シューターのブログ

 

ポジティブは善か悪か

 

 「ポジティブシンキング〜♪」と喧伝している者を見ると、「一理ある」と思う面と「うるさいなぁ〜」と思う面がある笑

 「モチベを上げる」なんて言葉も同様だ。

 某芸人は「スーパー・ポジティブ・シンキング」などと仰っているそんなポジティブ思考は「捨てたもんじゃない」と私は考える。その一方で、ポジティブシンキングやモチベーションの向上の一本刀では通用しない部分が存在するとも考える。

 

ポジティブ思考過信の者を斬る男

 戦略思考の大家リチャード・P. ルメルトは著書『良い戦略、悪い戦略』でポジティブ思考を過信に対して批判をしている。

 「強く念じることや自分の内面を磨くことでパワーが出るものか、私は知らない。だが、精神から発する光が現実の世界を変えられるとか、成功すると思えば成功すると信じるのは一種の妄想であって、経営や戦略への取り組み姿勢として進められないことだけは確かだ。分析というものは起こりうる事態を考えるところからスタートするのであって、その中には好ましくない事態も当然含まれる。大空を飛ぶイメージだけを思い浮かべ失敗を考えたことのない人々の手で設計された飛行機には、私は乗りたくない。だが想念だけでビジョンは実現するという教えは多くの人を心酔させてきた。そのような教えを信じることは、批判的に考える能力を捨て、良い戦略をあきらめることにほかならないと私には思える。」と。

 

ニューソート運動

 リチャードが上記のように批判することには、歴史を辿った説明による理由づけがなされている。モチベーションやポジティブシンキングを味方につけようといった主張は、150年ほど形を変えて多くの人に伝わり支持されている。例えば、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』やマルフォードの『引き寄せの法則』、さらに西田文朗の『No.1理論』なんかもその類であるだろう。

 こういった有名な本の元を辿ると、今から150年前のアメリカで始まったプロテスタント改革に行き着くと著者は述べる。プロテスタント改革では、個人と神との間にカトリック教会が介在する必要はないという主張が中心である。そして、各人にうちなる神性があるため、個人と神が直接対話することは可能であるという。

 こういった思想から、「病は気から」で病気は全て説明がつき、健全な思想と信念を持つことで病に打ち勝てるといったクリスチャン・サイエンスが生まれた。さらには、人間の信念は物理的世界に影響をおよぼす力があるという神秘思想へと変化する。

 こういった一連の流れをニューソート運動と呼ぶそうだ。だからリチャードは、「こんな変なもん(ポジティブシンキング)なんて信じるな」という。

 

ポジティブ思考の慎重な活用

 精神衛生上、毎日自身が失敗するイメージを抱き、自分を卑下するようなネガティブ思考は明らかに良くないだろう。そのため前向きに楽観的であることは肝要だと考える。実際にポジティブであることがネガティブであることよりも良いという結果は、あらゆるところで確認されているに違いない。そのため楽観的であること自体を責めるのは的外れだと思う。

 しかし、ポジティブ・シンキングをメインウェポンとし大志を抱き、勝負に出るのは無策に等しい。「ポジティブが戦略です」というのは愚の骨頂である。ポジティブがどこまで通用して、どこから通用しないかという線引きをどこですべきかはわからないが、戦略においてポジティブ思考を中心に据えることは間違っていると考える。そこで、『良い戦略、悪い戦略』では、良い戦略の基本構造を紹介している。この基本構造がきちっとあってこそ、戦略と呼べると著者は言う。私はその意見に同意である。

 

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