シューターのブログ

沖縄と広島

初の沖縄!!

今日は沖縄に来て二日目です。広島市立大学塾生として、広島経済大学のあるゼミさんと同行しています。主に目的は、沖縄戦を学ぶということ。もっというと広島と沖縄の戦争の歴史の後世へに対する伝え方を比べることなどです。

 

カロリーメイト生活

まだ2月にも関わらず、沖縄はとっても暑いです。この研修は、当時の日本軍がじりじりと南下していくのを疑似体験するとして、那覇市から糸満市まで歩いて石碑や壕を回るということをしています。暑いのがきつい。そして何より、雨が辛いです。集団行動ということで傘は使ったらダメ、カッパということでカッパを着用して歩いているのですが、なんせ沖縄へ旅立つ前日に100均で買ったカッパで、即破れ使い物にならず、ずぶ濡れになりました。また、この研修は食事制限がとっても厳しいです...。戦時中の状況により近づけるということで、食事は、大塚製薬さんの”カロリーメイト”、”ポカリスウェット”、”クリスタルガイザー(水)”のみ。しかもカロリーメイトは一食一箱!!お腹が空いて空いて仕方がありません。

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一食分のご飯

対馬丸

昨日が沖縄に来て初日だったのですが、沖縄についてすぐに歩いて対馬丸記念館に向かいました。対馬丸とは何かというと、沖縄出た疎開船であり、沖縄から長崎へ向かう途中、鹿児島県の悪石島近海で米軍の潜水艦に魚雷攻撃をされ、学童、一般人合わせて1400人以上がなくなったという悲しい歴史があります。そんな対馬丸についての記録を残したのが対馬丸記念館です。実は対馬丸記念にある資料というのはとても貴重で、戦時中は対馬丸が撃沈されたことがあまり知られず、記録もあまり残っていませんでした。というのも、日本軍が箝口令(かんこうれい)を敷いていて、対馬丸が沈んだことを口止めさせました。そんな記録の少ない中、対馬丸記念館対馬丸のことについて資料を集め、戦時中の悲しい出来事を後世へ伝える重要な役割を果たしています。

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対馬丸の模型

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戦時中のおもちゃ、戦争に関わる要素がおもちゃにも見られる

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まさに戦争教育だな

比治山から見える”軍都”広島

沖縄へ行く数日前に、比治山の陸軍墓地に行きました。実は比治山の陸軍墓地対馬丸と関係のある慰霊碑が存在します。

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陸軍墓地入口

対馬丸が出港した最初の場所は広島の”宇品”です。宇品から釜山、そこで兵隊を連れて、下関、沖縄へと向かい、その後上海に行き、また兵隊を連れて、沖縄へ。その後、学生や一般人を乗せて長崎へ向かう途中、魚雷で沈んだという背景があります。そして、その対馬丸に乗っていた軍人の中で生き残った唯一の人が、宇品から乗ったのがおそらくではありますが理由で、広島の陸軍墓地対馬丸の学童達を祀る慰霊碑があります。沖縄と広島の意外な結びつきを知るきっかけとなりました。また同時に、陸軍墓地には宇品から、世界各地へ船で向かい、亡くなった日本軍の兵隊が多く祀られており、広島が軍都であったということをまじまじと感じました。まだまだ、沖縄について書きたいことはありますが、今日はこのくらいにしておきます。

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陸軍墓地慰霊碑

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対馬丸に乗っていた学童達が祀られている

最後まで読んでいただきありがとうございます