シューターのブログ

選択=捨てる

 

この頃は辺りが暗くなっても寒くなく過ごしやすいとともに、もうこんな季節になったのかと、ふと思ったりします。やらないといけないことではやりたいことをもっとやっていかないと、あっという間に大学生活も終わってしまうなと時々感じます。では、今日は、「選択」について書いてみます。

 

頭でわかってても、体でわかっていなかった

よく「人生は選択の連続だ」なんて聞きますが、「人生は取捨選択の連続だ」と最近感覚的にわかってきました。今まで自分も含め人間誰しも、否が応でも、何かを選択し、同時にそれ以外の選択肢を捨てることを迫られてきました。そして、それはこれからも変わらないことです。

「選択」することは「捨てる」ことを伴う

とても当たり前のことなんですが、やっぱり今まで頭でしか僕はわかっていなく、やりたいことを全部やればいいんだと思っていました。勿論「やりたいことを全部やる」という考えも良いこととは思うのですが、その分時間は使うし、時間は有限ということを考えた時に、「選択」=「捨てる」を意識しなければなと思います。

 

選択と集中

「選択」=「捨てる」という考えが生まれたら、次に頭に浮かんでくるのが、「集中」についてです。しつこいですが、何かを「選択」したら、同時に他を「捨てている」。そして、「選択」は必ず他の選択肢を犠牲にしているからこそ、自分が選んだ選択をより意義の大きいものにしなければなと思います。そうした時に必要になってくるのが、「集中」です。いろんなことをたくさんやっている場合、一瞬、いろんな選択肢を保持していて、良さそうに思えますが、そうとは言えません。いろんなことをやっているのは事実ですが、一つ一つの選択のクオリティーがなかなか上がりません。どれも中途半端になりがちで、自身の「選択」をうまく活かしきれていないと言えます。いろんなことをやるというのは、教養のような土台作りとしてやる場合に限り、そろそろ僕自身は「集中」を考えなければならない頃だなと思い始めています。

 

何を「選択」して、何に「集中」すればいいの?

「選択」と「集中」が大事なのは確かなのですが、結局「それらをどうやって決めればいいの?」とことにいつも行き着きます。僕はひとまず、「やらなくてはならないことではないけれど、やりたいこと」を数ヶ月の単位でピックアップして、「選択」と「集中」に取り組み始めています。「やらなければならないこと」をやるのはもちろん大切ですが、そればかりに力を注いでいても、人と差別化を図って自身の武器を作ることは難しいと僕は考えます。だから、「やらなくてはならないことではないけれど、やりたいこと」を積極的に、「選択」「集中」しています。

 

別れを経て

ちょっと話は変わって、「選択」と「集中」よりも大きな話になりますが、先日、火葬場で、祖母と最後のお別れをしてきました。一番最後に祖母を見送る時に、今までの祖母との思い出が一気に蘇ってきて、「なんて人生は儚いんだろう」と悲しみがこみ上げてきました。そして、「いつかは自分も必ずこうなるんだ」と思いました。そう思った時、二つのことを決めました。一つ目は、

「とことん自分の好きなことをやる」

です。単純に、人生一度きりだからそうしようと思いました。二つ目は、

「人のために能力を使う」

ということです。いつかは必ず自分も死ぬ。そしてもし、「自分のためばかりに生きていたら」残るのはせいぜい財産とお墓ぐらいですし、何もあの世に持っていくことはできないです。そこで、それだったら、「人のために」行動して、死んだ後も、今まであってきた人たちの心に残ってたい、「ありがとう」と思ってもらいたいです。だから「人のために能力を使おう」と思いました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます