シューターのブログ

お別れ

 

先日、祖母の散骨に行ってきました。散骨の場に初めて立ち会ったのですが、私の中ではお墓があるのが普通という感覚だったので、少し不思議な感じがしました。「お墓がないから、海に拝めばいいのかな?」なんて疑問もあります(苦笑)。散骨自体は、意外とスピーディーに進んでいきました。陸からだいぶ離れた沖に出て、そこで散骨を行います。お骨は粉末状になっており、白くて水に溶ける紙の小さな袋に入れられていました。そして最後にその袋にお別れのメッセージを書いて、海へそっと落とします。すると、袋が途中で溶けて、粉末が海水の中に広がっていきました。船上でのお別れは初めてのことで何とも言えない気持ちになりました。

 

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ストーリー

散骨が終わってからは、祖母にまつわる写真や動画を見ました。僕が知っている数年前の祖母の写真から、30年、40年前の写真まで見ました。その中には、僕が5歳くらいの頃、祖母と遊んでいる動画もありました。全く記憶になかったのですが、めちゃめちゃはしゃいでいる自分が撮られていて、「こんな頃があったのか!」と驚きました(笑)。それと同時に思い浮かんだのが、

「時間って進んで行くんだなぁ」

ってことです。当たり前のではありますが、やはり何か悲しく、受け入れたくない事実です。それからさらに5年前、10年前、30年前、40年前の写真を見ていくと、僕の全く知らない祖母が写っていました。30代の祖母の写真を見ながら話す親戚。その話を横で聞きながら、祖母がどんな人か全然知らなかったなと、今更気がつきました。

 

漠然とした疑問

色々祖母にまつわる話を聞いている中で、結局は最後に話になるのは「幸せだったのかな?」ということです。こればっかしは知る由もないのですが、つい僕も考えてしまいました。さらに、とても漠然としすぎた疑問なんだけど、「人生って何だろう?」とか「幸せって何だろう?」とか...、も浮かんできました。そして、自身について考えたときに、納得した形で、選ぶことと捨てること、つまり取捨選択をしていかないと、公開の人生になってしまうと思いました。よく葛藤して、うまく選びきれない、うまく捨てきれないことがあるけれど、そこのところを上手にならないとなと思いました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます