかっていなかったからです。とにかく僕は完璧なロボットを作ろうと、そしてそのためには腕を完璧にしようと汗水垂らしていたわけです。でも工作の授業が終わって気がついてみると、腕2本しか完成していない(タダ不気味)。本当はロボットを作り上げることの方が重要で、腕を完璧にするというのは優先度としては低い、余裕があったらやるべきくらいのものでした。

 

意外と笑い事ではない!!

これはあくまで小学生の図画工作の授業での例で笑い話で済みますが、今でも似たようなことをやっているなと感じています。例えば、1日の時間の使い方。その日にやるべきことが3つあるのに、2つ目が終わって謎の達成感に浸り、3つ目は見向きもせず他のことをやってしまう。なんてことが時々あります...

 

そして、人生設計でも1日の時間の使い方と一緒のことを注意していないとやってしまいがちだなと感じています。時間は有限であり、人が死ぬ確率は紛れもなく100%(死なない方法あったら教えてください!!)。残り時間がどれくらいというのはわからないですが、仮に設定して、何を自分の人生で成し遂げたいか、それを達成するためには何を習得する必要があるか大枠を設定しておく必要があると思います。大枠があると、自分が今やっていることが正しい方向に進んでいるのか確認する基準となり、一つのことを継続しやすいです!!

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。