シューターのブログ

旅の歴史

 

1000人を出迎える

昨日は神戸でポートターミナルで地球一周から帰ってきた1000人の帰港を手伝いました。船を見て、「大きいなぁ」とただ、フツーの感想が出てきました。「これに自分も近いうち乗るのかあ〜」なんて思うと、少し高揚しました。そして、乗船者には老若男女、外国人の方々が多く乗られており、帰ってくる人みんな焼けていて、地球一周してきました感満載でした。僕は荷物運びを手伝ったり、宅配便に誘導したりとなんだかんだ忙しくしている間に、元号「令和」が発表されていました(笑)。

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神戸に帰ってきたピースボート

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航路・寄港地

旅の歴史

ピースボートを神戸ポートターミナルで実際に迎えて、旅をこれからするという実感が湧いてきた。しかしそれと同時に、「旅とは何か」という疑問が出てきた。そこで旅の歴史を頭の中で整理しておこうと思う。まずピースボートというのは、団体旅行に当たる。そこで、団体旅行に注目する。団体旅行の始まりは1841年。イギリス出身のトーマス・クックが労働者に「健全な」娯楽を提供するために鉄道旅行を始めた。他にも日中忙しい労働者に「月光旅行」を提供したり、ヨーロッパ周遊旅行の開発を行い、現在の団体旅行ビジネスの基礎を作った。

すると、この団体旅行に満足しない人たちが出てくる。「生きている実感を求めるため」「自分を探すため」に旅へ出た。それがバックパッカーだ。1960年頃から、リュックが横に広がりすぎて、列車の乗降の際に横歩きをしなければならなかった「カニ族」や当時の「anan」「non-no」に感化され旅をする女子たち「アンノン族」が現れた。1980年半ばには、当時バックパッカー向けの『地球の歩き方」が創刊されたり、僕も高校生の時に読んだ、バックパッカーのバイブルといっても過言でない『深夜特急』著:沢木耕太郎 が出版された。1996年には猿岩石が「進め!電波少年」でヒッチハイクの企画をし、社会現象を巻き起こした。

そして現在、ピースボートといった「団体旅行」や発展途上国でボランティアをする「団体旅行」(僕も高校卒業直前にカンボジアに行った)がまたブームになっている。今ブームの団体旅行は、一番最初19世紀の旅とは違って「自分探し」の色が強い。そして今の若者は「みんなと一緒」というのにとてもこだわる。発展途上国でボランティアといった「団体旅行」は、そこで現地に貢献するという意識よりも、そこで友達・つながりをつくる色合いの方が強い。今旅好きの若者の間で崇拝されている高橋歩も「みんなと一緒」を大切にする価値観を持っている。高橋歩は「どんなに素晴らしい景色を見ても、どんなに美味しいものを食べても、美味しいね、美味しいねって、一緒に言い合える人がいなけりゃ全然つまらない」といっている。そしてそういった価値観をもとに活動している旅団体は僕の周りでもいくつか見受けられる。(僕はそういう価値観ではないし、時々に抱えている目標を見失いそうになるので「みんなと一緒」というのはあまり好まないが、世の中はそういう流れらしい。)

 

旅で大きく人は変わらない

時々「旅で人は大きく変われる」みたいなことを言う人がいるが、個人的には幻想だと思う。意外と旅から帰ってきて、すっと日常に戻ったり、「自分探し」を継続するのだと思う。はたまた、旅中に友達ができて「楽しかったね」で終わることもあるかもしれない。ではなぜ僕は旅に出ようと思うのか。それは旅を「種まき」と位置付けているからだ。人生の時間は残念ながら有限であり、死亡率100%である。僕はしぶとく100歳まで元気に生きるつもりなので、今が人生の約5分の1の地点に当たる。そして比較的自由な時間があるのが今の時期の特徴だ。そこで世界の国々を回っておくと言うのは、とってもコスパのいい自己投資だと思う。行った国々に関する情報に対して今後80年アンテナを張ることができる。残りの80年間で、アンテナから情報・ヒントをキャッチし、行動に移すことができる。だから僕は「旅」を種まきと位置付けて、活用していきたい。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます