シューターのブログ

20歳になりました

 

朝はクマゼミが鳴き、夕暮れはヒグラシが鳴く蒸し暑い梅雨がまだ続いています。そんな中先日、20歳を迎えました。小さい頃は大人になるなんてリアルに想像することができませんでしたが、気づけば成人です。時が過ぎるのって早い。

 

スタートライン

さて、20歳になったということで、抱負のようなものを掲げた方がいいのかな、なんて思ったりしています。「大人になってやりたいこと」とか「将来の夢」とかを考えるものの、ふわふわとしたものばかりでビシッと具体的なものが出てきません。具体的に描けば描くほど夢は叶うという法則を耳にちょくちょく挟む度に、これじゃあ駄目だなと思っているうちに大人になってしまったわけです。

 

自由という厳しさ

ついこの間、SNSを眺めていると、『何者』や『桐島、部活やめるってよ』などの作品で知られている朝井リョウさんの記事を見ました。その記事には「決められtレールガない心もとなさ」について書かれていました。(WEB Voice  社会・教育 2019年7月10日より)

【朝井】 私の世代は、相対評価よりも絶対評価が重視されてきました。平成では対立をなくす動きが進んだことで、自分の価値を確かめることがむしろ難しくなった気がします。外から何かを強制される苦しみとは確かに縁遠いですが、決められたレールガない自由から発生する心許なさには心当たりがあります。

自由が故に何をやればいいか、何に向かって突っ走ればいいかわからないし、突っ走れば突っ走るほど不安になることが僕もあります。

他にも自由の厳しさについて言及している人が多々います。少し前の時代の人物を一人取り上げてみます。哲学者サルトルです。サルトルの有名な言葉にこんな言葉があります。

 

人間は自由の刑に処されている

 

なんとも気味の悪いフレーズですね。さてさて、この言葉の意味はというと、ざっくりではありますが、自由に決断し行動することは、その決断や行動の責任が全部自分に跳ね返ってくるということです。

例えば、職業選択という自由があった場合で、ミュージシャンになろうとする。すると、ミュージシャンを目指すのは自由だけど、鳴かず飛ばずのミュージシャンのままで路頭に迷ってたとしても、責任は全部君自身にあるからね、となる訳です。そして誰も助けてくれはしない。

他にも例えば、暖かい家族を作って、幸せに暮らしたいと願って願っている。そこで結婚したのはいいけれども、夫婦関係は悪くて離婚。しかも子供がいるから一人手で育てるしかないとなったとしても、責任は全部君自身にあるからね、となる訳です。そして誰も助けてはくれない。だって自分で決断して行動したんでしょ、って。

このようなことがあらゆる決断・行動に言えます。当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、これって意外と辛い。そして時々僕は思います。

人間は自由の刑に処されている と。

 

5000年前の本

自由は厳しい。それが故に自分の軸というのをドシッと持っていない。そんな僕に対して易経を読んでみたらいいよと勧めていただき、最近易経について少し勉強しています。とは言え、中国の5000年前の本で、なんとも胡散臭い。読んでも意味わかんないだろうしなと思いながら、易経界で権威のある安岡正篤さんの『易経講座』を読んでみました。読んだのはいいものの案の定、チンプンカンプン。何を言っているのかさっぱりわかりません(笑)。易経会では大先生的存在らしいのですが、ついつい「おじいちゃん、ちゃんとわかりやすく書いてくれよ」なんて言いたくなります。

そこで小学生でもわかる易経の本『易経陽の巻』『易経陰の巻』著者:竹村亜希子/都筑佳つ良 を紹介され、読んでみました。この本が極めてわかりやすく、中国古典の素晴らしさをまじまじと僕は感じました。書いてあることは単純かつ本質的なことです。例えば、「夢を持つとは?」とか「頑張るってどういうこと?」とか「褒められ続けるとどうなる?」とかとかです。

 

志を立てるのと夢を持つのは違う

易経には本質的なことがどうやら書かれているようなのですが、その中で「志」について書かれていることが印象に残ったので紹介します。

まず夢についてですが、夢はどこかふわふわとしたイメージがつきまとうことがあります。僕も小さい頃は野球選手になりたいとか、消防士になりたいとか、サッカー選手になりたいとか、ぼんやりと夢を描きました。でも僕は、野球選手にも、消防士にも、サッカー選手にもなっていないです。ではなぜなっていないのか(なれなかったのか)?

答えの一つとして、志を立てることができていないからです。

では志って何ってなりますよね。志っていうのは本によると、ちょっとやそっとのことではぐらつかない。しっかりとした決意や心持ちのようなものです。そして志は「持つ」と言わず、「立てる」と言います。これは地面に杭を強く打ち付けられたように強固なものであるという意味が込められており、「志を立てる」というそうです。この志を立てることがまず、夢を現実にするための第一ステップです。

この志を立てるということを僕を含めた若い世代ができていない傾向にあるようです。それは今の世の中が自由であるが故に。だから、まず初めの初めに、とっても大変だがとっても重要なこと、志を立てるところからしなければと思います。20歳から僕の本当のスタートです!

 

最後まで読んでいただきありがとうございます