シューターのブログ

広島での差別

 

ここ数週間ブログをサボり気味で頻度を上げなければなと思い至り久しぶりにブログをかきます。今日のブログを少し重い内容かもしれませんが、広島での差別の歴史についてです。最近、日韓関係を個人的に調べたり、沖縄についての学習をしたりの日々で、「差別」というワードによく出会います。そういうワードに自身がアンテナを立てているのか、噂で広島でも数十年前まで差別があったということを耳にしました。そこで、広島の過去について今自分が調べていることを今日はブログにします。

 

学校で教えてもらった記憶がない

広島といえばやはり、原子爆弾が落ちて甚大な被害を受け、そこから復興したという印象を持っている人が多いでしょうし、広島で小・中・高・学校と過ごして僕自身も広島に関する学習では繰り返しこのことを勉強してきました。しかし、広島に被差別部落があったということは国語・数学・英語・理科・社会の5科目ではおろか、地域学習(広島に関する学習)でも習った記憶がなく、そんな事実はないだろうと思っていました。ただ、やはり地元の方や一昔前の広島に住んでいる方の記憶には被差別部落が広島にあったということが残っているようです。そして、25年くらい前には、被差別部落出身の人と結婚するのを親や親戚一同が反対するということがあったそうです(僕が知らないだけで今でもあるかもしれませんが)。

 

被差別部落

広島は被差別部落の数が福岡に次いで全国2位だったそうです。戦前の日本の社会事業団体である中央融和事業協会が1936年に発行した『全國部落調査』によると広島県内には被差別部落が400以上存在していたようで、僕が小さい頃、友達と遊んだ事のある場所も実は被差別部落だったんだと知り驚くばかりです。(『全國部落調査』には全国の被差別部落が掲載されています。ネット上にも載っているので興味のある方は是非見てみては)そして広島には全国で5本の指に入るほど規模を誇る被差別部落広島市西区福島地区(福島町、南三篠町、都町)もあったそうです。このように身近な場所に被差別部落という黒い歴史を持った場所があったということは驚きとともに、日本は文化レベルで自分が知らないだけで意外と差別をしてきた国なんだろうなということを感じました。今まで自分が通ってきた広島の教育機関で「日本、そして広島ではこのような歴史がある。だから、差別は意外と近くにある問題で、日本人である君たち、広島人である君たちが真剣に考えなければならない問題だよ」と教えてもらわらないこと、そもそもこのことを教えてもらわないことはとても不可思議に感じます。

 

なぜ被差別部落は生まれた?

被差別部落が生まれた時期は江戸時代。士農工商身分制度として日本では適用されたのはご存知かと思いますが、そこで加えて習ったのが、穢多・非民(えた・ひみん)であったはずです。穢多・非民がどういう身分かというと士農工商よりも下の身分で、人としての扱いをされていませんでした。なぜそのような身分制度にしたのかというと、士農工商の人たちより下の身分を作ることにより、「自分たちの生活が多少苦しくても被差別部落にいる人たちよりはマシだよね。だから僕たち頑張ろう」と士農工商の人たちに思わせるためだと思います。そしてその身分制度は人間の単純かつ残酷な性質を利用したものだなとも思います。

 

広島に被差別部落が多かった理由

広島には明治時代に呉軍港が開港されたこと、日本海軍に納める豚・鳥・牛の肉のための屠畜場(豚や牛、鳥などの家畜を殺して解体して、加工する場所)が多く設けれらたからだそうです。そういったところで人を働かせ、その人たちを穢多・非民として扱うという事があったそうです。30年程前、福島町あたりは匂いがひどかったんだよということを年配の方から聞いたことがありますが、被差別部落の存在を僕自身しり、やっとつながりました。

 

僕の憶測〜ヤクザ・暴力団

広島といえば一昔前は治安が悪く、ヤクザや暴力団だらけというイメージがありました。『仁義なき戦い』や『孤狼の血』といった映画もありますし...。そして、ヤクザや暴力団が広島で多かった理由は、被差別部落が多かったからではないかと思います。被差別部落の数が1位の県は福岡でヤクザ・暴力団が多かった、治安の悪かった街です。そして広島も被差別部落の数が2位でヤクザ・暴力団が多かった。だから、被差別部落の存在とヤクザ・暴力団の数は間接的に関係があるのではないかと考えています。広島では不当な扱いを受ける被差別部落の人が多くいて、生きる希望がない人も多かった。そいういった人たちがグレてヤクザ・暴力団を形成し力を強めていっということも考えられます。(実際に被差別部落出身の人たちが集まって形成した組もあるようです。)

 

差別と向き合う

日本人の特徴として、集団での行動が得意だということがよくスポーツなどで取り上げられると思います。このことに関しては一長一短あり、良い悪いというものではないのですが、日本人が集団を好む理由としてはもともと農耕民族だったという歴史とともに、被差別部落が存在し、一般的(大衆的)集団から逸れるのが怖い、危ないという認識があったからなのではないかと思います(昔の村八分なんかもそう)。そして大きな集団にいることが良いという感覚が日本人にはあり、自分が所属している集団の人以外には排他的な面があると思います(少数意見の尊重もあまり日本では感じられないですし)。そして、日本にいる外国人は日本人から差別を受けたと感じたことがあるという人も多いようです。時代の大きな転換期にある現代、日本人は差別を多くしてきたという歴史と向き合い、集団がどうあるべきか、組織や社会制度がどうあるべきか考えるべきタイミングかなと僕は思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます