シューターのブログ

MG二日間での学び

 

昨日はMG2日目で、第4期、第5期をやりました。ちなみにMGとはマネジメントゲームの略で、MQ会計を使った経営ゲームです。昭和51年にソニーが開発したゲームで現実の世界を再現したようで、経営感覚をつかむのにとても適しています。それだけのこともあって、実際に参加者は事業をやられている方が多かったです。そしてMGでは経営や会計が学べるだけでなく、先生の講義もあり、幅広くたくさんのことが学べます。また、様々な分野の方々と出会い、様々な人生の話を聞くこともできます。

 

整理整頓の大切さ

今回一番印象に残ったのは、整理整頓の話でした。整理整頓が大切だということは誰しもが小学校で言われてきたと思うのですが、僕はイマイチなんで整理整頓が大切なのかロジックを知りませんでした。だからというとだいぶ言い訳になるのですが(笑)あまり整理整頓は得意な方ではありません(・・;)ですが、ロジックを聞いて、12月31日までに整理整頓の達人になろうと決心しました。そのロジックはというと、整理整頓は何も生み出していない時間を削減するためにするものだということです。もう少し詳しくいうと、ものを探す時間というのは、よくよく考えてみると生産性がゼロな時間であり、とても無駄な時間です。個人レベルの話で考えてみると、自転車の鍵どこだっけとか、USBメモリどこにあるっけと探している時間は何も自分のためになっていない無駄な時間であり、その時間を勉強なり本を読むなりと他のことに時間を当てるとより自分が成長できるというわけです。今度は仕事で考えてみると、オフィス内でホッチキスどこだっけとか書類どこだっけと探している時間は売り上げに貢献していない無駄な時間です。そしてそういった時間を削減するために整理整頓が大切というわけです。だから、整理整頓というのは小学校から習う重要なことらしいです。

 

人生あっという間

整理整頓の話を聞いてから、自分が今までにものを探してきた時間というのをざっくり計算してみました。1日平均10分ものを探していると仮定し、自分が生まれてからの年月、19年ちょっとをかけるとだいたい1155時間ものを探していることになりました。1155時間というと48日と少しで、僕は今までの人生で丸々1ヶ月半強ものを探し続けてきたということになります。これは整理整頓を普段からするしかないなと思いました!!さらにこれからの僕に残された時間を計算してみました。僕があと60年と生きると仮定した場合、約52万6000時間、日数にするとわずか2万1915日でした。意外と数字にしてみると人生短いもので、焦りを感じます。やりたいこと山ほどあるのに時間が無さ過ぎる...だから無駄な時間はとことん削ぎ落とす。そのためにはまず整理整頓から始めようと思います。僕に残された時間を濃いものにするために日々懸命に努力していこうと思います。

 

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MG1日目での学び 

〜9割を吸収し、1割の信念を持つ

 

今日は僕自身3回目のMG研修に参加させてもらいました。MGとはMQ会計という会計を扱ったもので商業簿記から管理会計、そしてMQ会計へと発展していった背景があります。このMQ会計というのは社長が会社の状態を見て戦略を練る時にとても優れた会計です。そして、そのMQ会計を学んで、経営の感覚をリアルにつかめるというのがMGのメリットであります。そんなMQ会計を扱うゲームMGに参加する中で、今日も新たに学びがありました。

 

感覚から知識の必要性を知る

MGに今日で3回目、期数でいうと12期参加させてもらえる中で、段々とどのくらいお金を持っている時に、何にお金を使うべきか、MGは2日間で5期をやるのですが、5期という期間を考えた時に、どの期に何をすべきか、シナリオを描くことが少しずつできるようなりました。もちろん、まだまだベテラン勢とは違い、複数の勝ちパターンや困難に陥った時の解決方法を持つことが僕はできていません。そこはMGを続けて感覚をつかんでいかないければならないと思っています。それと同時に僕が今日一番感じたのは、会計の知識を本気でつけなければならないということです。今までも、僕は会計の知識を、将来起業をするために身につけなければならないということは理解していました。しかし、やはり腑に落ちていないところがあり、本気で会計を勉強してやろうというような、駆り立てられる勢いというのは持っていませんでした。ただ、MG研修を一緒に受けている方々はほとんどが社会人であり、自分で事業をやっているよという人がとても多いです。そして、その方々と僕の違いはというと、会計などの知識があり、MGと結び付けられるかどうかというところと、実際に社会で事業に携わってMGの成果を試す場所があるかないかというところです。もちろん、僕は会計の知識もなければ、実際に事業をやっているわけでもありません。だから、今日MGをやっている中で、MGの学びを真に活かすには、会計の知識をきちんとつけ、MGのなかでその知識を照らし合わせ会計の知識を腑に落ちるところにまで持っていくこと。実際に事業をやって、MGで学んだことを実践し、結果を出すことだと感じました。だから、本気で会計の知識をつける、やりたい事業を実現するために極限まで詰めていくこと、これをすると決心しました。

 

人生の先輩からの教え

とても雑な言い方になるのですが、最近すごい方々と会う機会が急激に増えました。もう少し詳しく説明すると、社会がどういうものかを僕と比べ物にならないくらい知っていて、ある業界でご活躍されている方々です。僕はそのすごい方々(僕よりはご年配)を尊敬し、より多くのことを吸収しようと心がけています。そしてなぜ僕は、その方々を尊敬し、多くのことを吸収しようとしているのか、僕なりに理由があります。それは、僕よりご年配の方というのは、今ある社会を作ってきた方々で、僕よりも視点が広く、多くのことを知っているからです。面白いことから辛いことまで、僕よりも圧倒的に知っています。だから、人生の先輩を尊敬し、言われたことを素直に聞くことにはとても価値があります。ただその一方で、素直に聞くべきことは9割だと思っています。僕は結構野望的なことを口にするバカなのですが、本気で教育を変えたい、少子高齢化を武器にしたいと思っています。そして、僕は自分が考えたアイディアや考えを発言するようにしています。しかし、やはり、それはたくさんの人が挑戦し、失敗してきたことだからやめたほうがいいよ、君は可能性があるからもっと他の分野で勝負をすべきだと言われることがあります。もちろんそれはそれで正しいと僕は思っています。なぜなら、僕は考えたことを実現するための明確なプロセスや経営・会計の知識、優れたマーケティングの仕方を知らなく、きちんとしたエビデンスを元に反論することができないからです。でも、僕は今までの短い人生の中で日本の教育に不満を持ってきたし、田舎で育ち少子高齢化のなんとも言えない寂しさというのを感じてきました。だから、僕は本気で教育を変えたい、田舎を活性化させたいと思っています。僕にアドバイスをしてくれている方々は僕にとってとてもありがたい存在で、僕よりも圧倒的に視点が広く多いから、9割のことを素直に聞き、より多くのことを吸収していこうと思います。でも、1割、自分が本気でやりたいことというのは気持ち・信念は持っておきます。その1割が、世の中を変える鍵で、若者の使命だと僕は思っています。勿論、信念は成長するごとに、視点が変わって何かしら変化するかもしれません。ただ僕は、本気でやりたいという情熱は絶対に誰にも譲りません。

 

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清々しい気持ちになるから落ちているゴミを拾いましょうなんて馬鹿馬鹿しい

 

小学校の授業で、「落ちているゴミを拾いましょう」と教えられた覚えがあります。そして、「ゴミを拾うと清々しい気持ちになる」というようなことを先生に言われた記憶があります。しかし、「落ちているゴミを拾うと清々しい気持ちになる」なんてことあんまり僕はありません。もちろん、心に余裕があって、何かいいことをしたいなと思っているときに、落ちているゴミを拾うと清々しい気持ちになるのですが、学校に遅刻するかしないかの瀬戸際で、道端に落ちているゴミを拾おうなんて思わないですし、たとえゴミを拾ったとしても、清々しい気持ちになるどころか、イライラするばかりです。さらに、「清々しい気持ちになる」という根拠で「ゴミを拾いましょう」ということが通るととてもやばいです。たとえば、「ある人のものを隠して、ものを隠された人が懸命にその人のものを探す姿を見ると、清々しい気持ちになります」と小学生が言った場合、先生や親は絶対に叱りますよね。でもよくよく考えて見ると、ものを隠す根拠は、ゴミを拾う根拠と同じなわけです。だから、「清々しい気持ちになる」という根拠で道徳を教えるのはやばいです。こんな根拠くらいであれば、「情けは人のためにならず」ということわざのように、良いことをすると巡り巡って自分にいいことが訪れる。ゴミを拾ったことを誰かが見ていてくれて、その行いが人づてで多くの人に伝わり、自分のやってることに協力してくれる人が増えるかも。だから、ゴミを拾うべきである。逆に人のものを隠したときのことを考えると、隠された人は嫌な気持ちになるし、見ていた周りの人も嫌な気持ちになる。そしてそのことが噂され、仲間外れにされたりするかも。だからやらないほうがいいよ。とかの方がよっぽど筋が通ります。まあ結局何が言いたいのかというと、今まで学校で教えられてきた道徳は適当で、危なっかしいものばっかりだなと思ったということです。

 

ゴミを拾うことの目的

 少し話が変わるのですが、道などに落ちているゴミを自ら拾うようにしている先生や社会人の方を数人知っています。その話を聞いて素晴らしい行いだなと思ったのですが、僕は決してその人たちが、街からゴミをなくしてやろうとゴミを拾っているとは思えません(笑)ではなぜゴミを拾っているのか...

 少し前の出来事なのですが、茨城県つくば市のゴミを拾おうというNPO団体を運営している方とお会いする機会がありました。そして、ゴミを拾うNPO団体を運営している理由にとても説得力がありました。その理由はもちろん「街からゴミをなくす」というものではなく、「ごみを拾うのっていいじゃんという風潮をつくる」という理由でした。街のゴミをなくすっていうのは絶対に無理、拾うのと同じ時に別の誰かゴミを道端に投げている。だから不可能であると。だったら、発想を変えてゴミを捨てない風潮、ゴミを拾うのっていいじゃんていう風潮を作れば、街が綺麗な方向に近づくよねという訳です。これは感銘を受けた発想であると同時に大きな問題に取り組む際に、とても使える考え方だなと思いました。例えば、外食に行った時に平気で食べ物を残す人がいるが、その人に対していちいち注意してもキリがないし、たまたま食べ物を残した人の体調が悪かっただけかもしれない。その人に食べ物を残すなと注意したら気の毒だし、いざこざに発展したりするかもしれない。それよりは、「外食で食べ物を残さない方がいいじゃんという風潮を作る」という考え方で問題解決に取り組むなど。こういう発想で少しビジネスプランや物事を考えてみようかなと思います。

 

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安芸太田町戸河内にて

 

昨日、今日と安芸太田町のある民家的な場所でバーベキューに参加して、一泊しました。NPO法人ひろしまジン大学とNPO法人三段峡-太田川流域研究会が企画したもので、日中の三段峡の散策がメインだったそうですが、バイトが入って僕自身は参加することができませんでした。ですが、この2日間とても僕自身とても勉強になる時間となりました。

 

着くなり衝撃的

BBQから参加となり、BBQの準備をほんの少しですが手伝わさせてもらいました。手伝いのレクチャーは小学生の子から受けました。その内容が僕にとっては衝撃で、仕入れてきたヤマメをプールの中に入れていて、それをまず、手づかみで捕まえる。次にデコピンでヤマメに脳震とうを起こし、気絶させる。その後素早くヤマメの肛門からハサミの刃を入れ、あご・エラの辺りまで切って内臓を取り出し、洗うという作業でした。それから、焼いて食べるので、串に刺す作業をしました。背骨の右からさして、背骨の裏を通して左に出し、もう一度右に挿して通すということをしました。これだけを聞くと気持ちが悪いと思う方も多いと思うのですが、普段僕たちが食べている焼き魚やお寿司、土用の丑の日のウナギもこのような行程があってこそ、僕たちが口にできるわけで、生き物に感謝するという学びの機会になりました。そして、小学生のうちから生き物と触れ合い、生きている魚から調理するということをしていると、いろんなことに感謝できたり、見えることが広がったりするのだろうなと感じました。

 

久しぶりの強烈なモヤモヤ感

参加していたメンバーの方々はNPO法人ひろしまジン大学とNPO法人三段峡 -太田川流域研究会の方々で、深くNPO法人の運営に関わっている方、それとは別に会社を経営している方、海外で事業をしているよって方などなど、本当に様々、そして実際に世の中で大きくご活躍されている方々ばかりでした。僕はあるNPOをやっている兼事業をやっている方のご紹介という形で参加させてもらったのですが、初めましてであるにも関わらず、みなさんつまらない僕に相手をしてくれて、僕自身たくさんのことを考えることができました。僕自身の考え方も話す機会があり、聞いてもらうことができたのですが、それに対する意見やアドバイスというのが自分が今まで考えたことのない切り口であったり、自分の考えていることが本当に本質を捉えているのかなと考えさせられるようなものでした。今まで考えたことのないような分野に対しては深く関わっていき勉強していこうと思います。ただ、この2日間は自分がこれから何をすべきなのか、明らかになった部分がある反面、わからなくなった部分もあります。わからなくなった部分に対しては真摯に根気よく立ち向かおうと思います。そして、このモヤモヤ感。これが一番成長できる時だと自分自身思っています。この瞬間を大切に、このモヤモヤ感を言語化できるよう日々頑張っていきます。最後に僕をこの場に紹介してくれた方、また、その紹介してくれた方を僕を紹介してくれた方、NPO法人ひろしまジン大学・NPO法人三段峡-太田川流域研究会の方、昨日、今日を共にいてくださった方々に感謝します。

 

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正論VS正論

 

 

今日は最近感じるとても偏っているかも知れない、バリバリの個人的意見を書こうと思います。話は題名の通り正論VS正論の話です。最近色々な人が様々な議論をしているのを見たり、自分が参加したりするのですが、やっぱり世の中、賛成反対、白黒を完全に付けれるようなものは少ないと感じます。だから、正論VS正論という構図が生まれてしまいます。しかし、この正論VS正論。僕は優劣をつける一つの基準があるのではと思っています。

 

全体のため意見か

結論から申しますと優劣をつける基準はどれだけ広く物事を見て全体のための意見を言っているかです。これだけを聞いてもピンとこないかも知れないので具体例を出しますと、今の日本は明らかに他の先進国と比べて教育の制度、組織が遅れているから変えるべきだと教師が立ち上がるとします。それは世界という大きな視点から日本を見て、このままでは日本が世界から取り残されると見越して、教育を変えるべきだと言っているわけです。しかし、そういう時、大抵の上のものはこう言います。「まずは目の前の生徒と向き合うべきだ」「今ある目の前の仕事をきちんとやってから言え」と。これはとても正論でなかなか逆らうことが普通はできないじゃないですか!でもここで疑うべきべきは、そういうことを言う奴が大きな視点で教育を見て、全体のために意見を言っているのかと言うことです。人は変わるのを拒みがちで、大きく変わろうとする者を潰そうとします。しかも強烈な正論で。そして、そういう奴の言う意見が採用されて、気づいたら大きな問題が目の前にあり、既に手遅れで、全体が潰れちゃう。しかも、小さな視点で意見したやつは責任を負わないという始末です。これは教育だけでなく、会社の組織構造を変えようとする者VS拒む者やスポーツのチーム作りの手法を変えようとする者VS拒む者などの構図でも言えることです。

 

「はい、論破」は最低!

 ちょっと前のことですが(いや、だいぶ前?笑)、「はい、論破」というフレーズが世間で流行しました。この「はい、論破」、僕はとても危険なフレーズだと思っています。というのも、あの言葉は完全に自己満足の言葉であり、論破をすることにこだわると、ついつい、小さい視点で見た強烈な正論で「はい、論破」と言いだしてしまうからです。そして、その言葉が日本ではやったという事実に僕はゾッとします。そもそも、そんな完全に白黒つくことはほとんどないし、「はい、論破」というやつは本当に大きな視点で物事を見て、全体のための意見を言って、「はい、論破」と言っているのかとても疑問に思います。僕は全体を見て物事を見て判断し、意見をいう能力はまだまだ乏しいかもしれませんが、広い視野で物事を見て、全体のために意見をいう人になりたい。そして、大きな視点で物事を見て、大きな変化を起こそうとしているやつを潰すのではなく、応援できるような大人になりたいです。

 

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インプットとアウトプット

 

昨日は今年3本の指に入るくらい充実した日でした。昨日は大学に行って授業を受け、海釣りに行って、外交官の方の食事に行ってお話をし、また海釣りに行くという普段とは違うスケジュールでした。普段釣りはあまりしないのですが、先輩と2人で70匹ほど釣れたので本当に驚きで、とても楽しかったです。そして外交官の方と先生とお食事に行ってお話をさせてもらえる貴重な機会をいただきました。前後に海釣りを挟んでおり、生臭かったかなと思います(笑)

 

無視することはもはやできない中国

外交官の方とお話をさせてもらう中で、中国国内の現状や発展具合などたくさんのこと聞きました。学生のレベル、ハングリー精神の高さから日本より発達している電子マネーサービスの良さ、産業、本当に驚くことだらけでした。今日本と中国の間で行われていることなど興味深いことも聞きました。そして中国に関してのお話で一番強く感じたのは”中国は無視できない”この一言につきました。それは世界時価総額ランキング(株価×発行済の株式数)を見ても言えることで、2018年9月末のデータによると、トップ50に日本の企業は1社(トヨタ自動車:42位)しか入っていないのだが、中国はトップ10に2社(アリババ:7位、テンセント:8位)トップ50には8社います。ここから日本の企業が中国の企業に太刀打ちできていないことがわかります。今からは中国と戦うのではなく、どうやってちゅごくと協力してやっていくかを考えないといけないと感じるとともに、日本が実際にそういうように動いているということを知りました。

 

注目すべきはアウトプット!!

中国との話から少しだけ脱線して、AIの話もしました。いきなりですが、AIと言われると人間と比にならないくらい膨大な記憶ができ、処理もできるインプットが得意な存在だと思われがちですが、実は注目すべきはそこではなく、AIはアウトプットが人間よりも優れているという部分です。この話がとても面白く、というのも人間ができるアウトプットは喋ることと目線や身振り手振りと限られているのですが、AIはというと音声を自由自在に(言葉だけでなく音楽なども)アウトプットでき、バーチャルな世界を作り出すこともできます。人間に比べて圧倒的にアウトプットが得意なわけです。だから今、AIにインプットで人間が負けると騒がれていますが、本当に危惧すべきはアウトプットだと言えます。そしてその研究を行なっているのが、あの有名なイーロン・マスクさんだそうです。ちょっとまだ勉強不足で今からイーロン・マスクさんに関わる本を読み漁ろうというところなんですが、聞いたところによると人間がインプットした情報をそのまま全てアウトプットできるようにするという研究をしているそうです。訳がわからないくらい面白研究をしているので今から調べます(笑)

 

貴重な時間

最近、だいぶ雑な表現をすると「すごい人」とお話をさせてもらえる機会が多いのですが、「すごい人」と会った時に「すごい」だけで終わらせないように意識しています。これは意識していないとそうなりがちだと思っていて、「すごい」だけで終わらせてしまうと貴重な機会が無駄になるだけでなく、僕にわざわざ時間を割いてくださった方に失礼だと思います。そして、その人はどういう考えを持っていてそれを元にどういう行動をしているのかを聞き、そこから自分は何が学べるかを考え、有意義な時間になるようにすることが大事だと思い、実行しています。ですが、まだまだ、自分の勉強不足で、全ての話に反応して、深い話にまで持っていくということができていません。だから、もっと勉強します!本当に最近は学びの多い日々です。

 

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深く考えるとは

 

 先日、これからの日本の教育についてのお話を聞く機会がありました。そのお話の中に今後、日本人の若者に求められるコンピテンシー(高業績者の行動特性)は「深く考える」「グローバルダイバーシティ」「積極的」「基礎ができている」の4つではないかという発表がありました。このうち「深く考える」について今日はブログで取り上げて書いてみます。

 

なぜ深く考えることが求められているのか?

今、教育界では「深く考えること」が求められているのですが、「深く考える」ってやはりどこか堅苦しくて、めんどくさいようなイメージがあるかもしれません。しかし、「深く考えること」はとても重要なことです。今日、誰でも気になることがあれば一瞬で調べることができます。そして、その弊害として、「深く考えること」が苦手である若者が多いと言われています。「わからないことがあればググればいいでしょ!」という意見、別に間違っているわけではないのですが、その代わりに普段から「深く考えること」を習慣にすべきことを提案します。というのも、「深く考えること」は「物事の本質を見抜くこと」に直結するからです。例えば、体育祭や合唱祭。体育祭や合唱祭は基本勝負事であり、クラスで団結して勝とうという取り組みであるのですが、勝つことだけが本質であり、勝てればいいというものではありません。体育祭や合唱祭には「みんなで協力することの素晴らしさに気がつくこと」や「一生に残るいい思い出を作ること」などがあると思います。だから、運動神経のいい子や音楽的センスのある子が苦手な子を責めたりするのは、気持ちはわからなくもないですが、本質的なところが見えていないと言えます。まあ、これが学校の行事ぐらいならいいのですが、社会人になった時。ある事業であることに取り組んでいるとします。でも今取り組んでいるあることが「ある事業の目的(本質)」に沿っているかを意識していないと、無駄なことに時間・労力を費やしてしまいがちになります。すると、「私は頑張ったのに、なんで上の人は認めてくれないの?」とか「そもそも事業自体がうまくいかない」ということになってしまいます。

 

深く考えることは再定義!?

数ヶ月前、キンコン西野さんの講演会に行ったのですが、そこで彼は「本質は再定義することによって見える」とを言っていました。(多少、聞いた時の自分の解釈で違ってるかも)面白い例を出していて、「生活必需品とは」と再定義していました。そして「生活必需品」の中に、「お土産」が入るのではと言っていました。「生活必需品」と聞いて思い浮かぶのは、ご飯や野菜、お肉、お魚などの食料やエアコンや洗濯機、ドライヤーなどの家電、その他スマホなどだと思うのですが、「お土産」って旅行に言った時に絶対買うよね!だから、お土産って生活必需品だよねという話です。じゃあなんでお土産を旅行に行った時に買うのかというと、「お土産は、旅行したという記憶を思い出すための装置である」からです。「ディズニーランドに行った時に味なんか求めていないクッキーを缶で買うよね!」と言われてなるほどと思いました。まさに、自分もディズニーランドに行った時、クッキーを缶で買い、スティッチのマグカップを買い、しまいには普段ぬいぐるみなんて好きでないのに右手にくまのプーさんという状況でした。それは、ディズニーランドに行ったという記憶を何年経っても思い出せるようにするための行動でした。この考えを応用すると、物を売る時には「商品をお土産化すること」を意識すればいいよねと行っていて、僕は再定義し、物事の本質を見抜くことの重要性を思い知らされました。

 

再定義はすごく面白い

自分は同世代の人より深く考えることが得意であると少し自負しているのですが、再定義をすることによって物の見方が変わり最近面白いです。例えば、最近学歴社会が崩壊しつつあると言われているのですが、そもそも「学歴社会」とはなんであるのかと考えてみます。それは単に偏差値の高い奴が評価される言われればそうではあるのですが、もっと厳密に言うと、よりたくさんのことを覚えている奴が評価されると言う話です。そこで、学歴社会崩壊の話に戻すと、今日、人間より記憶が圧倒的に得意なもの、コンピュータという存在があります。コンピュータというものが生まれたから、人間により多くのことを記憶するという能力が求められなくなり、むしろクリエイティブにということが今は求められています。ここで繋がりました!だから今、学歴社会が崩壊しつつあるという訳です。

 

教育では生徒に再定義させるということをさせると深く考える力がつき、期待できる若者が日本で育つのではないかと思っています!

 

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