シューターのブログ

人を好きになる

 

昨夜は”ゆめみがきトークライブ”というイベントに参加しました。その場では夢を持ち、それに向かって動いている方がご講演をされるという形式でした。僕がその場に行った理由は、「人の夢を聞きて〜、元気もらいて〜」というのではなく、知り合いの方がご講演されるからでした。半年ほど前に一度ご縁があり、お会いしてから、僕のブログやFacebookを見てくださっていて、「こんなに人に興味を持てる人ってすごいな」「どんな人か知りたいなぁ」という思いで昨日は話を聞きにいきました。

 

壮絶な過去

話の中でその方のバックグラウンドを聞くことができました。ごく幼い頃、父親がDVで母親が家からいなくなったこと、兄弟がバラバラに預けられたこと、新しいお父さんが家に来たこと、そのお父さんも暴力を振るう人だったこと、幸せな家庭が羨ましかったこと、劣等感が故に暴走族であったことなど、壮絶な過去に驚かされました。そこから職人の道を歩み、家族を作り、幸せになった。けれども、何か違和感があったこと、それから家族が崩壊したことなども聞かせていただきました。「そんな過去があった方なんだ!!だからこそ、人を好きになることが得意なんだろうな」と少しわかったような気がしました。そして、いまその方は、新たに起業をしました。僕の親より少し若いくらいで、持っている価値観を定め、コンパスをもち、進むべき方向を明確にし、突っ走っているというのが僕の印象でした。「今を懸命に生きて、過去は変えられないけれども、過去の意味を変えている」そんな方です。

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トークライブ



 

「人を好きになる」ことの大切さ

「人を好きになる」ことの大切さは、この方の他に、本からも学びました。その本は『人生の勝算』という本で、SHOWROOM前田祐二さんが書いています。ついこの間、「この本面白いよー」と春休みに大阪でできた知り合いの方に言われたこともあり、積ん読状態となった本たちから抜き取り、一読しました。本に書いてあることによるとm前田さんはSHOWROOMを立ち上げる前の前、外資投資銀行に努めておられました。そして、外資系が故に勤め先には東大、京大出身どころか、ハーバードやスタンフォードなど名門のビジネススクールがを出たエリートがゴロゴロいたそうです(おそらく今も)。周りはみんな優秀、学習能力が高い。能力の面でアピールしても、みんな必死にやるから秀でることが難しい。そこで大切なのが人間的な感情だと気がついたそうです。「適度にバカができる」とか「役に立とうと一生懸命」だとか、「話が面白い」だとか、数値では測れない感情に引っかかってくる人が選ばれ、好かれる。そして、それらをするには「人を好きになる」ことが肝要であると。「人に好かれる」以前に「人を好きになる」。

 

受け入れる、認める

ただ、僕は「人を好きになる」ということがあまりできていない人です。自身結構、「自分の嫌いなところに目を向け、それを全力で直す」という動機で努力してきたところがあり、「人の”良いところ”に注目する」とか、「周りのいろんな人興味を持つとか」、ができていなく、「人を好きになる」努力をしてきませんでした。大学に入ってから、いろんな人に会う中で気づき、ほんの少しだけできるようになったなくらいです。そこで昨日のトークライブで「”人を好きになる”には何が大切ですか?」と質問をしました。帰ってきた答えは「人を受け入れること、認めること」です。確かに昨日公演してくださった方は、それが当たり前にできている方に思えます。僕も「人を好きになる」、そのために「人を受け入れること、認めること」ができるよう変わっていきたいです。これができるようになると、仲間ができ、個人の努力だけでは見えない景色を見れるようになる可能性が生まれると思います。

 

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お客さん

昨日家に帰ると1つの手紙が届いていました。「今時手紙なんて珍しいな」なんて宛先人を見てみると、中学校の時に通っていた習字の先生からでした。通っている大学のサイトのページで僕が載っているのを見てくれたみたいで、封筒の中には手紙と共にそのページをプリントアウトしたものが入っていました。意外なところでちょっとした頑張りを見てもらえているのは嬉しい限りです。しかし、ここで問題が...。習字の先生の手紙、声が出ないほど綺麗な字で書かれていて、達筆達筆!!対して僕は、その先生に中学生の頃1年間半ほど字を教えてもらったのですが、未だに声が出ないほど字が汚い...。書いた手紙に赤い添削が一字一句入りそう(笑)。返信しづらい、パソコンで手紙を書くのもアレだし、誰か字の綺麗な人代筆してもらえませんかー、なんて(笑)。

 

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新年度始まり 

大学生活再開!!

桜の咲く4月になり、僕は大学2年生になりました。春休みの方がキツくて、大学生活がとても楽しいです(笑)。これまでの大学1年間、あっという間というのが普通かもしれませんが、僕の感覚では2、3年くらいあったようです。いろんなことがありました。ただ、昨年度は僕自身、個人レベルで成長をするにはということで動いてきました。それと打って変わって、今年から、組織をゼロから作って、組織を通して成長するとうことが期待できそうです。早速もう、動いています。今年度はより中身の濃い一年にします!

 

大阪から帰って一週間

4月に入ったのですが、一つその前に春休みで学んだことを整理しておきたいなとおもいます。春休み中に学んだことは、度々ブログで書いてきたのですが、一つ大きく学んだなということがあります。それは自分の今ある立場です。僕の今の立場は紛れもなく、学生です。この”学生”という立場がどういうものなのか、この春休みは考えさせられました。というのは、3月大阪で至るお店に出向いて、主にポスターを貼り回っていました。ボランティアという形ではあるのですが、実際は仕事のような内容で、報酬があります。店に入っては断られの繰り返し、ポスターを貼り回りながら、学生って勉強しとけばいいから楽だなと何度も思いました。そこで当たり前ですが、”学生”って顧客だよなということが頭に浮かびました。学費を払っているから紛れもない顧客。それに対して教授などが、働いている人(従業員)。学生は顧客であるから、大学内の先生たちは学生に優しいし、学生という立場は甘っちょろい立場だということに気がつきました。だとすれば、ある意味この時期は貴重な時期。この時間を有効に使わなければもったいないなです。保護されている環境だからこそ、トライアンドエラーを繰り返し、自身をブラッシュアップしていきます。

 

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旅の歴史

 

1000人を出迎える

昨日は神戸でポートターミナルで地球一周から帰ってきた1000人の帰港を手伝いました。船を見て、「大きいなぁ」とただ、フツーの感想が出てきました。「これに自分も近いうち乗るのかあ〜」なんて思うと、少し高揚しました。そして、乗船者には老若男女、外国人の方々が多く乗られており、帰ってくる人みんな焼けていて、地球一周してきました感満載でした。僕は荷物運びを手伝ったり、宅配便に誘導したりとなんだかんだ忙しくしている間に、元号「令和」が発表されていました(笑)。

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神戸に帰ってきたピースボート

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航路・寄港地

旅の歴史

ピースボートを神戸ポートターミナルで実際に迎えて、旅をこれからするという実感が湧いてきた。しかしそれと同時に、「旅とは何か」という疑問が出てきた。そこで旅の歴史を頭の中で整理しておこうと思う。まずピースボートというのは、団体旅行に当たる。そこで、団体旅行に注目する。団体旅行の始まりは1841年。イギリス出身のトーマス・クックが労働者に「健全な」娯楽を提供するために鉄道旅行を始めた。他にも日中忙しい労働者に「月光旅行」を提供したり、ヨーロッパ周遊旅行の開発を行い、現在の団体旅行ビジネスの基礎を作った。

すると、この団体旅行に満足しない人たちが出てくる。「生きている実感を求めるため」「自分を探すため」に旅へ出た。それがバックパッカーだ。1960年頃から、リュックが横に広がりすぎて、列車の乗降の際に横歩きをしなければならなかった「カニ族」や当時の「anan」「non-no」に感化され旅をする女子たち「アンノン族」が現れた。1980年半ばには、当時バックパッカー向けの『地球の歩き方」が創刊されたり、僕も高校生の時に読んだ、バックパッカーのバイブルといっても過言でない『深夜特急』著:沢木耕太郎 が出版された。1996年には猿岩石が「進め!電波少年」でヒッチハイクの企画をし、社会現象を巻き起こした。

そして現在、ピースボートといった「団体旅行」や発展途上国でボランティアをする「団体旅行」(僕も高校卒業直前にカンボジアに行った)がまたブームになっている。今ブームの団体旅行は、一番最初19世紀の旅とは違って「自分探し」の色が強い。そして今の若者は「みんなと一緒」というのにとてもこだわる。発展途上国でボランティアといった「団体旅行」は、そこで現地に貢献するという意識よりも、そこで友達・つながりをつくる色合いの方が強い。今旅好きの若者の間で崇拝されている高橋歩も「みんなと一緒」を大切にする価値観を持っている。高橋歩は「どんなに素晴らしい景色を見ても、どんなに美味しいものを食べても、美味しいね、美味しいねって、一緒に言い合える人がいなけりゃ全然つまらない」といっている。そしてそういった価値観をもとに活動している旅団体は僕の周りでもいくつか見受けられる。(僕はそういう価値観ではないし、時々に抱えている目標を見失いそうになるので「みんなと一緒」というのはあまり好まないが、世の中はそういう流れらしい。)

 

旅で大きく人は変わらない

時々「旅で人は大きく変われる」みたいなことを言う人がいるが、個人的には幻想だと思う。意外と旅から帰ってきて、すっと日常に戻ったり、「自分探し」を継続するのだと思う。はたまた、旅中に友達ができて「楽しかったね」で終わることもあるかもしれない。ではなぜ僕は旅に出ようと思うのか。それは旅を「種まき」と位置付けているからだ。人生の時間は残念ながら有限であり、死亡率100%である。僕はしぶとく100歳まで元気に生きるつもりなので、今が人生の約5分の1の地点に当たる。そして比較的自由な時間があるのが今の時期の特徴だ。そこで世界の国々を回っておくと言うのは、とってもコスパのいい自己投資だと思う。行った国々に関する情報に対して今後80年アンテナを張ることができる。残りの80年間で、アンテナから情報・ヒントをキャッチし、行動に移すことができる。だから僕は「旅」を種まきと位置付けて、活用していきたい。

 

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ポス貼りで『孤狼の血』ロケ地を歩く

 

広島4日目

4日目は呉の阿賀へポスター貼りに行きました。安芸阿賀駅を降りた瞬間絶句、「これは店がない、ポスターはれないな」少し気分が沈みました(笑)とはいえ、景色が綺麗で学校が多いのが印象的でした。呉高専の場所を初めて知ったし、『孤狼の血』で出てきた大谷川沿いも歩きました。確か松阪桃李演じる日岡が、役所広司演じる大神の水死体を見つけたということを聞き、走っていた場面だったような気がします。大谷川のバックには灰々峰が立ち尽くし、「広島有数の夜景スポットだよなぁ、でも昔殺人事件あったしな」なんて思い更けながら歩きました。(灰々峰頂上付近で『孤狼の血』の一場面が撮影されました!)ポスターは貼れませんでしたが、ロケ地を歩けて楽しかったです。

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安芸阿賀駅から

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大谷川 (孤狼の血 ロケ地付近)



広島5日目

5日目は広島市中区舟入を主に回りました。舟入はしょっちゅう通るのですが、「幸町」を「さいわいちょう」と読むのは知らなかったです。舟入高校も初めて見ましたが、建物が綺麗で驚きました。そして昼ご飯は広島の老舗「寿々女(すずめ)」で中華麺を食べました。(普段はポス張りの際、時間が勿体無いので、コンビニで済ませるのが多いのですが)復活した寿々女に入ったことがなかったので、店に行くことができてよかったです。中華麺は豚骨醤油でスープがしつこくなくとっても美味しかったです。きちんと寿々女でもポスターを貼り替えさせていただきました(笑)

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復活した寿々女

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美味しかった中華麺!



ポス張りIN広島を終えて

広島のポス貼りは地元ということもあり、気持ち的には楽でした。ただ夜行バスで大阪広島間を移動し、昼夜ポス貼りに没頭するのは大変で、睡眠時間が短くてとにかく眠かった。でも色々な場所を歩き回れたのは楽しかったです。そして1番の収穫は自分と向き合えたということ。いろんな人に会って話をする中で自分という人間が少しずつ見えてきました。ポスター貼りをする中で様々なことを感じ、これから自分がすべきことを少し明らかにすることができました。もっといろんなことに挑戦し、たくさんのことを感じて頭の中を整理し、一つ一つ自分の中で曖昧なものを明確にしていきたいと思います。大阪で残りの生活、広島で新たに迎える新学期、今まで以上のスピードで成長できるよう頑張ります。

 

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簡単に答えを固定するな 答えは常に更新し続けるもの

 

広島2日目

ポス貼り2日目は朝から晩まで西条を周りました。西条は大学生になってから何かと用事があり、だいぶお世話になった街です。街並みや西条の玄関口である西条駅が個人的に好きです。とはいえ、西条を歩き回るということは今までになかったので良い経験でした。西条駅周辺は意外と脇道に入ると店が多いことに驚いたり、「車で通ったことのあるこの道は、ここに繋がっていたのか!」といった感動がありました。夜までポスターを貼り続けていると「ポスター貼り頑張って!」と声をかけてくれる方もいて心強かったです。

 

広島3日目

ポス貼り3日目は本通りを貼り周りました。綺麗なお店が多く、ポスターを貼ることのできないお店が多かったですが、いろんなお店を知ることができて楽しかったです。ただ。平日にも関わらず人通りが多く、店内に人がたくさんいて、ポスター張りのためにお店に入るのが難しかったです。「自分も買い物で普通に本通りを歩きたいな」という心境が正直なところでした(笑)。夜は流川で2時までポス貼りを続けました。朝までやっている店が多く、「お店よ早めに今日は閉まってくれ!早く寝たい」「水曜日から遊び歩く人多くね!」と心の声が幾度となく漏れそうになりました(笑)家に帰ったのは4時。正直言って体力的にキツかったです。丸々1ヶ月(30日間)続いていた英語の音読も眠たすぎて、この日はできませんでした。(大阪に戻ってから再開しました!)

 

 

自身の苦手、好きではないことがわかる

広島2日目、3日目と過ぎていく中で、「初対面の人と話をすることが自分にとっては疲れるな」と自覚できました。もともと一人の時間が好きなタイプで、一人で何かに没頭していることが多いので、「あまり人と話すのが得意ではない」という自覚はありました。ただ、否が応でもポス貼りは初対面の人にばんばん声をかけないと始まりません。様々な人たちに声をかけて話をする中で、変に気を使っているのかどうか、「自分が話すことによって疲れているな」と感じました。将来仕事で「営業だけはできればやりたくないな」と思いました(笑)。とはいえ、人と話すスキル、コミュニケーション能力はこれからますます求められます。自分の性格からして「これは困ったものだな」と一言こぼれてしまいます。何か対策を打たないとな

 

正面がダメなら斜めから

人と話す人がとにかく好きな人だったら、たくさん人と話をすることで自然とコミュニケーションスキルが向上します。僕もいろんな人と話をするようにはこころがけているのですが、人と話をすることが好きな人に比べたらどうしても、人と話す回数は少なくなってしまうと思います。そこで僕はまず、「人(初対面)と話すことによって疲れる」のを小さくして、それなりのコミュニケーションをスキルを身につけることが自分にとっては必要だなと思いました。”それなり”というのは、僕は人と話すのが大好きではありませんし、将来”営業”といったトークで勝負しようとは考えていないからです。で、「会話による疲れ」を少なくしたいから、心理学を勉強しようかなと思いました。人の会話にも大まかな流れとして、「AであったらBにだいたいなる」みたいなのがあると思うので、それを知っておけば、少しは楽になるかなと思います。自分と向き合うことでまた一つ、勉強したい分野が見つかりました。

 

自分と向き合う

今回大切だなと思ったのは「自分と向き合う」ということです。「なぜ僕は、こういう事が好きで、こういうことは嫌いなの?」「なぜこういう人は好きで、こういう人は苦手なの?」「なぜこういう雰囲気・空気は好きで、こういう雰囲気・空気は嫌いなの?」「なぜ僕は今あれこれをしているの?」自分に問いかけてみると意外に答えられることって少なく、自分自身のことがわかっていません。入試の面接対策で志望動機を考えたことのある人は多いと思いますが、意外と回答を用意するって難しいですよね。「なんとなく好き」とか「なんとなく興味がある」とか。ということは入試対策だけならまだしも、今の自分の行動や今の自身、過去の自分や将来の自分について語るのは相当難しいです。ただその疑問に対して答えられる人は相当強いと思っています。僕は「あれが好きです。何故ならこうこうで~」「僕は今これに取り組んでいます。何故ならこうこうで~」と話せる人は自分が何をしたいか、何をすべきか、何をやりたくないか、何をすべきでないか明確です。僕は残念ながら、その境地から程遠いですが、自分と向き合う時間を作り、自身に問いかけることによって、一つ一つ「何をしたいか」「何をすべきか」「何故今の自分はこうなのか」などを明確にします。遠回りに思えるかもしれませんが、この作業が一番大事だと思います。だから、入試にしろ就職にしろ面接がある。どれだけ自分のことをわかっているかがとても肝要。適当に自分の行動に対して「こうだから」答えを固定するのではなく、「この日まではどうこうだったから、でも次の日はこの出来事があったから少し答えが変わった」と日々自分の答えを変える作業をしないといけないなと強く思います。

 

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貰った1000円IN流川 (広島1日目)

 

昨日大阪に戻り、寝るという幸せを噛み締めています(笑)。今週はほぼ1週間、地元広島でポスターを貼り続けていました。日中は広島市や東広島、呉市、夜は流川でポスターを貼り、集合が朝8時半で終わりが次の日の朝4時前の日があったり、朝家を出て、次の日の朝方に帰ってくるという生活が連続しました。ほんと、眠かったー(笑)

 

広島1日目

睡魔との戦いはこの日から始まりました。初日、高速バスで眠れなかったが故に眠い目をこすりながら早朝、広島に着きました。その日は朝から、土橋や舟入近辺でポスターを貼りました。地元を歩いて回っていると「この場所にこんな店があるのか!」知ることができて楽しかったです。また、「小網町」や「堺町」という地名に遭遇して、「こんな地名があったんだ!」と、ちょっとした感動がありました(笑)。

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ポス貼り道中にて

広島1日目(夜)

夜は1時半まで歓楽街”流川”でポスターを貼り続けました。眠らない街で、眠りかけながら店を回りに回りました。縦長の建物が多く、お店がとにかく多かったのが印象的。バーや居酒屋、ピンク系、クラブ、飲食、ほんと様々でした。客引きは多いし、キャバクラのホストやらないかとか言われるし、流川はやっぱり混沌としてました。ただ一言、「眠かった」

 

貰った1000円

流川町界隈を回っており、あるバーに「ポスター貼らしていただけませんか?」と入ったところ、「ポスターは貼らんがその代わりに1000円を受け取れ」と1000円札を渡されました。一瞬「このおっさん酔ってるだけか」と思いましたが、意外と真面目な意図が隠されているように思えました。おっさんは「歳いくつや? なんで船乗りたいんや?」と立て続けに質問をしてきます。「19で、云々かんぬん」と話すと「なるほど!」といってくれます。そして、最後に「もう一回色々と考えてみろ」と声をかけられました。

 

なぜ「もう一回考えてみろ」とおっさんは言ったのか...

おっさんが「もう一度考えてみろ」と言った理由は結構深いものであったということを話の文脈の中から感じました。おそらく「ピースボートの成り立ちから現在までの流れ」や「今のピースボートの社会的役割の複雑性」、「船上での出来事」などのことを言っていたように思われます。これらのことはググっていただいたり、書籍を読んでもらったらある程度わかると思うので、言及はしませんが、僕自身ピースボートは「めちゃめちゃ良い、最高!」とも言えないし、「めちゃめちゃ悪い、最低!」とも言えません。多くの人を巻き込んで、事業を継続できているということは、それだけ世の中に役立っているということ、認められているということ。ただ、僕のピースボートに対する印象は「社会に蔓延する問題をうまく突いている」というものであり、ピースボートの成り立ちにしろ、役割にしろ、船上のことにしろ「良い」とも「悪い」とも見ることができます。完全に良し悪しを決めることができません。そして、そのような見方をしている人は以外にも、大阪でも広島でも多いように感じました。

 

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迷える若者 〜今の若者がコミュニティを求める理由は歴史を見ればわかる〜

 

近代とは

いきなりですが、「近代とはいつでしょうか?」と問われたらあなたは答えられますか?僕は今まで答えられませんでした。しかし、一つの近代の定義の仕方を知りました。そのきっかけはピースボート、いや正確にはピースボートについて批評した本、『希望難民ご一行様』(著:古市憲寿/本田由紀)を読んだという些細なことです。僕は今、大阪でボランティアという形でピースボートのポスターをお店に貼りまわり、微力ながら貢献ピースボートに貢献させてもらっています。そんなピースボート、面白い貢献の仕方をしているなと個人的に思います。で本題に戻りますと、近代の定義、あくまでもこれは社会学上の定義だそうですが、

「生まれた場所や身分に関係なく誰もが競争に参加して、成功を夢見ることのできる社会」

です。

これは一体どういうことのなのか、江戸時代から見ていくと納得できます。

 

江戸時代から戦後まで

前近代にあたる江戸時代は、生まれた場所によって一生が決まるという特徴がありました。基本は、農民の子は農民、商人の子は商人、武士の子は武士になるというのが当たり前の流れでした。ところが明治時代以降になると、それまでの宗教や身分から人々が解放され、自由になり、多くの人が競争に参加でき、富を地位を目指すことができるようになりました。言い換えると、近代の定義、

「生まれた場所や身分に関係なく誰もが競争に参加して、成功を夢見ることのできる社会」

になります。しかし、ここでもう一つ近代の定義があります。それは、

「みんなが一つの目標に向かって夢を追えた」

という定義です。これがどういうことかというと、明治時代になってから、人々は身分などの旧来のシステムから「自由」にはならなかったが、バラバラにはなりませんでした。身分から解放されても、人々は「地域」「家族」「会社」「国家」といった共同体に再編されました。人々は「地域」「家族」「会社」「国家」という共同体の中で、互いに競争しあったり、認めあったり、慰めあったり、助け合ったり、笑いあったりとしました。そして、その再編を支えたのが、戦前は「富国強兵」や「経済成長」であり、国民誰もが、「いいこと」だと信じて疑わず、みんなが「富国強兵」や「経済成長」を目指しました。つまり、

「みんなが一つの目標に向かって夢を追えた」

これが近代です。

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まあまあ古いポスター見っけ!

迷う僕たち若者

ところが、1991年頃から、流れが変わってきます。1991年はバブルが崩壊していった頃です。3年後の1994年には「就職氷河期」という言葉が流行語大賞になっており、「経済成長」という”みんなの目標”が一気に消え去りました。

「会社には就職できないし、そもそも会社って危ういもんじゃん。みんなの目標は消えるし、人生会社勤めに励むのって、人生において実は正解ではないのかも?」

といった疑問が若者の頭に浮かび始めたのがこの頃です。僕たち若者は、「好きなことを仕事にするのがいいなじゃない?」「最高の仲間や家族を作って、一生仲良く暮らすのがいいなじゃない?」と迷いの旅に出ます。そしてこれは今日の若者にも言えますし、否定したいですが僕にも言えることかもしれません。

 

寂しがる若者

バブルが崩壊してから、「会社」という共同体が弱いものになり、共同体の弱体化は教育にも伝播します。今まで教育は「いい学校に入るために、受験勉強で戦え、そこで勝っていい大学に入れば、大企業に入れる」というものであり、学校では、受験勉強という一つの目標に向かうことができました。そして、その戦いに勝てなかったものの多くは、それなりの収入・地位で諦め、幸か不幸か暮らしていくというのが大方の流れでした。しかし、バブルが崩壊してからは、大企業安泰が崩れ、受験勉強で頑張る意味が薄くなります。大企業に入らなくても活躍する人たち、稼ぐ人たちが多く世の中に出てきます。すると若者は「みんなで一つの目標を目指す」ということをしなくなりました。学校という共同体が弱くなり、サブカルが発達するなど趣味は多様化、向かう道もバラバラになり、若者たちは「何に向かえばいいのか?」と迷いに迷います。そして、慰めあったり、認めあったり、支えあったりする「共同体」が弱く、少なくなり、バブル崩壊から現代までの若者の多くは「寂しい」という気持ちに襲われます。

 

ピースボートの貢献

大阪でピースボートのボランティアとして活動していて感じることは、「ピースボート」は若者に対して「居場所」を提供しているということです。ピースボートにいる若者たちはポスター張りをする中で、共に頑張り、励まし合い、認め合い、絆を深めます。「寂しさ」を埋めることができる場所として機能しています。実際にピースボートにいると、「誰と船に乗るかが大事」ということを聞きます。先述の通り、「共同体」が弱くなり、若者は「寂しさ」をより感じるようになりました。時代の流れに合わせてピースボートは、若者の悩み解決とピースボート自体の活動をうまく合わせて進めています。「共同体」「居場所」を提供するピースボートにいて、こういう世の中への貢献の仕方もあるということを知りました。

 

僕は常に成長したい

若者は「共同体」や「居場所」を求めていて、「友達・仲間・家族」と大切にする価値観が一般的というのは、ピースボートにいて感じます。ただ僕は少し変わり者なのか、「仲間と過ごす」ことより、「勉強すること・一人でいること」の方が楽しいと感じます。「本を読んで、たくさんのことを知る」「何かに挑戦して、自分が成長する」ことに幸せを感じます。(もちろん仲間といることも楽しいですが...)そして、一つ、「共同体」や「居場所」を求めるが故に失いがちになってしまうものを提示しておきます。それは「目的性」です。寂しいから「共同体」「居場所」「仲間」が欲しいと意識・無意識にかかわらず、人生の冒険をしていると、目標を持たなくなったり、努力するということを忘れがちになったりします。寂しいが故にそれに惑わされ、気がついたら成長して、社会で上を目指すということをしなくなる。それは僕が一番避けたいことです。

 

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