シューターのブログ

〜始まりと終わり〜

 

 物語には始まりがあり、終わりがあります。雨も降り始めたらいつか止みます。花だって咲けばいつかは散る。これは至極当然のことです。僕は知っています。

 でもこの事実を知っていても分かっていないこと、いや、分かりたくないことがあります。

 

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生まれることと死ぬこと

 始まりと終わりは人間も(残念ながら)例外ではありません。20年と少しの人生でも、身近な人や動物が死を迎えました。ずっと気づかないようにしてたのですが、死というものに立ち会ってしまうと、嫌でも気がついてしまいます。「自分にも終わりがあるのだ」と。

 時々(よく?)平然と「みんな死ぬことはあたりまえだ」という人がいますが、僕には、なんでそんなことができるのか分かりません。もちろん、人間の死亡率は100%というのは知った上で。

 そして、死というものを嫌でも最近考えてしまいます。「死んでしまったらどうなるんだろうか」、「死後の世界ってあるのだろうか」とか。

 逆に、生というものも考えてしまいます。「記憶が蓄積され始める瞬間が誕生?」「自我が芽生える瞬間が生まれるってこと?」とか。

 こんなこと考えたってしょうがないのですが、つい考えてしまいます。

 

何が大切?

 死というものを意識したときから、自然と何が大切なのかを考えるようになりました。たぶん、「全てのことは無意味である」これが真理なのでしょうが、これを認めてしまうと心が持たなくなりそうなので、自分にとって何が大切かを最近考えるようになりました。

 今までの記憶が駆け巡り、色々な言葉が脳内を駆け巡ります。例えば、「一期一会」「青春」「親孝行」。これらの言葉は「死」というものを考えてから、少しだけ分かったような気がします。

 そして今まで色々な人に会ってきて、人それぞれ大切にするものが異なり、十人十色な生き様があることを知りました。

 

一瞬を大切に、一所懸命に

 いつかは終わりが来るということは、受け入れられないのですが、「死」というものを考えたときに、普段の何気ないことが素晴らしいことなのだと思うようになりました。

 人と会って喋ること、これだけでも結構奇跡に近いことなのかも知れないと大真面目に思います。そう思うようになってから、普段の何気ないことが楽しくてかけがえのないものだと感じます。その一方で、時計の針がチクタクと進むことを意識するとなんとも言えない感情が込み上げてきます。

 人との出会いを大切にして楽しむこと。感謝すること。結局行き着く一番大切なことはここなのかなと思います。

 一瞬を大切に、一生懸命に

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます