シューターのブログ

深イイ〜

 

 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、江南慰に捕せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

 

この文章は、中島敦の『山月記』の冒頭部分です。というのも、僕は今週、日本文学にはまっています。高校の時は、あまり興味のなかった日本文学を、大学になってからかじってみようと思っていたのですが、結局手をつけず2018年を終えてしまいました。2019年に入って、日本文学を読み始めたのですが、「こんなにも面白いのか!」と夢中になっています。今日も6時間、日本文学の世界に入り込んでいました(笑)

 

日本文学の面白さに惹きこまれる

今週は、宮沢賢治の『注文の多い料理店』、中島敦の『山月記』『悟浄歎異』『名人伝』、夏目漱石の『夢十夜』『変な音』、芥川龍之介の『蜜柑』『猿蟹合戦』『教訓談』を読みました。一回読んだことのある話も多かったのですが、解説とともに読むと、文学って深いなということに気がつかされました。『注文の多い料理店』なんかは、小学校でも読んだ記憶があるのですが、その頃は、先生の話を聞いていなかったのか、興味がなかったのか、深いなとも面白いなとも思いませんでした。でも、注文の多い料理店』には、近代化や都市文明に対する反感が物語に表れているという見方ができたり、人間の騙される構造が文章中に表れているという見方ができたりして、とても面白いです。芥川龍之介の『猿蟹合戦』なんかは、作者の伝えたいことはあまり感激はしませんでしたが(笑)、形式がとても面白かったです。ご存知の通り民話の『さるかに合戦』は、ずる賢い猿が蟹を騙して殺し、殺された蟹の子供達が仕返しに臼や蜂と協力して猿を殺すというお話です。ですが、芥川龍之介の『猿蟹合戦』は蟹の子供達が仕返しをした後の話で、蟹の復讐の仕方は不当であり、法に触れる。そして蟹たちは罪に問われてしまうという話です。民話から話を広げて、新たな話を作るという形式は僕にとっては新鮮でした。

 

虎になってしまった李徴

今週読んだ中で一番心に残ったのは『山月記』です。高校の時に授業でやったことがあるからなのか、『こんな解釈があるのか!』『こんな意味が込められていたのか!』と興奮しました。(授業をまともにきいてなかっただけかも...) ちなみに『山月記』の内容をざっくりすぎるくらいに説明すると、李徴という秀才で科挙に合格した男が、官吏としての身分に納得がいかず、詩人として生きることを決意したものの花開かず、経済的に困窮し、下級官吏として働き直すのだが、そのある日に出張先で、発狂し虎になってしまう。それから翌年に、山で旧友の友の袁傪に会い、二人が会話をするという話です。そして僕がこの物語を読んでいる中で学びを得たセンテンスがあります。

 

「人生は何事を為さぬにはあまりに長いが、何事かを成すにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の全てだったのだ。」

 

この文に僕は注目をしました。この文は虎になってしまった李徴が、自分が虎になってしまった思い当たる原因を自嘲的に話している一文です。まずはこの文の前半部分。物語の中で前半部分は重要ではないのですが、僕はここに共感しました(笑)。当たり前のことと言われれば、当たり前のことかもしれませんが、「何かを成し遂げようとする場合、人生は短すぎる時間である。」だから、僕が人生で本当に何かを成し遂げようと思うのであれば、もっと時間にシビアにストイックにやらなければいけないなとこの文を読んで戒められました。そして後半部分。ここは「プライドを持つあまり、守りに入り積極的に挑戦しないことは失敗につながる」その後「そういったプライドにより、学べることがたくさんあるにも関わらず、自分よりもレベルが低いと思う仲間には、恥ずかしくて入っていくことができなくなるとよくない」ということをこの文から学ぶことができます。プライドを持たず、謙虚な姿勢で努力することが必要だと自分を戒めることができました。

このように日本文学では、深い意味であったり、時代背景、作者の性格や想いなどを垣間見ることができます。そして大きな学びを日本文学から得ることができると僕個人は思っているので、ぜひ興味のある方は日本文学の世界へ一歩入ってみてください。僕は今年、一歩踏み出しました(笑)!

 

最後まで読んでいただきありがとうございます