シューターのブログ

働くとは、生きるとは 〜迷走vol.2〜

 

 前回のブログ『迷走vol.1』では、監査論のテキストを読み進める中で、公認会計士の存在意義(監査等の社会的役割)を知り、

公認会計士という職業は人のため、社会のためにある仕事なんだ」

と腑に落ちました。(実感ではないが、似たようなもの?)

そして、そもそも

「仕事とは、人の役に、社会の役に立っているから存在するのだよな」

と当たり前のことが脳内にちらついてきた訳です。

だから、職業を選択する上で大切なのは、

「自身がどういう形で社会に、人に貢献するか」

を自分なりに考えることだと思います。そして、それを考えた上で仕事を選ぶということがとても肝要だと考えます。ということは、結局

「自分はどうやって人に、社会に貢献しよう」

という根本的な問題にぶち当たってしまいます。あまり「自分探し」という言葉のニュアンスは好まないのですが、「自分探し」をするしかないのかと途方に暮れています。

 

仕事をどう選ぶ?

 僕もこの4月から大学3年生。就職ということを考えざるを得ない時期が迫ってきたなと実感しています。最近は某ウイルスが世界に猛威を奮っていますが、

コロナウイルスにより不況が到来して、自分の世代は就職氷河期になるのじゃないか?」

だったらいっそのこと

「大学院に進学するとか、留学するとかしようか(お金どうしよう、笑)自分は勉強が好きな人間だし、向いてんじゃね?」

なんて、安易に仕事を選択することから逃げたいという気持ちも出てきます。

その一方で、大学院は、研究者を育成する目的・色が強めであり、俺は研究者になりたいのかなんて自問自答したりもします。

少し前に、R&D(研究開発)という言葉の意味を辞書で調べたことがあるのですが、

研究・・・新しい知識を見つけることが目的

開発・・・知識をもとにそれを応用し、具体的なモノ・サービスへと変えることが目的

とある本に書かれていました。

「そうか、研究者になるということは、基本的には新しい知識を見つけることが目的なのか」と。であれば、結構孤独で辛い道であるなと僕は思います。例えば数学みたいに、発見した知識が自分の死後100年とか、200年とか経ってようやく社会の役に立つかもしれませんし、そもそも自分の発見した知識が世の中に役立たないなんてことも考えられます。さらには、世間からは、

「研究者ってのは、知識ばっかで頭でっかちなんだよ」と揶揄されるかもしれません。

それ相応の覚悟や信念ってものがないと続かない仕事であるのかなとも思います。そして、このことは他の職業でも言えるのではないのかと思ったりもします。

 

攻めと守り 25歳までというライン

 「25歳までが一つの勝負です。」いきなりそんなことを言うと、四方八方からあらゆる批判が飛んできそうです。実はこの25歳と言うライン、どっかの本で見たことがあるのですが(ちょっと思い出せない、本田健さんとかの本だっだかな、あの人謎なんだけど、笑)、

にいろいろ面倒を見てもらいやすい年齢、いろいろ教えてもらいやすい年齢」

です。人生一生勉強で、「学ぼうと言う意欲があれば、何歳であってもいろんなことを教えてもらえる」と言う考えは僕も知っていますし、一理あると思います。ただその一方、人生残酷なもので、25歳を過ぎるとどうしてもだんだんと大人として見られていき(たとえ精神年齢が子供でも)、自然と周りの人がとやかく言わなくなってきたり、新しいことや間違っていることを教えてくれなくなるものです。だから、25歳までにどんな人に会うか、そしてどんなことを学ぶのかと言うのがとても重要だとか思うのです。そして、そう考えると大学卒業後の進路、はたまた就職というのは非常に重要な選択だと僕は考えます。

 そしてここで職業を選択する上で利用する指標として思い浮かぶのが

「攻めるか守るか」という指標です。

 言い換えると、「自分の苦手なことだけど、人生においてマストなスキルが学べるだろう」というある意味、自身にとって挑戦的な職業選択の仕方と、「自分が得意なことで、極めるとそれなりの専門的スキルを手に入れることができるだろう」とある意味、好き・得意重視、保守的な職業選択の仕方です。

僕の中での挑戦的な職業と保守的な職業は

挑戦的職業:経営者 営業マン(民間に就職)

保守的職業:研究者 公認会計士

です。もっといろいろ考えたことはありますがざっくりと分けるとこんな感じです。

なぜ、経営者や営業マンという職業が僕にとって挑戦的かというと、これらの職業は対人スキルやリーダーシップ、もっというと共感力(人を思いやる気持ち)とか日々の笑顔とか、日々の挨拶とか、そういったことが重要です。経営者なんかだともっと専門的知識が必要だったりというイメージかもしれませんが、一年半僕が数十人は経営者に会ってきた中で感じたのは、「知識なんてものは二の次、まずは人との関係が大切」ということです。そして、このことは仕事はさておき、人生においてとっても大切なことです。

しかし、僕はあまりこの部分は得意ではなく、努力しても人並みか、伸びても平均よりちょっと上にしか届かないだろうなと、どこか思ってしまう部分があります。だからこそ、ここに対して劣等感というものもあり、そこで挑戦して見たいなんて思いも逆にあります。ただ、僕自身は対人スキルを自分のベースとして勝負する人間ではないと思っています。だから、僕にとって経営者や営業マンなどになろうと、大学卒業後に職業を選ぶのは「挑戦的」です。

 

対して、研究者や公認会計士という職業は、コツコツ勉強を続けること、知識を得ることに興味がある人に向いている職業だと思います。(もちろん、人と関わることはマストですが、他の職業と比べるとその割合は小さい)そして、僕はコツコツと勉強をすることが大好きですし、知識を得るということに対しては変態なレベルまでのモチベーションがあると自負しています。

「世の中の時間が10年止まるから、公認会計士と弁護士と医者の勉強、さらに外国語5カ国をマスターしてね、ヨーイドン」と言われたら、できるかどうかは置いといて、

「オッケー」

と即答できる自信があります。

春休みや夏休みがあると、つい本を手に取ってしまい、平気で一日中本を読むことに没頭してしまうなんてこともザラにあります。

こう知識を得ようという好奇心は僕の強みだと思っていますし、楽しいです。だから僕の中で、研究者や公認会計士という職業は保守的な職業です。

 

そして、「攻めるか守るか」という話と、「25歳までのライン」という話をつなげます。自分の苦手なことは、対人関係が主です。

だからこそ25歳までという人に面倒を見てもらいやすい時期にこそ学ばないと、一生そこに自信を持てないのではないかという考えが僕の中にあります。

一方で、25歳という時期にこそ、自分の得意なことをやってみるという環境に身を置くのがいいのではないかなんて思ったりします。

「やって見なきゃわかんない」この一言で済まされそうですが、僕にとっては悩ましい事案です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

迷走vol.3に続く