シューターのブログ

深く考えるとは

 

 先日、これからの日本の教育についてのお話を聞く機会がありました。そのお話の中に今後、日本人の若者に求められるコンピテンシー(高業績者の行動特性)は「深く考える」「グローバルダイバーシティ」「積極的」「基礎ができている」の4つではないかという発表がありました。このうち「深く考える」について今日はブログで取り上げて書いてみます。

 

なぜ深く考えることが求められているのか?

今、教育界では「深く考えること」が求められているのですが、「深く考える」ってやはりどこか堅苦しくて、めんどくさいようなイメージがあるかもしれません。しかし、「深く考えること」はとても重要なことです。今日、誰でも気になることがあれば一瞬で調べることができます。そして、その弊害として、「深く考えること」が苦手である若者が多いと言われています。「わからないことがあればググればいいでしょ!」という意見、別に間違っているわけではないのですが、その代わりに普段から「深く考えること」を習慣にすべきことを提案します。というのも、「深く考えること」は「物事の本質を見抜くこと」に直結するからです。例えば、体育祭や合唱祭。体育祭や合唱祭は基本勝負事であり、クラスで団結して勝とうという取り組みであるのですが、勝つことだけが本質であり、勝てればいいというものではありません。体育祭や合唱祭には「みんなで協力することの素晴らしさに気がつくこと」や「一生に残るいい思い出を作ること」などがあると思います。だから、運動神経のいい子や音楽的センスのある子が苦手な子を責めたりするのは、気持ちはわからなくもないですが、本質的なところが見えていないと言えます。まあ、これが学校の行事ぐらいならいいのですが、社会人になった時。ある事業であることに取り組んでいるとします。でも今取り組んでいるあることが「ある事業の目的(本質)」に沿っているかを意識していないと、無駄なことに時間・労力を費やしてしまいがちになります。すると、「私は頑張ったのに、なんで上の人は認めてくれないの?」とか「そもそも事業自体がうまくいかない」ということになってしまいます。

 

深く考えることは再定義!?

数ヶ月前、キンコン西野さんの講演会に行ったのですが、そこで彼は「本質は再定義することによって見える」とを言っていました。(多少、聞いた時の自分の解釈で違ってるかも)面白い例を出していて、「生活必需品とは」と再定義していました。そして「生活必需品」の中に、「お土産」が入るのではと言っていました。「生活必需品」と聞いて思い浮かぶのは、ご飯や野菜、お肉、お魚などの食料やエアコンや洗濯機、ドライヤーなどの家電、その他スマホなどだと思うのですが、「お土産」って旅行に言った時に絶対買うよね!だから、お土産って生活必需品だよねという話です。じゃあなんでお土産を旅行に行った時に買うのかというと、「お土産は、旅行したという記憶を思い出すための装置である」からです。「ディズニーランドに行った時に味なんか求めていないクッキーを缶で買うよね!」と言われてなるほどと思いました。まさに、自分もディズニーランドに行った時、クッキーを缶で買い、スティッチのマグカップを買い、しまいには普段ぬいぐるみなんて好きでないのに右手にくまのプーさんという状況でした。それは、ディズニーランドに行ったという記憶を何年経っても思い出せるようにするための行動でした。この考えを応用すると、物を売る時には「商品をお土産化すること」を意識すればいいよねと行っていて、僕は再定義し、物事の本質を見抜くことの重要性を思い知らされました。

 

再定義はすごく面白い

自分は同世代の人より深く考えることが得意であると少し自負しているのですが、再定義をすることによって物の見方が変わり最近面白いです。例えば、最近学歴社会が崩壊しつつあると言われているのですが、そもそも「学歴社会」とはなんであるのかと考えてみます。それは単に偏差値の高い奴が評価される言われればそうではあるのですが、もっと厳密に言うと、よりたくさんのことを覚えている奴が評価されると言う話です。そこで、学歴社会崩壊の話に戻すと、今日、人間より記憶が圧倒的に得意なもの、コンピュータという存在があります。コンピュータというものが生まれたから、人間により多くのことを記憶するという能力が求められなくなり、むしろクリエイティブにということが今は求められています。ここで繋がりました!だから今、学歴社会が崩壊しつつあるという訳です。

 

教育では生徒に再定義させるということをさせると深く考える力がつき、期待できる若者が日本で育つのではないかと思っています!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。