シューターのブログ

「智・情・意」

 

サッポロビールみずほ銀行、帝国ホテル、明治神宮、これらを聞いて何が思い浮かぶでしょうか?これらに共通して関わっている、もっと言えばこれらの設立に関わった人物が思い浮かぶかもしれません。その人物とは、渋沢栄一です。実業界を牽引した人物であり、「近代日本の設計者の一人」に外ならないです。ところで急になぜ、「渋沢栄一」について書いているのかと言いますと、それは『論語と算盤』という本をつい先日読んだからです(笑)

※”算盤”は「そろばん」と読みます

 

論語と算盤』

渋沢栄一は、孔子の弟子たちが孔子のことについて書いた『論語』という書物を道徳の手本として行動していたようです。「論語」と「算盤」という一見かけ離れたものを掛け合わせて、いつも説いていました。そして、『論語と算盤』という本は、渋沢栄一の講演の口述をまとめた本です。僕はその『論語と算盤』を読んでいる中で、人生において大切なことをたくさん知り、自身の今までを振り返ったり、これからの行動や考え方を改め直そうと思いました。そこで、特に意識しようと思ったこと、大事なキーワードがあります。それは「バランス」です。

 

バランス

渋沢栄一は、論語を元に多くのことに関してバランスが大事だと言っていることが『論語と算盤』からは伺えます。喜怒哀楽はバランスを取る必要があるだとか、お金は、無駄に使うのを戒めなければならないが、同時にケチになるのもいけないだとかを言っています。そして、僕が個人的に特に印象に残ったのは、『「智・情・意(知恵・情愛・意志)」の三つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える』という部分です。「智・情・意」それぞれ何かわからないと思うので、長々と引用させていただきます。

 

「智」とは、人にとってどのような働きをするのだろう。人として知恵が十分に発達していないと、物事を見分ける能力に不足してしまう。例えば、物事の善悪や、プラス面とマイナス面を見抜けないような人では、どれだけ学識があったとしても、良いことを良いと認めたり、プラスになることをプラスだと見抜いて、それを取ることができない。学問が宝の持ち腐れに終わってしまうのだ。この点を思えば、知恵がいかに人生に大切であるかが理解できる。

しかし、「智」ばかりで活動ができるかというと、決してそうではない。そこに「情」というものが上手く入ってこないと、「智」の能力は十分に発揮されなくなってしまう。もともと知恵が人並み以上に働く人は、何事に対しても、その原因と結果を見抜き、今後どうなるかを見通せるものだ。このような人物に、もし情愛がなければたまったものでない。その見通して結果までの道筋を悪用し、自分が良ければそれでいいという形でどこまでもやり通してしまう。この場合、他人に降りかかってくる迷惑や痛みなど、なんとも思わないほど極端になりかねない。そのバランスの悪さを調和していくのが「情」なのだ。

しかし、「情」にも欠点があって、それは瞬間的に湧き上がりやすいため、悪くすると流されてしまうことだ。特に、人の喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、愛しさ、憎しみ、欲望といった七つの感情は、その引き起こす変化が激しいため、心の他の箇所を使ってこれらをコントロールしていかなければ、感情に走りすぎるという弊害を招いてしまう。この時点で、「意志」というものの必要性が生じてくるのである。

動きやすい感情をコントロールするものは、強い意志さえあれば、人生において翁強みを持つことになる。しかし意志ばかり強くて、他の「情」や「智」が伴わないと、単なる頑固者や強情者になってしまう。根拠なく自信ばかり持って、自分の主張が間違っていても直そうとせず、ひたすら我を押し通そうとする。もちろん、こんなタイプも、ある意味から見れば尊重すべき点がないでもない。しかし、それでは一般社会で生きる資格にかけ、精神的に問題があって完全な人とは言えない。

強い意志の上に、聡明な知恵を持ち、これを情愛で調節する。さらに三つのバランスをよく配合して、大きく成長させていってこそ、初めて完全な常識となるのである。

 

自らを振り返って

論語と算盤』を読んでから、今までの自分を「智・情・意」という観点から振り返ってみました。まず「智」について、「智」に関しては高校時代後半まで弱かったように思います。高校1年生で勉強を全力でやると決断して、学校の勉強に励んだのですが、物事をきちんと見分けた上で勉強をするということができていなかったように思えます。とにかく勉強を頑張って、偏差値の高い大学に入ろうという思いが強かったです。その考え方が間違いであること、物事をきちんと見分けることが重要であると気がつき始めたのは、高校3年生になってからでした。まだまだ「智」の部分で弱いと思います。

次に「情」について、これは一番僕の問題点です...。僕はだいぶ理屈で考えそれを押し通す癖があり、「情」を置き去りにしがちです。高校時代なんかはもうやばくて(笑)、自分は勉強をするためにサッカーをやめたのですが、それが故に他のことは完全に無視し、感情はだいぶ押し殺しました。休みは高校の頃から常に勉強の時間に使うために1日のスケジュールを立て実行、夏休みは何日にどの教科のどの参考書のどの問題をどのくらいまで解くと決め、その立てたスケジュールをこなせるように、人から誘いがあっても全部断り、祭りや行事も殆ど出ませんでした。ちょっと勉強とは全く関係ないことをしたいなと思ってもその感情を消し、勉強をすることに徹しました。それがいけなかった。そういった極端なことは長いスパンで見るとあまり成長しない。そして『論語と算盤』に書いてあるように「情」は大切な要素なのだが、自分は「情」など意識することがなく、他人のことを考えず、自分のことばかりを考えていました。これでは、大きく成長できませんよね(苦笑)

最後に「意」について、意志は良し悪しは別として持っていました。勉強を懸命にやり、継続するということ。これはきっちりやっていました。ですが、『論語と算盤』に書いてあるように、「意」だけでは駄目で、ただの頑固者でした。

 

これからの成長のために

これから僕は、「智・情・意」を意識して行動、成長していかなければと思います。特に、「情」の部分。ここを早急に身につけなければなと思います。生きていく上で、「自分がこうであったらいいなというお葬式を考え、そこから逆算して行動するといい」とよくいろいろな方が言っていたり、本に書いてあったりします。そして、多くの人が、自分の死を悲しんで欲しいと思うし、葬式の時に、「あの人(自分)が居てくれてよかったな」と思ってもらえるのが一番いい人生だと思います。そうした時に、「情」を大切にし、他人を気遣い、人のために生きるということが、人としてやるべきことだと思います。だから、「情」を磨くこと、そして、「智・情・意」のバランスを意識して行動し、自らを磨いていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます