シューターのブログ

こころとの向き合い方 ZEN

 

 ここのところオンライン授業だなんだで忙しく、2ヶ月ほどブログを書いていませんが、今回は自分の中で引っかかっていること、最近ある出来事に遭遇して、新たに考えが進んだことを書きます。何についてか、一言で言うと「こころとの向き合い方」です。

 

曹洞宗だったこと発覚!

 この4連休(とはいえ大学は木曜日・金曜日と授業があったので実質2連休)の最終日、祖父の49日がありました。ペーパードライバーに逆戻りしないためにという大義名分で運転して、寺へと向かったのですが、まぁ山の中。なぜ山の中にあるって?なぜなら曹洞宗だから。

 曹洞宗とは、なんぞや。祖父の家系が曹洞宗だったことに、祖父が亡くなってから、つまり最近知ったのですが、曹洞宗、実は皆さんにとってとても身近な存在です。例えば大晦日。除夜の鐘が煩悩の数つかれるわけですが、これは曹洞宗のお寺で行われます。そして、座禅。何か考えてしまうと無であらず、と後ろから叩かれるあの、座禅。これも曹洞宗によるものです。この曹洞宗、禅、実はとても歴史的に興味深いものです。

 

宗教のイメージとかけ離れる曹洞宗・禅?!

 祖父が亡くなってから、曹洞宗ってなんだ? 禅ってなんだ? って初めて人生で調べました。調べている中で、とってもわかりやすく全体像を掴める説明が、オリエンタルラジオ中田のYouTube大学の『禅の心』の回です。禅の説明についてはそちらがわかりやすいのでそちらにお譲りしますが、僕がブログを書く上で必要なとこで少し引用させてもらうことにします。この禅を大切にする曹洞宗は、仏教というものであり、宗教の一部です。しかしながら歴史を見ると、政治といった権力や人の欲望に迎合することなく、粋であり続けたのが曹洞宗であるそうです。だから、多くの人が抱く宗教というイメージとはかけ離れており、むしろ宗教というよりも、メンタルコントロールのメソッドに近いような捉え方がいいような気がします。そして仏教というものは、本来「無」を大切にし、キリスト教イスラム教といった一神教とはまるで異なります。しかしながら、

「無」を大切にするってよくわかんないよね?

ということになり、人には伝わりづらく、進行はなかなか広がらなかったそうです。そこで、お経を唱えましょうだったり、経典が全てですだったり、とわかりやすくしたものが、浄土宗や浄土真宗日蓮宗だったりするわけです。すると、「〇〇が正しい、全てだ」と仏教が一神教っぽくなっているわけだそうです。だから、権力者だったり宗教同士、仏教同士でも対立が起こるのですが、禅を大切にする曹洞宗は違う、異質な存在です。

 

世界中で受け入れられるZEN

 世界には様々な人たちが様々な宗教を信仰しています。それにもかかわらず、仏教の一種である禅が世界中で受け入れられているという奇妙なことが起きています。しかしこれは禅が、「答えは何もない」「自分と向き合え」と内向きであり、人の持っている思想(宗教)や権力とバッティングしないからだそうです。例えば、(ブルースリーの中でもですが)、スター・ウォーズで、ヨーダが "Don't think, feel"というわけです。これなんかは、アメリカで禅の考え方が、受け入れられている証左だと僕は思います。他にも、アップル創業者のスティーブ・ジョブズが禅を大切にしていたことで有名ですよね。このように、仏教だけど、宗教ぽくない禅が、宗教を信仰している世界の人々に受け入れられているわけです。禅がZENになっているわけです。

 

こころと向き合う

 禅のことを調べて面白いなと僕は思っているのですが、禅なんてやったことないので詳しくはよくわかりません。しかし、禅は欲を捨てることができたら、お釈迦様のもとで修行ができるという考えらしいです。しかしながら人間は、欲望を持つ生き物であり、欲望を捨てろなんて無茶です(笑)。人間は感情を持ち、欲望のままに動くものです。だからこそ、人は失敗し、悩むものであるのかなと思います。僕自身、自分の気持ちや感情との付き合い方に悩みます。

 

お金による感情と幸せの問題

 ここで少しだけ、僕のプチ悩みを書きたいと思います(笑)。21年という短い人生ですが、いろいろあって今のところお金に振り回された人生です。だから勉強したくても、思う存分勉強ができない人の気持ちや、お金による理不尽で辛い思いを抱く人の気持ちが、ほんの少しだけではあると思いますが、わかります。かろうじて僕は、奨学金で大学に行けているのでラッキーな方ですが。

 ここで、一つあまりよくない感情ですが、僕が持っている感情について書きます。それは

「見返したい」

という感情です。

正直にいうと、お金のことで理不尽な目に合わせた家族や親戚を

「見返したい」

「お金持ちになって・社会的地位を得て、見返したい」

という気持ちです。家族や親戚に対しては感謝しなければならない対象ですが、でも感情的には嫌いだし、「見返したい」。しかしこの考え方で幸せになれるかというと、明らかに間違っていますよね(笑)。お金や名誉が全てでないことは、今や世界の多くの人に知られていますから。でも多分、お金持ちにならないと、社会的地位を得ないと、僕のこの感情は消えない気がします。

 

自分とさらに向き合う

 「金持ちになること」や「社会的地位を得ること」を僕は決めています。「お金を追求することは悪い」「拝金主義は悪だ」と思ったりもしますが、正しいかどうかではなくて、抱えている感情を消すために。もう、そこは割り切っています。人は欲を捨てられないと。ただここで僕自身心得ておくべきことがあります。それは

〇〇が正解である

なんてものはないということです。お金を追求すること(資本主義)が幸せの追求の答えでもないし、ただただ、ぐーたらして楽しく過ごすことが幸せの追求の答えでもないわけです。お金も全てじゃないけど必要だし、ゆったりすることも全てじゃないけど必要。これはすべてのことに言えます。

 絶対に正しいものなんてものはないからこそ、自分と向き合うことが大切だと感じます。

ちょっとZEN、気になるな〜

 

最後まで読んでいただきありがとうございます