シューターのブログ

真・善・美の「美」

 

 この頃、デザインとか美とかいうものが大切であろうと感じてはいるものの、なぜかという言語化ができないため、自分の中でどうも納得いっていませんでした。デザインや美が大切な理由を求めること自体がナンセンスなのかと思っていた時期もあり、しばらく、疑問は心の片隅に居座ってました。大学生なってからは、美術館に行くようにしたり、映画を見たり、最近は生花を始めてみたり、服に気を使ってみたり。来月は、ひょんなことで電子ピアノが家に届くみたいだから、幼稚園・小学校と”イヤイヤやらせれた感”があり、全く身につかなかったピアノをもう一度やってみようかな、と思ったり。でもやっぱり自身の鈍い感性だと、どうも捉え所がないと思ってしまい、「うむ、わからん」といったところです。

f:id:orangesing:20210511150749j:plain

 

 

デザインとは?

 最近読書をしていて、デザインの本質について書いてある文章を見つけました。『世界観をつくる 「感性×知性」の仕事術』という本なのですが、デザインについて、

「デザインは、見た目をオシャレに取り繕うだけのもの」という誤解があるが、

”世界観を表す幅広いもの”

というようなことを言っています。

 

 例えば、着る服ひとつとっても、自分なりの世界観があって、その世界観を表現するツールとして服があり、ある服を着ることにより世界観を表現し、キャラクターを作り出す、と言ったことです。

 

となると、「自分なりの世界観を持つ」これがとても肝要になってくると言えるでしょう。

f:id:orangesing:20210511153623p:plain

 

ウォークマンの世界観

小学生の頃、周りの友達が持っていたのはiPodウォークマン。みんな持っているから欲しいと急いで買ったのが懐かしいです。僕が買ったのはウォークマン

確か当時は、ファンモンとか西野カナとかGReeeeNとかAKB48が全盛期だった頃。

CDを借りて、それをパソコンに取り込んで、ウォークマンに入れるみたいなことを一所懸命した覚えがあります。

f:id:orangesing:20210511154207p:plain

 

 

 そんな思い出のあるウォークマンですが、ソニーの創業者、盛田昭夫さんがウォークマンを売り出した頃、バイヤーに全くわかってもらえなくて、販売店に取り扱ってもらえなかったそうです。そこで代々木公園で、外国人のモデル100人を雇い、楽しそうに走らせ、歩かせた、と。

 移動しながら音楽を聴けるという未来を実演し、それが話題となった。世界観を示し、ウォークマンがもたらす意味が人に伝わり、ウォークマンはたちまち多くの人が手に持つようになった。

 そう、「世界観」「意味」があったからこそのウォークマンなのです。

 

真・善・美の「美」

大学1年生の頃から、マネジメントゲームという「経営シミュレーションゲーム」をしています。最初は、「金儲けのためのゲームなのか」という先入観があったものの、やるとその部分はあくまで表面で、そのバックボーンにあるものに本質があると最近感じています。その「マネジメントゲーム」の中で時々、「真・善・美」という言葉が出てきます。

「正しいことを、良いことを、美しく」

わかるようでいまいちわからない。そんなつかみどころのない抽象的な言葉だなと思っていました。

その言葉のうちの「美」なのですが、僕なりの今のところの答えは、自分なりの世界観を構築していき、その世界観を基準に「美しいか、美しくないか」を判断するのが、一つの「美」の捉え方なのかなと思います。

 

だから、どういう独自の世界観を自分で構築していくかがとても重要。そのためには、観るもの、着るもの、食べるものと、人生の中で色々なものにこだわって触れていくことが大事なのだと思います。

 

個人だろうと、組織だろうと、これからは世界観がとても重要。目先の利益だけを追うのではなく、世界観を示し、どれだけ人に意味があると思ってもらえるか、自分が意味があると思うか、がとても重要なのだと思います。

 

ちなみに、マネジメントゲーム「真・善・美」という言葉が大切にされているのは、開発者の西順一郎さんと盛田明夫さんに、(たしか)かなりの接点があったからなのかなと思います。ソニー時代の西さんが盛田さんを見て、”世界観”が大事だと学んだのかもしれない(完全に僕の勝手な憶測)。だから、美というものが大切にされているのではないかと思っています。

 

9月の東京MGが楽しみです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。