シューターのブログ

働くとは、生きるとは 〜迷走vol.1〜

 

 「 最近暖かくなってきたなぁ」と思う一方で、世は某ウイルスに翻弄されています。先日日経新聞を見ていて、ブラジルレアル、インドネシアルピア、ロシアルーブルが暴落などという記事を見ました。また、急ピッチ円高の記事も見ました。なんだかんだ日本の通貨、「円」って信用のある通貨なんだなと思ったりする、この頃です。

 

仕事は人の役に立つためにある

 章題にとっても当たり前のことを書いててすみません。そして前置きですが、これから全く関係なさそうなことを長ったらしく書きます。どうか多めに見ていただけるとありがたいです。

 いきなりですが、今日「仕事は人の役に立つためにある」と、腑に落ちるきっかけがありました。というのは、今日は、監査論についての本を読んでいました。

 なぜ、監査論なんか勉強しているのかって? 

 いろいろな人から怒られそうなのですが、経営者をはじめとした方と1年半以上勉強させてもらう中で、会計を勉強するのが楽しくなっちゃいまして、会計のある意味プロフェッショナルと言える公認会計士の仕事ってどんなもんなんだろうと、監査論を勉強し始めちゃったというわけです。。。

 だいぶ罪悪感を感じながら、監査論のテキストを読み進めていたわけですが、いちばん最初の方に、「監査」とは何ぞや。と書かれていました。

一言で言うと

 

監査とは会計界の警察

 

です。

 

 これだけ言うと「なんのこっちゃ」となるので説明すると、監査の目的は、投資者を保護することです。投資者はご存知の通り会社に資金を提供する者なのですが、その投資者が投資を行うかどうか決める上での判断材料というものがあります。その判断材料こそが、「財務諸表」というものであり、財務諸表には会社の成績が載っています。

 そして、その財務諸表に不正がないか検査をするのが「監査」です。不正がもしあると、投資者は不利益を被る可能性大です。極論言えば、「急に投資した会社が倒産する」なんてことも。

 

(ここからしばらくはマニアックなので読み飛ばしてもらっても ↓↓↓)

 さらに、近年監査の社会的重要度は高まっています。というのも、数十年スパンで見た時に、間接投資(銀行から会社への融資・投資)から直接投資(投資者(not銀行)から会社への投資)へと変遷しているからです。

 どういうことかというと、時を遡ること戦前。太平洋戦争に臨もうというころの日本政府は、戦争資金を集めなければと齷齪していました。そこで政府は、運動を起こしたり、法律を制定したしたりして、「貯金」を国民に推奨しました。ここで日本人は「貯金をすることはいいことだ」「貯金をすることは大切なんだ」と思うように、

「日本人が貯金好き」

という国民性を持つようになりました。そして戦争が終わってからも日本人は貯金をする訳です。すると銀行をはじめとする金融機関は莫大なお金を手にします。

でもって、銀行(金融機関)は企業に融資・投資をする訳です。だから、戦後長いこと、日本の企業は銀行からの資金に頼っていました。海外は銀行からの資金が大体20%弱だったそうですが、日本はなんと40%程度の資金を銀行に頼っていたそうです。ということは裏を返せば、海外諸国に比べると、日本の株式市場はあまり発達していませんでした。

 しかし、1985年、プラザ合意というのがニューヨークで行われます。プラザ合意の目的は、ドル高の是正なのですが、これにより急速に円高が進みます。それに対応するため、日銀は低金利量的緩和政策を行いました。それにより株式市場に大量の資金が流れ込み、株式市場が発達していきました。

 そして1990年代にバブル崩壊。金融機関はお金を企業にあまり貸さなくなりました。すると企業はどこに頼るしかなかったか。そう、投資者です。

 

よって、日本はプラザ合意バブル崩壊を契機に、間接金融から直接金融へと変遷していきました。こうなると、株式市場で公開される企業の情報は今まで以上(プラザ合意前、バブル崩壊前)よりも重要になっていった訳です。すると、企業が公開する情報に不正があると社会・経済に甚大な被害を及ぼしてしまう訳です。

だから、「監査」の重要性が増してきました。

「あ〜監査って世の中に役に立ってんなぁ」と思いました。

(ここまでマニアック話 ↑↑↑)

 

そういう訳で、「監査とは世の中に役に立っているなぁ。」「公認会計士は意義のある職業であるのだなぁ」と当たり前ではありますが思った訳です。

 

 

役に立っていると実感しやすいかしにくいか

こう、「監査」の社会的意義をかみしめた訳ですが、

「そもそも世の中の仕事は、人の役に立っているからあるんだよな」

と思う訳です。ただ、仕事をしていて、役に立っていると実感しやすいかしにくいかという差があるだけの話。

 例えば、医者だったり看護師だったりは、人の役に立っていると実感しやすいかもしれません。人の病気を治したり、患者をサポートして元気にするのですから。

 その一方で、街頭でのティッシュ配りだと、人の役に立っていると実感しにくいかもしれません。実際には、ティッシュに付随する広告を見て、お店のお客さんをゲットし、お店の利益はアップ、お客さんは満足と、人の役に立っているかもしれないのに。

 

 そう考えると、仕事は全て人の役に立っているのだから、仕事を選ぶ上での基本スタンスとして、

自分はどういう形で人の役に立つかを選ぼう

であるべきなのだと僕は思います。

 

じゃあ、僕はどのようにして世の中の役に立ちたいのか、人の役に立ちたいのかと、考え始めてしまいました。(迷走のはじまり)

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

〜迷走vol.2〜に続く