シューターのブログ

お金に振り回される僕の周りの人たち

 

当時15歳、僕は理由もわからなく頭を下げていた。「すみません」と謝るものの、「なぜ勉強がしたいだけなのに、頭を下げて謝らなければならないんだ?」というのが正直なところだった。謝る理由は正確には分かっていた。高校生の奨学金の保証人になってもらった親戚への挨拶に行くのが遅かったのだ。挨拶に行くのに、2週間は遅く、保証人を結局断られてしまった。その親戚は、割とお金にシビアで、夫婦間のやりとりもお金を用いているそうだ。もっと具体的にいうと、お弁当を作るのに〇〇円、というようなやり取りをやってるという話を聞いたことがある。僕は理解ができない。その頃から、お金とは煩わしい、トラブルを生むもの。だが、必要なもの。結局のところ、「お金とは?」という疑問が僕に浮かんだ。

 

お金にとらわれる祖父

それから1年前、僕が14歳の時。親の離婚がきっかけで、母方の父親、僕の祖父と一緒に住むことになった。小さい頃はそれなりに優しい祖父というイメージがあった。だが、一緒に住み始めて数ヶ月のこと、急に僕に殴りかかってきた日があった。彼は「うるさい」と僕に殴りかかってきた。僕は静かにしていたのにだ。ほとんど喋っていないし、テレビもつけていない。おそらく祖父の幻聴だ。他にも、祖父が近所でトラブルを起こして、警察官が家に来ることもあった。「インターホンの前に、警察官が立っている時は驚いた。」祖父は僕がネットで調べたところ、統合失調症だ。高齢者は認知症と括られてしまうのだが、症状は統合失調症。病院に意地でも行かないのでわからないのだが。そんな祖父は最近、幻覚で「あの女が、俺の金を持っていった!」と狂気じみた声で叫んでいた。本当の僕はもう、何も言えない。ただ、僕から見ると、祖父はお金に囚われているように見える。

 

典型的なサラリーマン

僕の祖父は典型的なサラリーマンだった。終身雇用という制度に乗っかり、祖母には「もう少しそこの会社で頑張りなさい」と言われ続け、定年まで一つの会社で勤め上げたようだ。それがゆえに、お金に対しての執着心があるようだ。といのも祖父は、時間を犠牲にして働いていたように思える。本来仕事とは、労働を代償にして、賃金を受け取るというものだろう。しかし、サラリーマンであった祖父はおそらく違う。労働を代償にしてというよりは、「時間を代償にして、賃金を受け取る」という構造の中にいただろう。だから、「俺(祖父)がこんなに苦労して(自分の時間を代償にして)、稼いだ金なんだから、そのお金は何よりも大切なんだ」とどこか心に抱いている気がする。だから、幻覚で、「あの女が、俺の金を持っていった!」と叫んでいたのだろう。(あの女が誰かなんかも僕にはわからない

 

お金に無頓着な父

そんな祖父や僕の親戚とは対照的に、僕の父はお金に少し無頓着だった。めちゃめちゃお金に無頓着というわけではない。ギャンブルはしないし、酒豪というわけでもない。だが、仕事を転々としたり、スポーツカーを買ったりと、家計には少し厳しい行動をとっていた。僕が13歳の頃、急に仕事をやめて家に帰ってきた。もともとロジックじみたところのある父は、母親ともコミュニケーションがあまり取れていなかったようで、大げんかになっていた。好きなことがやっと見つかったとかなんとかで、急に勉強を始めるために仕事を辞めたのだ。その後、父の不倫がきっかけで親は離婚。もうめちゃくちゃだ。その後、母子家庭ということで暮らしたのだが、父もお金を貯めていなかったらしく、僕の教育資金はあまりなかった。(そのおかげで、今も結構お金には苦労しているのだが

 

身近であるのにわからないお金

僕の周りには、お金に関して、シビアすぎる人、無頓着な人がいた。執着しても良くないし、無頓着でも良くない。お金って難しい。でもそんな僕にでもわかることがある。それはお金とは、「信用」であるということだ。例えば、家に泊めてくれる友達がいたとする。本来ホテルなどに泊まろうと思ったら、もちろん料金が発生する。だが、友達は無料で止めてくれる。どういうことかというと、その友達は信用しているわけだ。だから家に泊めてくれる。ではホテルはというと、泊まる人に対しての信用が、あまりない。そこで信用をお金という形で受け取るのだ。だからホテルに泊まるのに、「料金」というのが存在する。だったらお金なんか必要ないのではないか?と思う人もいるかもしれない。だが、信用を正確に測るのは難しい。その反面お金は、きちっと数値化できる。だから、お金というのが誕生したのだ。そして、祖父や僕の親戚は、そこを理解していないように思えてならない。信用がお金というものに形を変えているというのを認識しておらず、お金ありきになっている。だからあれだけ、お金に執着しているのだろう。ただ、お金というのは便利な道具でもあり、大切で必要なものであるというのは紛れも無い事実だ。そこの意識が薄かったのが僕の父親なのかもしれない。

 

純粋にお金について勉強したい

僕は今、ビジネスを専門に勉強し始めている。周りの人からは、ときどき、「お金を稼ぎたい人なんだ」見られるかもしれない。もちろん、「お金が欲しく無い」と言ったら嘘になる。ただ、僕の周りには、お金に囚われている人や、無頓着な人がいた。そして、「お金は生活にとても身近だがわかりにくい」。そんなお金を理解したいし、上手に付き合っていきたいという思いがあるから、今、お金について勉強しているし、ビジネスを勉強し始めている。そこのところは明確にしておきたい。そして、これからもっとお金について理解したいし、上手の付き合い方を見つけるために努力する。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます