シューターのブログ

いつも通り

今回で100記事目。ちょっとした節目なので、スペシャルなコンテンツにしようかと思いましたが、結局いつも通り書くことにしました。

 

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週末廿日市の吉和の方に行ってきました。美術館に行ったのですが、その駐車場に大きな大木がの切り株が置かれていました。この木、なんと5万年前の木らしいです。5万年前って...縄文時代でさえ1万6000年前なのに。木に手を触れてみたけど、5万年前は感じられませんでした。感性がないのかな(笑)

 

読書・読書・読書

この頃、自由な時間ができたら、だいたい読書をしています。読書の習慣がついてから、本を読んでいないと何か気持ち悪いというか、(いい意味で?)病気です(笑)。そして最近読んでいるのが、歴史や思想に関する本です。5万年前よりも随分最近の話、3000年前からの歴史・思想についてです。

 

日本の宗教

大学2年生になってから、授業の内容的にか、留学生が大学にいるからか、外国人講師・教授が持つ授業が増えたせいか、宗教の話が出てきます。カトリックだったり、プロテスタントだったり、イスラムだったり、色々な人が各々、宗教を信仰しています。ところで、「日本人(あなた)は?」と質問されることがよくあります。

「日本の宗教...なんかよくわからない。」

これが正直なところでした。クリスマスやハロウィンは日本で行われるから、キリスト教も関係あるのか?でもお葬式は仏教が多いよな。神社ってそういえば神道からきてるよな、なんて。ただ僕は、もうキリスト教でもなく、仏教でもなく、「儒教」についてを調べています。

 

儒教

儒教って何??僕もついこの間までこの疑問を持っていました。

孔子って人がなんかつくったやつね!」

みたいな(笑)ただ、この儒教、中国で3000年以上前から生まれ、日本に入り、大きく影響を与えた思想(宗教)なのです。例えば、(『儒教と何か』加地伸行 によると、)忌引きの制度。儒教では、「祖先を祭祀しなさい、親を大切にしなさい、子孫を残しなさい」「親しい人こそ大切にしなさい」などが唱えられています。そして、忌引きの休暇制度は、学校・官庁では、例えば親の死の時は7日間、兄弟・姉妹は3日間、おじ・おばは1日の欠席・欠勤を出席・出勤扱いにする。これは儒教から来ています。他にも、日本人が政治に対して消極的なのは、(いろいろな説があり、複合的な原因がると思いますが)儒教の「官僚(聖人)を師としなさい」という教えが日本にも流れてきて、それが日本人の国民性につながっているという説もあるそうです。意外と感じないだけで、儒教と日本の関わりは深いようです。まだまだ勉強中で詳しいことを書くとボロがもっと出るので書きませんが、日本文化を考える上で儒教は大切な要素であることが最近わかってきました。

 

神道

実は「儒教」の他にも「神道」について最近調べています。というのも日本文化はとても複雑だからです。歴史を見て、仏教が大きく日本に影響を与えていたり、意外とキリスト教儒教だったり、と。そして、日本古来の思想(宗教)、「神道」も日本に大きく影響を与えているそうです。この「神道」、調べてみると思いの外、面白いです。僕は今、天皇と宗教の関係という観点から調べています。例えば、(『天皇は宗教とどう向き合ってきたか』著者:原武史)はとても面白い本です。この本では、主に近代・現代の天皇と宗教についてが書かれてあり、神道についても多く触れられています。この本では、明治時代になってから多くの神社(明治神宮平安神宮など)が作られたことや、一時神道が日本の国教になりそうであったことが書かれています。また、貞明皇后昭和天皇神道が大きく影響していたことも書かれており、さらには、天皇の太平洋戦争終戦の判断が遅れ、沖縄戦を招いてしまったことなどが書かれています。「神道」について調べると、身近な話に関係してきてとても面白いです。

 

人が考えること・やることは一緒?!

思想や宗教を調べている中で、感じることがあります。それは「人は考えること・やることは一緒だ」ということです。思想や宗教はつまるところ、

「この世界はどうやって生まれたのか」

「死んだらどうなるの?」

など、人間にはなかなかわかりそうにないこと、説明のつかないことについてを追求しています。そしてこれは、「科学」とも一緒であるという意見が最近学問の世界の間で勃興していることを大学の授業でも聞きました。医学は、生と死(生命)についてを科学的に追求していくし、宇宙の分野は「この世界がどう生まれたか」を科学的に追求していってます。追求しているものは、なんら思想・宗教と同じで、そのプロセスが違うに過ぎません。

こう考えると「何か人間ってかなしいなー」「勉強するのが馬鹿馬鹿しい」なんて思えてきたりもしました。

 

最後に

なんとか100記事を今までに書くことができました。一件あたり40件弱ほど平均でアクセスがあり、「少なからずいろいろな方が見てくれてるんだ」喜んでいます。最近はブログ更新が遅いので、改めて気を引き締め、より良いブログが書けたらなと思います。これからも引き続きよろしくお願いいたします(๑╹ω╹๑ )

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

シューターのブログ

え??おっさん達から説教されてる??

 

この2日間、いつものMG(マネジメントゲーム)に参加してきました。頭を駆使しすぎて、「脳細胞がどっかに飛んで行ったのでは?」と思うくらい疲れました(寝たら脳細胞戻ってきました(๑╹ω╹๑ ))そんなMGから、今回も多くのことを学びました。

 

MG

MGというボードゲームをやっていると、経営や会計、会社全体最適を感覚的に、理論的にだんだんとわかってきます。そして、よくご一緒させていただいている経営者の方々の中には、それを実務に落とし込んでいる方もいらっしゃいます。この実務レベルまで持っていけるボードゲームというのがとっても魅力です。ですが、MGはこれだけではありません。ゲームの途中に講義があって、その講義が個人的には、とっても勉強になります。色々なトピックを話していただき、普段生活する中での景色を変えたり、考え方を変えたりすることができ、僕の大学生活(授業等)の質を格段に上げてくれます。

 

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このボードゲーム、深いんです!

 

気づく力

今回の講義で特に印象に残ったのが、「気づく力」についてです。このことについては、時代の流れとともに説明していただきました。まず、昭和前半の頃の会社についてからですが、その頃は、「結果」に対して、叱責をして、「結果をとにかく出せ!」というある意味理不尽な対応が、現代と比べた時の割合として多かったです。ただ、叱責だけでは、なかなか上手くいかないということで、「結果」と考えるためには、「行動」を変えなければならないということになりました。『「行動」を変えなさい』と、声高々に叫ぶと、「行動」が変わり、「結果」が確かに変わりました。が、、、変わる人とがいる一方で、変わらない人も多くいました。次に、「行動」が変わらないのであれば、そこに「教育」を用いて、「考え方」を変えないといけないよね、ということになりました。これが成功し、日本は世界のトップに躍り出ました。が、、、「教育」をしても、「考え方」が変わる人がいる一方、変わらない人もいました(ある意味、ゆとり教育で、「ゆとりだー」とゲームをしちゃった人と、ゆとりをうまく使って世の中で通用する武器を磨いた人の二極化です)。さらに、バブルが弾けると、あれ、これでも「日本が世界に通用しなくなったよね」と言われるようになりました。そこで、求めらるようになったのが、「気づく力」です。今教育界なんかでは、「アクティブラーニング」だの、「主体性」だの言われていますよね。つまり、世の中は「気づく力」を求めていて、それに教育界が答えようと、模索しているというわけです。

 

気づく力を若い人であればあるほど持っていない??(説教なのか?)

この「気づく力」を高める上で、実は大きな問題点があります。それは、「モチベーション」が必要ということです。当たり前ではありますが、「モチベーション」が高くないと、自分で「気づこう」となんか思わないですよね。そして、若い今の世代ほど、「モチベーション」が低いという特徴があります。このことについて、一度ブログで書きましたが、改めて説明します。『若いほど「モチベーション」が低い。』これは決しておっさん世代が若者に説教しているというわけではなく、しっかりとしたロジックがあります。そのロジックは、昔の生活と現代の生活を想像するとわかります。まず、昔の生活ですが、昔はご飯を炊くのも、風呂を沸かすのにも一苦労でした。例えばご飯を炊くのであれば、自分で米を育てて、収穫しなければいけなかったし、木を切って、薪にし、火を起こして、米を洗って、釜に入れ、炊いて、やっとご飯が食べられました。対して現代は、アマゾンで米を頼めば、家に米が届くし、無洗米であれば、米を洗う必要もありません。届いた米を炊飯器に入れ、水を入れて、スイッチを一つ押す。これだけでご飯が食べられます。何が言いたいか。つまり、昔は、米を食べるだけでも、莫大な「モチベーション」が必要だった。対して現代は、ほんの少しの「モチベーション」で米が食べられます。これは、「ご飯」にだけ言えることではなく、掃除にしろ洗濯にしろ、移動にしろあらゆることに言えます。昔は普段の生活だけで莫大な「モチベーション」が必要だった。対して、現代は、ほんの少しの「モチベーション」で生活ができる。だから、必然的に僕ら若い世代は「モチベーション」が低いし、「気づく力」が弱いです。そして、それは仕方がないことです。

 

「モチベーション」を高める

仕方がないとはいえ、「モチベーション」が低ければ、「気づく力」は弱いし、「気づく力」が弱ければ、「考え方」が変わらない。「考え方」が変わらなければ、「行動」「結果」も変わらない。これはまぎれもない事実です。だから「モチベーション」を高めることが重要です。また、捉え方によっては、「若い世代はモチベーションが低い」、だから「自身がモチベーションを高めるだけで、頭一つ簡単に抜けられる」と考えることもできます。では、『「モチベーション」を高めるためにはどうすればいいの?』結局ここに行き着くと思います。その答えの一つが「MG」に参加することです。「MG」には、いろんなツワモノ達が集まってきます。そして、講義の質、ボードゲームの質がめちゃくちゃ高い。だから、モチベーションを高めるのにうってつけの場です。実はこのゲーム2日間で、3万円ほどします。ただ、大学生であれば4000円で受けることができます。(3万円でも経営者をはじめとする方々が参加されるのは、それだけ得られるものがあるということです。)大学生にとって4000円は少し痛い部分がありますが、長いスパンで見たときに、とってもためになります。人生の質が変わってくると僕は思っています。なので「MGに参加する学生が増えたらいいのにな」というのが率直な僕の思いです。色々な考え方を共有できる「モチベーション」の高い学生に一緒になれたら、僕としてはとっても嬉しいです。「MG」に参加したいという方は是非声をかけてください。僕もできる限り、同じ世代には「MG」のことを話すようにします。

 

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選択=捨てる

 

この頃は辺りが暗くなっても寒くなく過ごしやすいとともに、もうこんな季節になったのかと、ふと思ったりします。やらないといけないことではやりたいことをもっとやっていかないと、あっという間に大学生活も終わってしまうなと時々感じます。では、今日は、「選択」について書いてみます。

 

頭でわかってても、体でわかっていなかった

よく「人生は選択の連続だ」なんて聞きますが、「人生は取捨選択の連続だ」と最近感覚的にわかってきました。今まで自分も含め人間誰しも、否が応でも、何かを選択し、同時にそれ以外の選択肢を捨てることを迫られてきました。そして、それはこれからも変わらないことです。

「選択」することは「捨てる」ことを伴う

とても当たり前のことなんですが、やっぱり今まで頭でしか僕はわかっていなく、やりたいことを全部やればいいんだと思っていました。勿論「やりたいことを全部やる」という考えも良いこととは思うのですが、その分時間は使うし、時間は有限ということを考えた時に、「選択」=「捨てる」を意識しなければなと思います。

 

選択と集中

「選択」=「捨てる」という考えが生まれたら、次に頭に浮かんでくるのが、「集中」についてです。しつこいですが、何かを「選択」したら、同時に他を「捨てている」。そして、「選択」は必ず他の選択肢を犠牲にしているからこそ、自分が選んだ選択をより意義の大きいものにしなければなと思います。そうした時に必要になってくるのが、「集中」です。いろんなことをたくさんやっている場合、一瞬、いろんな選択肢を保持していて、良さそうに思えますが、そうとは言えません。いろんなことをやっているのは事実ですが、一つ一つの選択のクオリティーがなかなか上がりません。どれも中途半端になりがちで、自身の「選択」をうまく活かしきれていないと言えます。いろんなことをやるというのは、教養のような土台作りとしてやる場合に限り、そろそろ僕自身は「集中」を考えなければならない頃だなと思い始めています。

 

何を「選択」して、何に「集中」すればいいの?

「選択」と「集中」が大事なのは確かなのですが、結局「それらをどうやって決めればいいの?」とことにいつも行き着きます。僕はひとまず、「やらなくてはならないことではないけれど、やりたいこと」を数ヶ月の単位でピックアップして、「選択」と「集中」に取り組み始めています。「やらなければならないこと」をやるのはもちろん大切ですが、そればかりに力を注いでいても、人と差別化を図って自身の武器を作ることは難しいと僕は考えます。だから、「やらなくてはならないことではないけれど、やりたいこと」を積極的に、「選択」「集中」しています。

 

別れを経て

ちょっと話は変わって、「選択」と「集中」よりも大きな話になりますが、先日、火葬場で、祖母と最後のお別れをしてきました。一番最後に祖母を見送る時に、今までの祖母との思い出が一気に蘇ってきて、「なんて人生は儚いんだろう」と悲しみがこみ上げてきました。そして、「いつかは自分も必ずこうなるんだ」と思いました。そう思った時、二つのことを決めました。一つ目は、

「とことん自分の好きなことをやる」

です。単純に、人生一度きりだからそうしようと思いました。二つ目は、

「人のために能力を使う」

ということです。いつかは必ず自分も死ぬ。そしてもし、「自分のためばかりに生きていたら」残るのはせいぜい財産とお墓ぐらいですし、何もあの世に持っていくことはできないです。そこで、それだったら、「人のために」行動して、死んだ後も、今まであってきた人たちの心に残ってたい、「ありがとう」と思ってもらいたいです。だから「人のために能力を使おう」と思いました。

 

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ラッキーな誤解

 

今週はアカデミックな事から私用までいろいろなことがありました。そんな中で今週は新たなことを始めました。プログラミングです。

 

挫折してきた

今までプログラミングは独学でやろうといろいろ試してきました。学校のプログラミングに入ってみたり、マイクロビットを買って、取り組みもうとしたり、などなど。でもどれも上手くはいきませんでした(笑)。何故ならば、具体的に作りたいものが定まっていなかったからです。そんなこんなで何かとプログラミングに対して、高いハードルをイメージしていました。そしてつい先日、ちょっとした相談を受けて、具体的に作りたいものが決まりました。

 

思わぬきっかけ

それは大学で、ある授業を受けた後、声をかけられました。声をかけてきたのは、大学に勤務している中国出身の先生。めちゃくちゃエネルギッシュな先生で、スーパーサイヤ人の金色のオーラが出てそうな人(笑)。スマホやパソコンからアクセスできる英語の教材を作りたいって話でした。で、「なんで俺?」。どうやら、僕のブログを見ていただいているみたいで、パソコンができる人ってイメージがあったらしい(笑)。後、その授業をいつも、コンタクトじゃなくて眼鏡で受けていたのも影響があるかも(笑)。そして、その教材の話を聞く限り、大学にあるシステムを使うってよりは一から作らないといけない雰囲気(苦笑)。そこで思いつきました!その教材一から自分が作ってみようと(勝手に)。。。

 

ゼロからスタート

作るものが決まったということで、とりあえずどの言語を学べばいいか、少しだけ具体的になりました。ただ、どうやって勉強しようと、この文ばかりが無限ループ。そこで見つけたのが、Progateっていうサービスです。言語別や目的別にプログラミング学習コースが組まれていて、プログラミング学習がかなり容易にできそうでした。早速プログラミング学習を始めると、とっても面白い。実際に学習を始めた言語は、HTML&CSSRuby。それに伴って、CommandlineやRuby on RailsRubyフレームワーク)(クックパッドRuby on Rails の枠組みで出来てるとのことで、WEBサービス開発にうってつけみたいです)のさわりも始めました。意外と構造や作業に関しては説明とともに理解できて、一通りやれば(膨大ではあるが)あとは慣れだなという感覚はありました。

 

プログラミングの必要性

大学に入ったら絶対勉強することの一つに僕は、プログラミングをあげていました。(一年間、ほとんど勉強できませんでしたが...)なぜ、プログラミングを勉強したいと思っているのか。それは、小学生のプログラミング学習が必修となることからもわかりますが、「これからプログラミングスキルの必要性がグッと上がるから」の一言につきます。というのは、今の時代、何かサービスを提供しようと思った時に、ネットを経由しないでサービス展開はほぼ不可能、避けて通れません。アウトソーシングをするにもしても、プログラミングについてある程度わかってないと、外注する業者が適切な外注価格を提示してきているのかもわかりません。だから、事業を作る起業家はもちろん、就職して働く人にもあったほうがいいスキルです。

 

猿のように夢中になる

しばらくの間は徹底的にプログラミングを勉強することにしました。そして、自分でウェブサービスを作ります。プログラミングを勉強する環境は今の時代、充実しています。少し興味のあるなって人は、プログラミングに挑戦すると、将来の可能性をぐっと広げられると個人的に思います。大きなチャンスが転がっているので、僕は猿のように夢中になって勉強します!

 

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後悔

 

一つ、後悔していることがあります。昨日祖母が亡くなりました。二日前に会いに行けばよかったなと後悔しています。先週今週と忙しく、昨日はあるプロジェクトのちょっとした集大成であり、連日準備に追われていました。休日は引き受けた依頼としてプレゼンをやったり、課題をやったりしてました。こうやって言葉を並べてみましたが、全部言い訳です。

 

必ず別れがある

普段生活していると、「全てのことに終わりがある」と頭ではわかっていても、なかなか意識していないものです。小さい頃、なんの根拠もなく、ただただなんとなく、自分はずっと子供で、母と父と一緒に住むんだろうなぁ、と思っていました。そんなことはなくて、いつか子供ではなくなるのに...。もうすぐ二十歳になります。もう数年したら、学生生活は終わります。なんとなくまだまだ続くって、心の何処かで思っているけれども...。

 

いつかは死ぬんだよな...

一つ、考えてもどうにもならないことがあります。それは「死」についてです。「死んだらどうなるんだろう」と寝る前に時々考えてしまいますが、途中でなんだか気持ちが悪くなり、考えるのをやめます。考えてもいつかは来る「死」を避けることはできないし、死んだ後のことなんてわからないし...。人の死亡率は100パーセント。全然受け入れられないし、受け入れたくもないです。

 

一期一会

これが最後かもしれない。この日がおそらく最後だ。こう思っていても、「明日もあるはず」という希望でつい自分をごまかしてしまいます。それは今も今までも。自分はタイミングをわかっていない人間だなとつくづく思います。今日は、祖母と最後のお別れをしてきます。祖母本人の希望でお葬式はしないみたいなので、本当に最後。「おとといは会いに行かなくてごめんなさい」「今までありがとうございました」と伝えてきます。外がだんだん明るくなってきた。

 

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歩いて見えてくる尾道の歴史

 

令和初のブログ、更新が遅くなりました。今回は僕のちょっとした趣味について書きます。僕の趣味は少しマニアックですが『ブラタモリ』の本を片手に、旅をすることです(笑)ずっとやりたいと思っていて、このGW、令和にやっと始めました。『ブラタモリ』とはNHKの番組で、タモさんが日本のいろんな街を歩いて、地理的観点から見たり、歴史的観点から考えたりしながら、出されたお題の答えを明らかにするという番組です。少しマニアックかもしれないけれど、僕が大好きな番組の一つです(笑)

 

昔の尾道が見えてくる!

尾道には何回か来たことがあるのですが、しっかりと観光したことはありませんでした。「尾道の商店街をなんか歩いたことがあるなぁ」「しまなみ海道をずいぶん前に自転車で渡ったなぁ」程度です。僕にとってはそんな尾道でしたが、『ブラタモリ』の本と共に旅をすると、とびきり楽しかったです。まず、千光寺山の東の通りを歩きました。すると、通りのはずれにこんな古い道標がありました。

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左 いづも往来

この「左 いづも往来」が表す意味。それは出雲につながる出雲街道があったこということです。この出雲街道を通って、平安時代には、石見銀山で掘り出された銀が尾道へと運ばれ、船に積まれ、西回り航路を通り江戸へと運ばれました。さらに、出雲街道の中間には、世羅町という場所があります。そして、平安時代にはその世羅町に「太田荘」という大きな荘園がありました。そこから都に運ぶための年貢米が出雲街道を通って尾道に運ばれ、船に積まれていました。そう、この道しるべは尾道が歴史ある街だということを表しています。尾道を歩いていてもなかなか目に入らないと思いますが、気がつくととっても面白いです。

 

参道の途中に国道二号線とJR!!

尾道に久保八幡神社がありました。その神社、なんと、参道の途中に国道2号線とJRが通っています。なんとも不思議な光景です(笑)。

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参道入口 奥に2号線と踏切が見える!!

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参道途中に踏切が!!

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参道入り口の方を向いた時に撮った写真 国道2号線が!!

この奇妙な光景。実は尾道ならではの事情により生まれています。尾道駅を降りてすぐのところにある尾道商店街、あの一帯はもともと海でした。そもそも尾道はほとんど平地がなく、今栄えているところは埋め立てでできています。そして明治時代に鉄道を通そうということになったのですが、尾道商店街のあるところよりもさらに南を埋め立てて陸地にすると西回り航路でもある尾道水道を塞いでしまい、海運業に多大な影響を及ぼしてしまいます。そこで、無理やり内陸に鉄道を通し、参道の途中に線路が存在することになりました。

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ブラタモリ17』監修:NHKブラタモリ」制作班 P74より

このように『ブラタモリ』の本と旅をすると、マニアックではあるかもしれませんが、旅が数倍も楽しくなります(笑)。まだまだ尾道について紹介したいですが、興味のある方は是非、『ブラタモリ』と一緒に旅してみてください!!

 

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平成最後のブログ

 

平成最後の日ということで、最近さぼりがちのブログを更新しなければと思い至りました(笑)。先週は体調を崩しゲホゲホとやっており、あまりはかどらない週でしたが、一つ自分の中で整理できたことがあります。それは「美意識」や「アート」といったものについてです。

 

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呉のロケ地マップ!!

 

明確な理由がなく巡った一年

平成最後の日、家で過ごすのは何か勿体ないなと思ったので、日中呉に行ってきました。呉は阿賀の方や音戸の瀬戸の方は歩いたことがあるものの、呉市街はほとんど歩いたことがなく新鮮でした。レンガ通りはレトロな感じがして綺麗で、数時間しかいなかったけれどもどこか居心地の良さを感じました。商店街の中(歩道)に駐輪場があるのが少し変わっているなと思いました。まあ、そんなこんなで呉の街を歩いたのですが、一番の目的は、呉市立美術館に行くことでした。去年一年間、大学の取り組みに便乗して、美術館をたくさん巡っていたのですが、呉は豪雨災害でJRがストップしている期間が長く、訪れていませんでした。それがゆえに、一回呉市立美術館に行ってみたいという思いが自身の中で大きく育まれていました。ただ、この美術館巡り、明確な理由・目的を持ってこの一年間行っていたわけではなく、むしろ漠然と行っていました。

 

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初めて行ったレンガ通り

 

論理的なことや技術的なことは後からどうにでもなる!?

実は新学期になってから、レジャーサークルの立ち上げを友達としており、だいぶ時間を費やしています。先週はサークルの規定づくりをしていて、規定の施行日を記述する際、令和1年5月◯日と書くのが新鮮でした。そんな新しく作っているサークルでは、自分と違う学部の人も集まってきてくれました。そして、立ち上げで一緒にやってくれてる人の中に芸術学部の人がいるのですが、その人の言っていたことが最近ずっと残っていました。彼は映像が専門で、一緒に街を歩いていると、スマホを片手に、水たまりの前で立ち止まり動画を撮ったり、街並みをとったりと面白いです。エスカレーターで映像を撮っている際は、面白半分「盗撮に間違われないように」と心配しています。そんな彼が映像が街を歩きながら映像を撮っているときにこんなことを言っていました。

「感性を磨くことが先」

一語一句あっているかは定かではなく、僕の解釈が入っていると思うのですが、このようなことを言っていました。つまり、論理的な部分は言語化されていて再現性があるから後からどうにでもなるが、言語化されていない「感性」は再現性が低く、磨くのに時間がかかる。だから、「感性を磨くことが先」な訳です。

 

指摘された半年前のこと

「感性」というワードでつい思い出すのが、半年前のことです。僕は半年前、『「フィール(感じる力)」が足りない』と指摘されました。感じる力があると、「見えないものが見えたり(病的な幻覚ではないです(笑))、新しいものを思いついたりすることができる」ということを聞きました。ただ、僕はその「感じる力」が弱く、「論理的」な部分が発達している。だから「感じる力」を磨きなさいと言われました。そう言われた確かにそうだと思ったのですが、理屈じみた僕はなぜか、納得しきれないところがありました。だから、もやもやを抱えたまま、美術館を巡っていました。

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商店街の中に駐輪場ってなんか新鮮

アートスクールに送り込まれるエリートたち

このモヤモヤを晴らしてくれた一冊『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』に先週出会いました。実は最近、「グローバル企業の幹部トレーニング」としてアートが扱われ、重要視されているそうです。そしてアートを学ぶことの必要性がこの本には書かれていました。この本に書いてあるアートを学ぶ必要性の理由をざっくしと書くと、

1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある

2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある

3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している

この3つだそうです。

どういうことかというと、今までの世の中はモノで満たされることを世界は求めていたが、先進国どころか発展途上国にまで良質のものが行き届き、人は精神的な満足を求めるようになりました。そして、多くの人「自己実現」を目指せる状態になった。すると、「論理」の賜物である「機能」や「性能」はどの製品もある水準を保証しているから、人は「デザイン」でものを選ぶようになりました(これからますますこの傾向は強くなるでしょう)。だから、ビジネスをする上で、今日、そしてこれからは「論理」より、「アート」の方が重要になってくるというのが理由の1番と2番です。

3番については、ルールの制定が追いつかないから、「自身の中にある美意識(軸)」を元に行動しましょうということです。もう少し、損得で話をすると、法律の原則として「法令不遡及の原則」があります。つまり「出来た法律を、過去のことに適応してはいけません」ということです。だから、法律の穴を縫ってグレーゾーンで儲けようとする人たちが多く出てきたのですが、グレーゾーンに対しては、「法令不遡及の原則」を適応されないことが多々あります。グレーゾーンで儲けてたら後から「新しい法律で法律違反ね」と言われることがあるということです。結局のところ、「自身の中で美意識を作り」それに従いまししょう。倫理を基にして行動しましょうというわけで、これが3番の説明です。

他にもアートを学ぶ理由はあるのですが、大きく3つの観点から取り上げるとこんな感じです。これで僕は「美意識」や「アート」を磨く理由を明確にすることができました(笑)。自分の弱い部分「感じる力」を継続して磨いていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます