シューターのブログ

一人一人ストーリがある

今日は広島市立大学塾のメンバーで、荒崎海岸やひめゆり平和祈念資料館、沖縄県平和祈念資料館に行きました。今までの4日間は色々なところにとにかく行ってみるという色合いが強く、情報を頭に入れることや訪れた先で深く考えるという部分がおろそかになっていました(勿論、そういったことは僕にはとても必要なことだとは思っています)。しかし今日は対照的に、訪れた部分でじっくり考えるということが出来ました。

 

荒崎海岸

今日の研修の最初の行き先は、荒崎海岸でした。荒崎海岸は、沖縄本島の南端に位置しています。眺めは水平線が見えて最高で、サーファーがサーフィンを楽しんでいる場所に現在はなっています。しかし遡ること74年前、日本軍が首里城から南部撤退をしたのち、日本軍・学徒隊・住民がアメリカ軍に追い込まれた最後の場所です。投降を呼びかけるアメリカ軍の兵士達、それに対して、投降するか・自決するか・残って戦い続けるかを迫れる日本軍兵士・学徒隊・住民各々。そして、この荒崎海岸で非常に悲惨なことが起きました。

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岩場に日本軍や学徒隊、住民が米軍から身を潜めていました。

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荒崎海岸、とっても綺麗な眺め!

アメリカ軍が投降を呼びかけ、ある日本人兵士がその投降に応じ、投降するため、アメリカ軍の小型の船があるに向かい歩いていきました。すると、投降なんぞ日本軍の中では言語道断であると、他の日本人兵士がその投降しようとした兵士を銃で撃ち抜きました。撃たれた兵士は背中を撃ち抜かれたがゆえに倒れて、海水に大量の血が滲みました。そこで、岩陰に隠れていた人たちがざわつきます。投降すると撃たれるかもしれないがゆえに誰も投降することが出来ません。そして米軍は投降を呼びかけても、日本人が岩陰から出てこないがゆえに、機関銃を乱射し、住民・学徒・兵士が多く殺されました。その最中、一人の学徒を引率していた先生が、手榴弾を爆発させました。周りにいた女学生を巻き込み、多数の方が爆発により跡形も無くなりました。そういったことをリアルに想像して、その海岸を眺める、74年前に住民や学徒達が隠れていた岩陰に隠れてみる。するとも、本当に整理できないような悲しい気持ちが湧き上がりました。そして、その亡くなった人がもし僕の家族や友達、大切な人だったら、その人が血を流して倒れていたら、死体として岩場に転がっていたら、首が転がっていたり、内臓が飛び散っていたらと考えると...、でもそれは現実に起こった。だからこそ、戦争は絶対に起こしてはダメなものだと感じました。

 

沖縄平和祈念資料館

僕は広島出身ということで広島の平和祈念資料館には時々訪れます。しかし、沖縄の平和祈念資料館は初めてでした。広島と沖縄というのは、どちらも大きな被害を受けていますが、全く憎しみの量やタイプ、被害の種類が違います。そういったことに関する資料を見ている中で、(比べるものではありませんが)広島より沖縄の方が、死に方が悲惨なものが多いなと感じました。そして、今日訪れた平和祈念資料館では一人の人に着目して学びを深めました。ある人がどういう人生を送ってきて、どういう家族構成で、どこに住んでいて、どういう風に亡くなったか。それを調べることで一人一人にはストーリがあるということを認識するとともに、そのストーリーを持った人たち20万人もいたと思うと、本当に言葉が出ませんでした。そして、今自分の周りにいてくれる人にも、それぞれみんなストーリーがある。そのストーリーに対して自分はあまり興味を示すことができていなかったなと自己嫌悪の念にかられました。一人一人のストーリーに耳を傾ける。そして、その人その人の長所を見つける。それをしないと人はついてこないし、人のために何かをやろうと思っても、結局僕は何もできない。だから、一人一人のストーリーに耳を傾けるということをもっと意識的にし、習慣にします。

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平和の礎 沖縄で亡くなった人の名前一人一人が刻まれています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます