シューターのブログ

感謝

 

 Amazon prime video の無料期間をいいことに、夜な夜な映画を観ています。高校三年生のセンターが終わったその日に、(小説)『君の膵臓をたべたい』著:住野よる を読んだのですが、それから約一年半。初めて『君の膵臓をたべたい』の映画を観ました。小説を読んだ高校生の時は、今の僕から見たら明らかに頑張り方を間違えていたのですが、当時の僕なりには、100%で頑張っていたなと思います。そして一年半も経つと、同じ作品を観て(読んで)も、見るところ、感じるところが違っていました。小説を映画化した時のがっかり感が全くと言っていいほどなくて一安心。小説同様に涙してしまいました。

 

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梯子に階段

 映画で感化された勢いをそのままに、いい機会として普段はなかなか言えない「感謝」を綴りたいと思います。新学期が始まり大学生活は、はや一年半。この一年半でだいぶ見えること、感じることが変化してきました。周りの方はお察しだったと思いますが一つ、念には念のためぶっちゃけ。大学生活1年生半ばまで、僕は自分のことしか考えていない人間でした。自分で自分にスポットライトを当てて、自身が成長するためにはどうすべきかを常に考えて行動するように心がけていました。そして自分の成長がとても有意義で、いつか人に役立つだろうと本気で思っていました(苦笑)。でもそれで人は大きく成長することは絶対にできない。そう教えてくれた方々がいました。ただ、教えてもらえるとはいえ、答えを安易に示すことはありませんでした。むしろ「僕のためを思ってくれているが故に敢えて」、あまりしてくれませんでした。「こうやったらうまくいくから、こうやってああしなさい」とエスカレーターやエレベーターを用意してもらえるではありません。ただその代わりに、梯子や階段を用意して頂きました。「登るのも自由、途中で降りるのも自由だし、休憩するのも自由だよ。」意思決定は僕自身が下し、その上でヒントとなる一段一段を示して頂きました。

 

情けは人の為ならず

 僕はクサい言葉が嫌いでした。いや正確に言うと、感謝の言葉をクサい言葉と考えてしまう癖があったのかもしれません。所謂かなりの偏屈でした。(未だにかも笑)しかし、今はだいぶ感謝の言葉を感謝の言葉と捉えることができるようになっています。そう捉えられるようになってきたカギが「人に貢献すること」が大切で「一番の成長につながる」と分かるようになってくることです。これは体感的なものである気がして言葉にする自信がありません。もちろん理論じみたことは言うことできます。「人は一人で生きていけないから、人に貢献して、支え合って生きていかないといけないの」「社会って人と人との関係で成り立っているんだから、人に貢献するのが基本なんだよ」とかなんとか。やはり文字面だけだと全くと言っていいほど伝わりません。ただこのようなことは、あらゆるところで強く訴えられています。偉人たち、たとえば経営学でいえばドラッカー、心理学でいえばアドラー等。さらに漫画や書籍や映画などでも強く強く「人に貢献することが肝要だ」と訴えられています。もちろん僕が夜な夜な観た『君の膵臓をたべたい』にもこのメッセージが含まれているのだと今の僕は思います。

 

千里の道も一歩から

 僕が今やるべき努力は「人に貢献すること」だと思っています。気づいたとしても、なかなか実際にやるのはとても難しいです。「よしやるぞ!」と思ってもなかなか行動に移せない自分に、もどかしさ、情けなさをこの頃感じてばかりです。だからまずは人の話を聞くとか、周りの人をみるとか、話しかけるとか。そういう小さいことから始めるのが僕にはとっても大事だと感じています。まずは小さく「人に貢献」ができるよう日々頑張っていきたいと思います。気がつくのが本当に遅い僕ですが、今まで出会った方々へ、「ありがとうございました」。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます