シューターのブログ

捨てることと探さないこと

 

「あけましておめでとうございます」と挨拶をしていて、気がついたら「良いお年を」と言っている。そんな、あっという間に過ぎていった2019年でした。「あれやりたい」「これやりたい」と思いながらも、できなかったことも多かった一年でもありました。とはいえ、一年いろいろなことを学ばせていただいたなという気持ちが大きいです。特にMG(マネジメントゲーム)を通じた学びが一番大きかったです。

 

f:id:orangesing:20191226102326j:plain

いろいろお世話になりました!

f:id:orangesing:20190527001244j:plain

MG(マネジメントゲーム

引っかかっている言葉

つい先日、年内ギリギリ、滑り込みセーフでMG100期に到達しました。100期まで一年半程かかりましたが、色紙を頂いて、本当に嬉しい限りです。この一年半、(無自覚のうちにいろんな人を傷つけたり、社長さんを始め、いろんな方のメンツを潰したり、話の腰を折ったりetc...)と迷惑をおかけしながらも、いろいろなことを教えていただいました。そしてMG(マネジメントゲーム)というだけあって、経営のことを学びましたが、それは2割。もっと根本的なところ、人間的なところ8割を学んだなというのが正直なところです。何を学んだのか、全て書きたいところですが、一番心に残ってる教え(言葉)であり、僕がいまだに引っかかっている言葉について綴ってみたいと思います。それは「整理整頓」です。

 

整理整頓

「整理整頓」という言葉を聞いて思い出すのは、「整理整頓しなさい!」幾度となく小学校の先生がとある生徒のお道具箱を見ては言っていたことです。幸い僕のお道具箱から「カビたパン」が出てくるようなことはありませんでしが、決して綺麗なお道具箱とはいえない部類に属していました。「整理整頓」と言われて、小学校当時は「とりあえず綺麗に並べれたいいんでしょ」とそれなりに先生の言うことを聞いてきたつもりでした。ところが大学2年生である今年になってやっと「整理整頓」の意味を知りました。それは今回のブログのタイトルでもある「捨てること」と「探さないこと」です。

 

整理=捨てること 整頓=探さないこと

小学校の先生はこう言っていたわけです。「お道具箱の中にあるもので、いらないものは捨てて、物(道具)を探さないようにしましょう」と。言っていることは至ってシンプル。「捨てろ」「探すな」の二つ。しかし、このことが歳を取れば取るほど重要になってきます。ところで、なんで「捨てる」ことと「探さないこと」が重要なのでしょうか。一つ例をあげたいと思います。オフィスで「印鑑がない」と探し回っている時のことを想像してください。

A:「あの辺にあった気がするんだけど、〇〇さん印鑑知らない」

B:「知らない。あっ、もしかしたら!」

(探す)→

B:「いや、そこにもない...」

A:「直近で使ったのはいつだっけ???」

こういうことは意外とあって、馬鹿にはできないですよね(笑)。そしてここで考えて欲しいのは、「この時間は有益ですか?」「この時間に何かを生み出していますか?」ということです。ちょっとしたことではあるのですが、塵も積もれば山となる。1日平均10分それをやっていたとしたら、1年間で3650分。2.5日間、ものを探していることになります。これが1日平均20分だったら、30分だったら、意外と物を探す時間って多いんです。

 

頭の中の整理整頓

よく一般的なビジネスの成功者のインタビューでこんな応答が見受けられます。

「俺は捨てるのがうまいんだ」とか「成功の秘訣は捨てることだ」とか。

組織では日本を代表する企業トヨタ「片付け」で有名です。

何が言いたいか。つまり、「捨てること」と「探さないこと」が社会でとても重要なこと。そして、そのとっても大切なことを小学生の頃に教えてもらっているということです。(とはいえ、小学校の先生自体、どれだけの人が「整理整頓」の意味を知った上で知っているか。)

さらにはこんなことをいろんな場面でよく聞きます。「シンプルに、シンプルに考えよう!」

このフレーズは「頭の中を整理整頓しましょう」。つまり、「頭の中で、いらないものは捨てて、探さないようにしましょう」と言っているのと同じです。

 

 

まずは物から

「捨てること」と「探さないこと」。自身を振り返った時にまず持って僕は出来ていません。それは物においても、考えにおいても、行動においても。「あれやりたい」「これやりたい」と思ってあっちこっち手を出してはあまり続かない。勉強も「あれ学びたい」「これ学びたい」とあっちこっち手を出しても、身にならない。だから、「何をしたいのか」「何のために今〇〇をしているのか」が答えられない。頭の中を整理整頓できていないわけです。

MG(マネジメントゲーム)でいろいろな職業の方にあって感じたことがあります。それは頭の中を整理整頓「捨てること」「探さないこと」ができている人が多いなということです。

私にとっては「〇〇が大切で、だから〇〇をしています」。

これを答えられるようにならなければ、何かを自分の意志で継続することはできないだろうし、何かを成し遂げるなんて到底無理だと思います。

だからまずは、頭の中の整理整頓の前に、物の整理整頓をしていこうと思います。そうすれば頭の中の整理整頓も自ずと進んでいくのかなと思っています。

f:id:orangesing:20191226111754j:plain

本の整理整頓

f:id:orangesing:20191226111816j:plain

本の整理整頓(2)


最後まで読んでいただきありがとうございます

シューターのブログ

失敗のオンパレード

 

 先週末はMG(マネジメントゲーム)に参加するため福岡に足を運びました。広島から近いものの、福岡市内には数えるほどしか行ったことがなく、とても新鮮でした。一番驚いたのは何といっても利便性の高さ。博多駅から福岡空港までがとにかく近い。フライト予定は皆無でしたが、空港の利便性に誘われ、福岡空港で朝食をとりました(笑)

 

MG

 MG(マネジメントゲーム)。虎の子の300万円を片手に会社を設立し、5年間経営をするという設定のゲームです。「会社のことは実際に経営してみないと分かんないよね」という事実と、「実際に会社を経営するなんて普通無理でしょ」という事実をうまく擦り合わせたようなものであり、何といっても楽しいです。そんなMG(マネジメントゲーム)が先週末、ある企業で社内研修という形で行われ、僕もそこに参加させていただきました。よくお世話になっている社長さんと同じ卓で1期、2期とスタートです。すると早速、右から不吉なオーラを出しながら、僕の会社を大損失へと導こうと狙っている方が約1名います。ところが僕は意思決定カードを引くとリスクカードをリスクカードを一枚ひけと、指示が。すぐさまリスクカードを引くと運良く32円で3個売れました。すると、約1名の方が狙いをその社長さんに定めます。それからというものの、商品を売ろうとしても売らせないという攻防を目の前で繰り広げていました。

 

やっちまった...

 2期の後半に差し掛かり、僕の悪い部分が忌憚なく発揮されます。売る売らせない攻防に終わりが見えた頃、自身のキャッシュ不足を理由に、売らせない攻撃に僕は便乗してしまいます。入札で下をくぐり、その後あと一行。論理論理で考える僕は人の気持ちを考えません。他の卓の様子を見てから意思決定カードを一枚引き、意思決定をする前に一言。「終わりです。」そして戦略チップを一枚購入です。結局PQ(売上)=0に追いやってしまいました。「あ、ルール以外のこともちゃんと考えないとダメなんだな」と気づきましたが後の祭りです...。

 

失敗してなんぼ

 僕に残された道はただ一つ。それは反省して、猛省して、反省して、猛省して、開き直ることです。この一年半、企業の社長さんをはじめ、沢山の社会人の方にお世話になりました。そしてその数に対応するように、僕は失礼をし、失敗をしまくりました。「あんな生意気なこと言ったり」「こんな目のあてられないことをしたり」あー、ささっと忘れよう。そして、ある程度失敗しまくったところで「もうそろそろ失敗はしない!」と誓いの言葉を読みかける手前、福岡で失敗です。決して故意ではないのですが、僕はしつこいくらいに失敗してしまいます。そして、僕が失敗するたびに、指摘を受けたり説教受けたりはするものの、なんだかんだ温かい目で見守っていただいています。僕はこの上ない幸せ者です。しかし、これは所詮大学生だから許されることです。これ30半ばや40代になると、失敗を許してくれる人がいるいないは愚か、失敗を指摘してくれる人がほとんどいなく、「失敗を失敗」と気づく機会がゼロに等しくなります。取り返しのつかないことへと発展することもあるかもしれません。だからこそ今20歳。おかしな話ですが、遮二無二頑張って、結果いろんな失敗をしなければと思っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

 

 

 

 

シューターのブログ

 

 ブログを書くのが久しぶりとなってしまいました。なんだかんだでバタバタと書くのが億劫になっていました。気づけばもう11月も半ば、ついに2020年が「訪れるのかー」と驚いています。2020年といえばオリンピックでありますが、僕にとっての2020年といえば、幼稚園の時に行った愛知万博でのリニアモーターカーの展示。リニアモーターカーが2020年に開通するかも!という記載があったことをなぜか覚えています。時が経つのって早いなー

 

アイキューとイーキュー

 巷には、ふざけた題名で人々の関心を引く新書が多々とあります。例えば、『上級国民/下級国民』著:橘玲 『言ってはいけない 残酷すぎる真実』著:橘令 。なんてセンシティブなワードのことでしょう。そんな言葉に僕もまんまと惹き寄せられます(笑)。この橘さんの本にはだいぶタブーなことが書かれています。人種や性別に関して遺伝のデータを持ってきて論を進めたり...、年収とモテ/非モテのデータを示したりと...。とっても知りたいけど知りたくないようなことが書かれています(笑)。そんな中、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』に知能格差についてが書かれていました。詳しく知りたい方を本を手に取ってもらいデータ等を見て貰えばいいのですが、言えることは一つ。「I Q(知能指数)が高いほど収入が高い傾向にある」ということです。頭がいい奴が有利になるように世の中はできているということです。ということは、「IQが高ければ、ある種経済的には成功するということでしょうか?」アイキュー万歳!!でいいのでしょうか??

 

E Q(イーキュー)

 昨日は毎月参加しているMG(マネジメントゲーム)が広島でありました。そこでは2日間で5年分の経営をするというゲームが行われます。そして参加者にはさらっと(能力的に)化物が混ざっていたりします。(最近は一緒に参加してくれる同じ大学生がいてくれて嬉しいです!!)。経営者しかり、企業の重役から従業員、税理士や時には会計士、コンサルタントなど様々な人と共にゲームをすることができます。そんな中、ある一人の方が超強烈でした(笑)。その方はサルーベージ屋で破産寸前の企業を救う仕事をしている方です(少し表現が綺麗すぎるかも...(笑))。ダメになった会社の幹部や社長相手にバンバン突っ込むそうです。ある企業の社長が会社の経費でレクサスを買ってたり、キャバクラに行ってたりすると追求してボッコボコにすることも...? とりあえず一般人には到底できないようなお仕事です。そんないい意味でやばい方は、僕に会うたびに毎回指導という名の説教を、いや説教という名の指導をしてくれます。(とはいえ、とってもありがたいアドバイスをいただいてて本当に感謝しています。)そしてその方と話していると、僕には理解できな高レベルなことをおっしゃります。金融庁の話だったり、金融機関や財務省の話だったり...。でもその人の真骨頂は「対人関係」です。コミュニケーション力とも言い換えることができるかも知れませんし、EQ(心の知能指数)が高いと言い換えられるかも知れません。

 

勉強ができても世の中で通用する者と通用しない者がいる

 「勉強ができてもそれだけじゃダメだよ」と時々耳にすることがあるかも知れません。僕はあまり会ったことはありませんが、東大や京大出身にも関わらず、「社会に出ると意外にそんなもんかよ」という人も一定数いるそうです。では、勉強でトップに躍り出ていても、社会に出るとうまくいかない原因は何なのでしょうか。そこは大いに議論の余地がありそうですが、一つに「EQ(心の知能指数)が高いかどうか」といえそうです。ところで『E Q(心の知能指数)』とは何なのでしょうか。とってもシンプルに説明すると、E Qは3つの要素から成り立っています。

1.自分の心の状態を感じ取る能力

2.自分の心と他人の心の状態の両方を感じ取る能力

3.自分と他人の心の状態を感じ取った上で、ある目的を実現させる実行力

です。経営者にはこのEQが強い人が多いようです。相手がどういう心持ちなのかを体感的に察して、相手に合わせる。そして、相手をうまいこと引き寄せたり、仲間にしたりします。これはかなりの感覚的能力です。そしてこの感覚的能力が強ければ強いほど、人間関係においてうまく運ぶことができるようです。ちなみに僕は大学1年の終わりくらいまでこの感覚的能力が皆無だったので、修行中です(笑)。10年くらいかけて体得していくつもりです!

 

エニアグラム

 EQはあくまで感覚的能力であり、体得するしかありません。とはいえ「何やそれ?」となる人もいるかと思います。そこで一つ道標になる診断テストというのがあります。それはエニアグラムというものです。エニアグラム古代ギリシャから伝わる性格分析法であり、ドン・リチャード・リソとラス・ハドソンによって大成されました。「人は大きく分けて9つのタイプである」とエニアグラムでいうことができます。「改革する人」「助ける人」「達成する人」「個性的な人」「調べる人」「忠実な人」「熱中する人」「挑戦する人」「平和をもたらす人」の九つです。そしてこのタイプにはそれぞれ一長一短とあり、それぞれのタイプが影響を及ぼし合って、社会を形成しています。この9つのタイプがあるのですが、このタイプ分けよりももっと大まかに3つに分けることができます。それは「感じる人」「思う人」「考える人」の3つです。この3つのタイプもお互いに影響を及ぼし合っています。一つ例に挙げると、「考える人」は理論的なことを言いがちで「A=BでB=CでC=DだからA=Dでしょ」的なことを言いがちです。それを聞いた「感じるタイプ」の人は、「考える人」のことを「すごい!!」と感じることがあるそうです。あくまで一つの例ですが、このように影響をそれぞれのタイプが及ぼし合っています。心理学に興味がある方はエニアグラムについて調べてみると面白いかも知れません。この3つを感覚的に感じ取り、そのタイプに沿って対応することができるようになると、EQも自ずと上がります。

だいぶ長くなってしまいましたが、自身は感覚的能力やEQを磨いていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

シューターのブログ

ちょいワル

 

 言うまでもないことですが、中学生頃からちょいワルな男は注目を浴びます。ではここで、ちょいワルな男がスーパー不良高校に進学したとします。恐らく、とてつもない悪でない限り、注目を浴びることはありません。秋本治さん描くこち亀両さんこと両津勘吉井上雄彦さん描くスラムダンクの世界に入ったらどうなるでしょう。恐らく桜木花道両津勘吉はキャラが被って、面白さ、魅力が半減です。

 もう一つ例を出します。外大出身で英語ペラペラの学生がいたとします。「私の強みは英語力でトイックも900点越え。」と言わんばかりに。しかし、英語圏の国にその学生が行ったとしたらどうでしょう。英語力は強みと言えなくなります。もしかしたら現地の小学生や中学生の方が英語力があるかもしれません。

 

 ちょいワルな男に両津勘吉、外大出身英語ペラペラ学生。いったい僕が何を言いたいのでしょうか。ちょいワルになっても意味がないとか、英語を勉強しても意味がないとか、そんなことを言いたいのではありません。僕が言いたいことは「強みとは相対的である」ということです。

 

絶対的ではなく相対的

 強みが絶対的であると勘違いしてしまうことは良くあります。私はプログラミングがそこそこできるから情報系の企業に就職しようとか、会計がそこそこできるから、金融系の企業に就職しようだとか。この選択はあながち間違っていません。しかし、自身の強みが生かせる分野で就職しようとするのが正解だとは言い切れません。なぜなら、プログラミングがそこそこできて情報系の企業に入ったら、恐らくかなりプログラミングができる人材がゴロゴロいるからです。周りが明らかにプログラミング能力が高い場合、本当に自身の能力を活かせるでしょうか?その職場で輝くことができるでしょうか。他にも、会計がそこそこできるからといって金融の企業に就職すると、職場には会計に精通した人材がゴロゴロいます。そんな中で輝けるでしょうか?

 

 では逆を考えてみましょう。もっと卑近な例を出してみます。例えば合唱祭。合唱祭では必ずと言っていいほど、伴奏者が必要ですよね。ひとクラス40人でピアノが弾ける人は平均的に2人か3人くらい。だからそこそこピアノが弾ければ、伴奏者になって合唱祭で自分の持つ能力を発揮できるわけです。ピアニストの辻井伸行さんみたいにピアノが弾けなくても脚光をあびることができます。他にも数学が得意な学生が文学部にいれば、一目置かれますし、歴史が得意な学生が理学部にいても同じことが言えます。サッカーが盛んでない学校にちょっとサッカーが得意な学生がサッカー部に入れば目立ちますし、あんまりコミュニケーションを取るのがうまくなくても、もっとコミュニケーションを取るのが下手な集団に属せば、少なくともインキャではなくなります(笑)。そう、強みや弱みはあくまでも相対的なものなんです。

 

逆張り

 このことはもっと大きな集団、組織にも当てはめることができます。例えば、企業でいえば、ドン・キホーテなんかは、衣料品をただ単にうるのではく、エンターテイメント性(娯楽性)を携えて他とは差別化しています。周りが深夜営業をやっていないからこそ、深夜営業をドン・キホーテはしています。言い換えると「逆張り」戦略とも言えます。大きな集団や組織についても、「強みは相対的である」と言えそうです。

 

音楽番組にて

 このように、「強みは相対的である」と考えてみると視野や選択肢がグッと広がるかもしれません。しかし、このことは多くの人が無意識レベルではわかっているのだろうなとも思います。一ヶ月くらい前でしょうか。ある音楽番組でIZ*ONE(アイズワン)という韓国人と日本人のメンバーで構成されているアイドルグループが流行っているとやっていました。で、そのグループのいいところ(強み)は「キャラがか誰もかぶっていないところだ」とテレビに映るファンが言っていました。これは、「強みが相対的である」ことを表すいい例だと思います。なんとなく、「強みは相対的である」とみんな分かっているのかもしれません。

 

1%と99%

 このように「強みは相対的である」と言いましたが、あえて自分と同じ強みを持った人の多い集団に入って自分を磨く、トップに上り詰めてやるという選択もいいと思います。ただ、ここでこんなことが一つあります。1%と99%。1%は天才の割合でで99%は凡人割合です。(この数字自体に全くもって科学的根拠はありませんが)。スポーツ選手でいえば金メダリストや学問界でいえばノーベル賞受賞者など。これらの方の多くは本当に天才である意味、絶対的な強みを持っていると言えるかもしれません。しかし、99%の人。ごく一般の人は、多少の得手不得手はあったとしても、頂点の中の頂点には上り詰められません。だからこそ、「強みは相対的である」と考え、自分のポジションどりを決めることが賢いかもしれません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

 

シューターのブログ

謝罪(2)

 

 MGの帰りに食事をして、その中で「自分の気がつけなさ」に気がついてから、とっても自分に失望しました。「俺、こんなに気がつけてなかったんだ」と。それから家に帰って、大根をおろしに擦っていました。大根を擦りながらふと気がつきます。「うわ、今大根にのみ注意が向いていた...大根以外に全く注意が向いてない、ゼロゼロ注意ゼロだ」と。「ダメだ、これが自分の無意識というものなのか。」ほんと笑えない。

 

頭いいね!

 僕は小さいときから、時々「齊藤くん、頭いいね」と言われます。でもそう言われるために、「人よりも時間と労力を使って勉強してるから人より多少できるだけだよ」とイラついてしまいます。「人が勉強していない時間を使って勉強してるんだから、当たり前ですよ。そこを褒めるとかほんと意味がわからない」と本気で思っていました。僕は何かをやると決めたら、そのこと以外をどうやらできない性分のようです。そして、これは短いスパンで見ても、長いスパンで見ても共通しています。長いスパンで例を取り上げると、サッカーを一生懸命やるって決めたら、それ以外は全部捨てちゃいます。受験勉強をやるって決めたら、それ以外を捨てちゃいます。読書をしまくると決めたら、それ以外は全部捨てちゃいます。そういう性質の人間なんで、必然に周りのこと気がつけないですよね...。

 今回の自身の「気がついていない」という自覚により、僕が受ける「頭がいいね」という言葉に対する認識が変わりました。それは、「何かやると周りが見えなくなるよね」ってことです。これをうまいこと言い換えると「齊藤くん、頭いいね!」となるんだと思います。

 

皮肉なんかじゃありません

 もう一つ、気がついたことがあります。それは「愚痴」についてです。僕が正直に、あまり愚痴を言わないし、それどころか「〇〇さんがウザい」と思うことも少ないです。これは偽善でもなく本当に。だから、愚痴を言い合うことを楽しむということがあまりわかりませんでした。正義感ありますとかそんなんでもなく本当に。これ、どういうことかが今日、やっとわかりました。それは僕が極度に「周りに気がつかない」からです。「〇〇さんがあれこれしてる」とか本当に気が付きません。気がつかないからそもそも、愚痴なんて生まれないんです。(笑)愚痴を言う以前の問題。そのレベルに達していない。ほんと笑えない。

 今から書くこと本当に皮肉じゃありません。「愚痴を言えるって実はすごいことかも」。だって「周りの人のことが見えてる」じゃないですか。

 

結局言いたいことは一つ、僕は本当に周りが見えていません。ご迷惑かけてすみませんでした。僕が何かに気づいていないようだったら、さらっと僕に言ってください。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

シューターのブログ

謝罪(1)

 

 週末は毎月参加させていただいている広島MGにお世話になりました。広島MGでは本当にたくさんの気づきを得ることができます。そんなわけですが、今日はMGが終わってから軽くご飯をたべようとMG参加者三人でお店に行きました。そこで自分がどれだけ気が付いていないか自覚するきっかけがありました。

 

パスタと向きあってしまう

 リーズナブルかつ美味しい料理と共に、カウンターに並んで3人でMGにまつわる色々な話をしました。戦略などいろいろ「あーだ、こーだ」と。そして、最後に頼んだ料理が出てきてからしばらくして、3人のうちの1人の方がお手洗いへと向かいました。そこで2人で色々話していると、お手洗いが戻ってきて、そのまま僕の後ろを通り過ぎ、僕から見て左手でお会計を済まして頂きました。それから10分後、僕はこう言うわけです。「伝票どこですか」と(笑)。これどういうことかというと、お手洗いに向かわれた方がいつカウンターに戻ってきたのか、僕は気づいていませんでした。もう1人との話に集中していたために。僕の後ろを通ったことも、会計を済ませて頂いていたことも気づいていませんでした。話に集中していたために。

 この出来事から数十分遡ると、こんなことがありました。海鮮パスタが僕の目の前へと運ばれてきます。見栄えといい香りといい、食欲がそそられます。MG関連の話が続いている中で、先に食べていいよと言われ、パスタをお皿にとり、パスタを僕は堪能していました。それから2、3分ほどして僕はこういうわけです。「〇〇さん、パスタ食べられました?」と。「食べたよー(笑)」と一言。「気づいてなかったの(苦笑)」と。僕は全く気が付いていませんでした。隣の人がパスタをご自身のお皿にとって食べていることを。自分が食べているパスタに夢中であるが故に。

 

一つのことに集中してしまう

 MGが終わってからの食事で「自身がどれだけ普段気がついていないか」を痛感しました。そしてとてつもなくゾッとしました。「ほんの小一時間過ごしただけで僕はこんなにも気がつけていないのか」と。」(だから、マトリックス会計表も遅いんだ...)それから家に帰っていろんなことを思いました。今までどれだけ気がつけていなかったのだろうと。後の祭りすぎるのですが、今まであった人や情景が頭の中を駆け巡ります。「もうしかしたら、あの時のあれってこういうことだったのか」とか、「あの時、あの人がもしかしたら色々とやってくれていたのかもしれないな」とか。僕自身、気がつかぬうちに色々なと迷惑をかけてきたのだろうと、今日気がつくことができました。今までお世話になった方、本当に申し訳ありませんでした。

(続く)

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

シューターのブログ

生々しい話ですみません

 

 大学が10月から再開し日々のことに追われ、その辺りをそれなりのペースで駆けずり回っています。2年生の後期にもなるとだいぶ専門的な授業が増えてきて、学校に行くのが最近は楽しみです。今日のある授業では、会計の基準についての話が少し取り上げられました。アメリ会計基準や日本会計基準国際会計基準があるのだとか。なんて面倒臭い。「そんな基準世界で統一して一つにしてくれ、学ぶ者のことを考えてくれよ」と頭の中で唱えていました。

 

5分で前言撤回

 そんなことを思いながら話を聞いていると、少し昔に世間を賑わせたタックスヘイブンの話へと移り変わります。パナマケイマン諸島を舞台とした話です。多くの国が国際会計基準(日本、アメリカ、中国などは正式に採用せず)を採用していますが、パナマケイマン諸島国際会計基準を採用しておらず、独自の国の会計基準を採用しています。そして、パナマケイマン諸島で決算をすると利益を低く計上することができ、国へ払う税金を大幅に減らすことができます。「ふむふむ、こういうことか!」と聞いてからというものの、自身の悪い顔が表へて出てきて「前言撤回、やっぱり会計基準は世界で一つに統一なんてされなくていいよ!」と思う次第です。(ただ、世界の大きな流れとしては、会計基準は統一される動きのようですが)。ちなみに邪推ではありますが、「〇〇さんのやろうとしていることは、こういうことなのかもしれないな(笑)」とも思ってしまいました。

 

ほんと生々しい話ですみません

 こうあまり良いとは言いがたい内容の話ですが、もう少し喋らせてください。最近会計でずっと答えを探していることがあります。それはなぜ日本国は製造業に対して「原価計算をFC」でさせるかです。一つは明確な答えがあります。それは利益を出さして税金をより納めさせようとするからです。原価に製造費に販管費労務費に減価償却費と乗って、見せかけの利益が発生です。ですが、それ以外にも理由があるようです。これを探しているのですが、なかなか考えても見つかりません。ただ、ある方からヒントは頂きました。それは「社会全体のことを考えてみるとわかるかもしれない」と。まだ、全くピンときてはいないのですが、とりあえず生々しい発想をやめてみることが肝要なようです。(笑)もう少し会計の勉強を頑張ってみます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます