シューターのブログ

 

三年後の稽古をせよ

 熱暑で気が滅入りそうな近頃、テスト勉強、レポートに追われる日々です。レポートの内容が定まらずに読書、読書、一呼吸置いて、読書。今日はそんな読書で気がついたことについて書く所存です。

 

客観的ではない

私は、この数年で読書の虫になりつつあります。レポートに追われ、ネタを探す中で、先月は本を16冊読みました。飛ばし読みはしないタイプなので、自分にしては上出来であろうかと思っています。かくの如し、大学生になってから大量に読書をする中で、気がついたことがあります。それは本が客観的なものではない、ということです。「そんなの当たり前じゃないか!!」そんな揶揄が今にも聞こえてきそうです。しかしながら、本を習慣的に読むようになって最初の頃は、すぐに本に感化されてしまう傾向が自身にはありました。「この考え方面白いな、これが正解なのだ」と。ただ、これはとても浅い読書でであり、客観性を意識していない読書法です。もちろん、本を書く方の多くは、すこぶる客観性に注意を払っており、ある程度の客観性は本には担保されている面もあるともいます。ただ、いくら有名な著者であったとしても、客観ではなく、主観で書かれたものです。(主観で書かれているからこそ読書には面白みがあるのですが...)文字を綴っている人のことを想像することが大切。(読書の)量をこなす中でこのことに、あるとき膝を打ちました。

 

成長が目に見えない辛さ

読書をする上で辛いこと、それは成長を感じられるようになるまで、かなりのタイムラグがあるということです。本を読むと、頭の中は幾分か変わったと思えるのですが、自分の行動により結果が出るようになったなと思えるようになるには、結構な時間を要します。そして自身も、まだまだ読書による成長をなかなか感じていません。ただ、長いスパンで見たときに、大きく成長するだろうと見込んで、私は日々文字を追っているわけです。そして、僕がこの考え方をしていることを支えている言葉にがあります。それは、「三年後の稽古をせよ」という相撲界由来の言葉です。一見地味な練習がを継続することが、大成するためには必要。そして、その練習は三年という長い月日が経ったときに表れるという意味です。地味なことを継続してやるのは辛いものですが、スポーツにしろ、勉強にしろ、何にでも言えることだと思います。まだ完全には読書の有用性に合点がいっていませんが、「三年後の稽古をせよ」この言葉を胸に、読書を続けていこうと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます