シューターのブログ

働くとは、生きるとは 〜迷走vol.2〜

 

 前回のブログ『迷走vol.1』では、監査論のテキストを読み進める中で、公認会計士の存在意義(監査等の社会的役割)を知り、

公認会計士という職業は人のため、社会のためにある仕事なんだ」

と腑に落ちました。(実感ではないが、似たようなもの?)

そして、そもそも

「仕事とは、人の役に、社会の役に立っているから存在するのだよな」

と当たり前のことが脳内にちらついてきた訳です。

だから、職業を選択する上で大切なのは、

「自身がどういう形で社会に、人に貢献するか」

を自分なりに考えることだと思います。そして、それを考えた上で仕事を選ぶということがとても肝要だと考えます。ということは、結局

「自分はどうやって人に、社会に貢献しよう」

という根本的な問題にぶち当たってしまいます。あまり「自分探し」という言葉のニュアンスは好まないのですが、「自分探し」をするしかないのかと途方に暮れています。

 

仕事をどう選ぶ?

 僕もこの4月から大学3年生。就職ということを考えざるを得ない時期が迫ってきたなと実感しています。最近は某ウイルスが世界に猛威を奮っていますが、

コロナウイルスにより不況が到来して、自分の世代は就職氷河期になるのじゃないか?」

だったらいっそのこと

「大学院に進学するとか、留学するとかしようか(お金どうしよう、笑)自分は勉強が好きな人間だし、向いてんじゃね?」

なんて、安易に仕事を選択することから逃げたいという気持ちも出てきます。

その一方で、大学院は、研究者を育成する目的・色が強めであり、俺は研究者になりたいのかなんて自問自答したりもします。

少し前に、R&D(研究開発)という言葉の意味を辞書で調べたことがあるのですが、

研究・・・新しい知識を見つけることが目的

開発・・・知識をもとにそれを応用し、具体的なモノ・サービスへと変えることが目的

とある本に書かれていました。

「そうか、研究者になるということは、基本的には新しい知識を見つけることが目的なのか」と。であれば、結構孤独で辛い道であるなと僕は思います。例えば数学みたいに、発見した知識が自分の死後100年とか、200年とか経ってようやく社会の役に立つかもしれませんし、そもそも自分の発見した知識が世の中に役立たないなんてことも考えられます。さらには、世間からは、

「研究者ってのは、知識ばっかで頭でっかちなんだよ」と揶揄されるかもしれません。

それ相応の覚悟や信念ってものがないと続かない仕事であるのかなとも思います。そして、このことは他の職業でも言えるのではないのかと思ったりもします。

 

攻めと守り 25歳までというライン

 「25歳までが一つの勝負です。」いきなりそんなことを言うと、四方八方からあらゆる批判が飛んできそうです。実はこの25歳と言うライン、どっかの本で見たことがあるのですが(ちょっと思い出せない、本田健さんとかの本だっだかな、あの人謎なんだけど、笑)、

にいろいろ面倒を見てもらいやすい年齢、いろいろ教えてもらいやすい年齢」

です。人生一生勉強で、「学ぼうと言う意欲があれば、何歳であってもいろんなことを教えてもらえる」と言う考えは僕も知っていますし、一理あると思います。ただその一方、人生残酷なもので、25歳を過ぎるとどうしてもだんだんと大人として見られていき(たとえ精神年齢が子供でも)、自然と周りの人がとやかく言わなくなってきたり、新しいことや間違っていることを教えてくれなくなるものです。だから、25歳までにどんな人に会うか、そしてどんなことを学ぶのかと言うのがとても重要だとか思うのです。そして、そう考えると大学卒業後の進路、はたまた就職というのは非常に重要な選択だと僕は考えます。

 そしてここで職業を選択する上で利用する指標として思い浮かぶのが

「攻めるか守るか」という指標です。

 言い換えると、「自分の苦手なことだけど、人生においてマストなスキルが学べるだろう」というある意味、自身にとって挑戦的な職業選択の仕方と、「自分が得意なことで、極めるとそれなりの専門的スキルを手に入れることができるだろう」とある意味、好き・得意重視、保守的な職業選択の仕方です。

僕の中での挑戦的な職業と保守的な職業は

挑戦的職業:経営者 営業マン(民間に就職)

保守的職業:研究者 公認会計士

です。もっといろいろ考えたことはありますがざっくりと分けるとこんな感じです。

なぜ、経営者や営業マンという職業が僕にとって挑戦的かというと、これらの職業は対人スキルやリーダーシップ、もっというと共感力(人を思いやる気持ち)とか日々の笑顔とか、日々の挨拶とか、そういったことが重要です。経営者なんかだともっと専門的知識が必要だったりというイメージかもしれませんが、一年半僕が数十人は経営者に会ってきた中で感じたのは、「知識なんてものは二の次、まずは人との関係が大切」ということです。そして、このことは仕事はさておき、人生においてとっても大切なことです。

しかし、僕はあまりこの部分は得意ではなく、努力しても人並みか、伸びても平均よりちょっと上にしか届かないだろうなと、どこか思ってしまう部分があります。だからこそ、ここに対して劣等感というものもあり、そこで挑戦して見たいなんて思いも逆にあります。ただ、僕自身は対人スキルを自分のベースとして勝負する人間ではないと思っています。だから、僕にとって経営者や営業マンなどになろうと、大学卒業後に職業を選ぶのは「挑戦的」です。

 

対して、研究者や公認会計士という職業は、コツコツ勉強を続けること、知識を得ることに興味がある人に向いている職業だと思います。(もちろん、人と関わることはマストですが、他の職業と比べるとその割合は小さい)そして、僕はコツコツと勉強をすることが大好きですし、知識を得るということに対しては変態なレベルまでのモチベーションがあると自負しています。

「世の中の時間が10年止まるから、公認会計士と弁護士と医者の勉強、さらに外国語5カ国をマスターしてね、ヨーイドン」と言われたら、できるかどうかは置いといて、

「オッケー」

と即答できる自信があります。

春休みや夏休みがあると、つい本を手に取ってしまい、平気で一日中本を読むことに没頭してしまうなんてこともザラにあります。

こう知識を得ようという好奇心は僕の強みだと思っていますし、楽しいです。だから僕の中で、研究者や公認会計士という職業は保守的な職業です。

 

そして、「攻めるか守るか」という話と、「25歳までのライン」という話をつなげます。自分の苦手なことは、対人関係が主です。

だからこそ25歳までという人に面倒を見てもらいやすい時期にこそ学ばないと、一生そこに自信を持てないのではないかという考えが僕の中にあります。

一方で、25歳という時期にこそ、自分の得意なことをやってみるという環境に身を置くのがいいのではないかなんて思ったりします。

「やって見なきゃわかんない」この一言で済まされそうですが、僕にとっては悩ましい事案です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

迷走vol.3に続く

 

 

 

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働くとは、生きるとは 〜迷走vol.1〜

 

 「 最近暖かくなってきたなぁ」と思う一方で、世は某ウイルスに翻弄されています。先日日経新聞を見ていて、ブラジルレアル、インドネシアルピア、ロシアルーブルが暴落などという記事を見ました。また、急ピッチ円高の記事も見ました。なんだかんだ日本の通貨、「円」って信用のある通貨なんだなと思ったりする、この頃です。

 

仕事は人の役に立つためにある

 章題にとっても当たり前のことを書いててすみません。そして前置きですが、これから全く関係なさそうなことを長ったらしく書きます。どうか多めに見ていただけるとありがたいです。

 いきなりですが、今日「仕事は人の役に立つためにある」と、腑に落ちるきっかけがありました。というのは、今日は、監査論についての本を読んでいました。

 なぜ、監査論なんか勉強しているのかって? 

 いろいろな人から怒られそうなのですが、経営者をはじめとした方と1年半以上勉強させてもらう中で、会計を勉強するのが楽しくなっちゃいまして、会計のある意味プロフェッショナルと言える公認会計士の仕事ってどんなもんなんだろうと、監査論を勉強し始めちゃったというわけです。。。

 だいぶ罪悪感を感じながら、監査論のテキストを読み進めていたわけですが、いちばん最初の方に、「監査」とは何ぞや。と書かれていました。

一言で言うと

 

監査とは会計界の警察

 

です。

 

 これだけ言うと「なんのこっちゃ」となるので説明すると、監査の目的は、投資者を保護することです。投資者はご存知の通り会社に資金を提供する者なのですが、その投資者が投資を行うかどうか決める上での判断材料というものがあります。その判断材料こそが、「財務諸表」というものであり、財務諸表には会社の成績が載っています。

 そして、その財務諸表に不正がないか検査をするのが「監査」です。不正がもしあると、投資者は不利益を被る可能性大です。極論言えば、「急に投資した会社が倒産する」なんてことも。

 

(ここからしばらくはマニアックなので読み飛ばしてもらっても ↓↓↓)

 さらに、近年監査の社会的重要度は高まっています。というのも、数十年スパンで見た時に、間接投資(銀行から会社への融資・投資)から直接投資(投資者(not銀行)から会社への投資)へと変遷しているからです。

 どういうことかというと、時を遡ること戦前。太平洋戦争に臨もうというころの日本政府は、戦争資金を集めなければと齷齪していました。そこで政府は、運動を起こしたり、法律を制定したしたりして、「貯金」を国民に推奨しました。ここで日本人は「貯金をすることはいいことだ」「貯金をすることは大切なんだ」と思うように、

「日本人が貯金好き」

という国民性を持つようになりました。そして戦争が終わってからも日本人は貯金をする訳です。すると銀行をはじめとする金融機関は莫大なお金を手にします。

でもって、銀行(金融機関)は企業に融資・投資をする訳です。だから、戦後長いこと、日本の企業は銀行からの資金に頼っていました。海外は銀行からの資金が大体20%弱だったそうですが、日本はなんと40%程度の資金を銀行に頼っていたそうです。ということは裏を返せば、海外諸国に比べると、日本の株式市場はあまり発達していませんでした。

 しかし、1985年、プラザ合意というのがニューヨークで行われます。プラザ合意の目的は、ドル高の是正なのですが、これにより急速に円高が進みます。それに対応するため、日銀は低金利量的緩和政策を行いました。それにより株式市場に大量の資金が流れ込み、株式市場が発達していきました。

 そして1990年代にバブル崩壊。金融機関はお金を企業にあまり貸さなくなりました。すると企業はどこに頼るしかなかったか。そう、投資者です。

 

よって、日本はプラザ合意バブル崩壊を契機に、間接金融から直接金融へと変遷していきました。こうなると、株式市場で公開される企業の情報は今まで以上(プラザ合意前、バブル崩壊前)よりも重要になっていった訳です。すると、企業が公開する情報に不正があると社会・経済に甚大な被害を及ぼしてしまう訳です。

だから、「監査」の重要性が増してきました。

「あ〜監査って世の中に役に立ってんなぁ」と思いました。

(ここまでマニアック話 ↑↑↑)

 

そういう訳で、「監査とは世の中に役に立っているなぁ。」「公認会計士は意義のある職業であるのだなぁ」と当たり前ではありますが思った訳です。

 

 

役に立っていると実感しやすいかしにくいか

こう、「監査」の社会的意義をかみしめた訳ですが、

「そもそも世の中の仕事は、人の役に立っているからあるんだよな」

と思う訳です。ただ、仕事をしていて、役に立っていると実感しやすいかしにくいかという差があるだけの話。

 例えば、医者だったり看護師だったりは、人の役に立っていると実感しやすいかもしれません。人の病気を治したり、患者をサポートして元気にするのですから。

 その一方で、街頭でのティッシュ配りだと、人の役に立っていると実感しにくいかもしれません。実際には、ティッシュに付随する広告を見て、お店のお客さんをゲットし、お店の利益はアップ、お客さんは満足と、人の役に立っているかもしれないのに。

 

 そう考えると、仕事は全て人の役に立っているのだから、仕事を選ぶ上での基本スタンスとして、

自分はどういう形で人の役に立つかを選ぼう

であるべきなのだと僕は思います。

 

じゃあ、僕はどのようにして世の中の役に立ちたいのか、人の役に立ちたいのかと、考え始めてしまいました。(迷走のはじまり)

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

〜迷走vol.2〜に続く

 

 

 

 

 

 

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なんだこの違和感

 

 気づけばもう三月。今年は社会がコロナウイルスに振り回されてますね。僕も例外ではありません。春休みはシンガポールとタイに行く予定だったのですが、断念。かなりのダメージを受けています(笑)。また、僕は毎月500円だけ投資信託に預けて、株式市場、債権市場を最近眺めているのですが、ここのところだだ下がり。超少額だから笑ってみてられるけれど、額の桁が違ったらゾッとします。コロナウイルスが流行り出した最初の頃は、中央銀行が動けば市場がなんとか持ち堪えていたのに、最近は中央銀行が金融緩和の方向に動いたり、政府が動いたりしても歯止めがかかっていないです。僕の3000円が溶けちゃう(笑)。早く流行が収まることを願うばかりです。

 

差異分析に対する違和感

 この2月、日照簿記2級の勉強に勤しんでいました。年始早々、根拠のない自信に駆り立てられ、1ヶ月半の勉強で日商簿記に急に合格するんだと決めて、勉強の毎日(笑)。そして2月の後半に試験があったのですが、手応えでは完全に不合格です(笑)。言い訳だけどやっぱ時間たんなかった。この一言に尽きますw. 学んだことは物事に時間軸を照らすと途端に不可能が浮かび上がってくるってことです。

 まあ、そんなことは置いといて、簿記を勉強する中で違和感を感じることがありました。それは標準原価計算による差異分析です。ところでまず、標準原価計算とはなんぞや?多くの人がなりますよね。僕も2ヶ月前までそうでした。この標準原価計算とは、物を作る上での原価を計算する上での理想の原価(標準原価)を定め、原価の発生をできるだけ抑えようとする計算です。理想の原価と実際を比べて、どこにどれだけの無駄が発生したかを明らかにすることができます。細かい話になりますが、直接材料費・直接労務費・製造間接費に分けて、分析し、無駄を明らかにしていきます。勉強する中で確かに筋の通っていることが参考書には書かれており、ふむふむなるほどとはなるのですが、その一方で違和感を感じました。

あれ、これあくまで個別最適しか導き出すことできなくね?

標準原価計算では全体最適を分析できない気がします。

 

 

 

標準原価計算による差異分析→TOC

 もちろん僕がまだあまり勉強を進めることができていないが故に、標準原価計算についてよくわかっていないのかもしれません。それでもあえて持論をここでは言わせていただきます。「標準原価計算における差異分析で大事なのは、バランスを見ることが大切。」会計畑の方に聞いたことはないですが、恐らくこんな回答が帰ってくるのではないかと僕の憶測で思います。「でもその指標があるのかな?」こんな疑問が湧いてきます。(自分で勉強して明らかにしますが)標準原価計算が良いか悪いかは一先ずおいておいて、標準原価計算に対してうがった目を僕はむけています。そして、ここでどうしても頭の中に浮かび上がってくるのがTOCです。

 TOCとは、Theory of Constraints:制約条件の理論 の略で、イスラエルの物理学者、エリヤフ・ゴールドラットによって『ザ・ゴール』の中で唱えられた理論です。僕も詳しくは知りませんが、『ザ・ゴール』を一読したことからわかるのは、「会社全体最適が大切ですよ」というのがいちばんの主張です。

 この本が世界的にベストセラーとなったのですが、なぜこの本が、この理論が世界中で受け入れられたのかが、標準原価計算を勉強する中で見えた気がします。

 ではなぜ、世界中の人々にTOCが受け入れられたのか。

標準原価計算に対して疑問視していた人達が世界には多くいたから

ではないかと思います。

会計では標準原価計算というツールがあり、正しく分析できるんだと主張されていますが、「なんとなくそれだとうまくいかない気がするんだよね。」という人が大勢いたのではないかと思います。標準原価計算が個別最適を導くものだと認識していない人でも、「なんとなく肌感覚で標準原価計算はうまくいかないぞ。会計なんか信用ならん」と思う人たちがいたのではないでしょうか。

 標準原価計算の対立項がTOCである気がどうもする。ともかく、標準原価計算TOCはこれから比較しながら勉強していきたいと思います。

 

 

 

直接原価計算→MQ会計

 もう一つ、日商簿記2級を勉強する中で違和感を感じた部分がありました。それは直接原価計算における原価の固変分解です。2級では高低点法なんて固変分解の方法が出てきて図で表すと一見、ふむふむなるほどとなります。(費目別精査法という他の方法もあるらしいですが)でも、なんかおかしい気がするんですよ。まだうまく言語ができるレベルではないのですが何か違う気がする。そしてここの部分を勉強しながら思い浮かんできた単語がMQ会計です。

MQ会計は粗利(M)に注目しましょう、数量(Q)に注目しましょう。という会計なのですが(すごくざっくりで怒られそう笑)、ここでは主に直接原価計算が用いられ、ざっくり固変分解が行われています。直接材料費と材料副費は原価(V)であとは全部固定費・一般管理費(F)と。MQ会計に則って表現すると、VとFにざっくし分ける。この方が科学的な気がする。

そしてなぜ、このMQ会計が生まれたのか?

これも、TOCが世界中で受け入れられた背景(僕の想像)と似たようなもので

既存の直接原価計算に疑問を持っている人がいたから

だと思います。

実は固変分解において、既存の直接原価計算とMQ会計は対立項にあるのではないかと思います。この二つも比較しながら勉強を進めていきたいと思います。

 

まとめ(僕の予想)

標準原価計算の差異分析→TOC

直接原価計算の固変分解→MQ会計

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

 

 

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B/Sで青写真を描く

 

 学期末テスト、課題もあともう少し。興味のない科目にはどうしても身が入りません。というわけで、結局MG(マネジメントゲーム)について書こうと思います。

 

B/SとP/L

 マネジメントゲームの話を書く前に、B/SとP/Lについて書いたいと思います。とはいえ、「そもそもB/S・P/Lとは何か」そう思う人もいるかも知れません。まずB/Sは貸借対照表(Balance sheet)の略であり、B/Sはある一時点(会期末)に財産がどれだけあるかを表しています。B/Sには、誰からお金が出ているか(負債・純資産(他人資本))、そのお金はどのような形になっているか(資産)が書いてあります。次にP/Lは損益計算書(profit and loss statement)の略で、一定の期間(1年間)でどれだけ会社が儲けたか、損したかを表しています。P/Lには会社の業務においてどれだけコストがかかったか(費用)、サービスを提供してどれだけのお金が手元に入ったか(収益)、その差引き(利益または損失)が書いてあります。

(図の引用:日本公認会計士協会 わかりやすい「会計・監査用語解説集」)

 

目の前のことは大事、なんだけど,,,

 話を MG(マネジメントゲーム)に戻します。マネジメントゲームは文字面通り、会社を経営するゲームです。故に、ゲーム上で1年間経営し、一年間で儲けることができたのか、残念ながら損をしたのかを確かめるために、P/Lを作成します。また、1年間経営をして結果として、自身の会社がどれだけの資産を持っているか、そのお金はどこから出ているかを確認するため、B/Sを作成します。

 そして、(ゲーム上で)経営をするにあたって、もちろん計画を立てて一年ごと経営に臨みます。その際に、どれだけ利益が欲しいか、どれだけ費用がかかるだろうか、商品をいくらでいくつ売り、粗利はどれだけになるか。と考え計画を立てていきます。つまり、P/Lで計画を立てていくわけです。この計画の立て方自体は極めて合理的で、上手いことやればしっかりと儲けを出すことができます。ですが、短期的な計画になりがちであり、もっと効率よく合理的に経営をするには不十分だと先日、気がつきました。ではどうすれば良いか。B/Sで計画を立てることです。

 

先の未来を描く

 B/Sで計画を立てるとはどういうことか。未来のある地点において、どれだけ資産を持っておきたいか数値に落とし込むということです。MGでは言えば、機械が何台で何円、戦略チップが何枚で何円、云々カンヌンです。会社をこうしておきたい、こうあっておきたいと明確に未来を描きます。そして未来の資産を計算をすることは、未来の損益を計算することより容易です。

 ではB/Sで結局計画を立てるのは何がいいのと疑問に思う人もいるかと思います。ここで良く巷で耳にする計画を立てる上でのポイントを思い出して欲しいです。よく計画を立てる上で大事なのは

・曖昧なものはダメ

・具体的な数値を出そう

・期限を決める

などです。B/Sで計画を立てると、これらの計画を立てる上で大切なことを全て満たすことができます。いくらの資金を手に入れて、どのような資産の形にいついつまでに変えるか。これをすると人間不思議なもので、描いたことを実現しようと自然に動き、実際そうなることが多いようです。夢は語れとか、紙に描き出せとかよく言いますよね。本当にあれです。

 

B/Sで青写真を描けるように

B/Sで計画を立てるという発想は、いろいろなところで使えます。ここの人生において、何年後に何になっているか、何をやっているかを明確に描き出す、ということです。しかし、このB/Sで青写真を描くということは普通の人は難しいなと個人的には感じます。というのも、何か具体的に明確な未来をイメージするには、知識、経験とあまた必要です。仕事で言うと、どういう仕事があって、その仕事はどんな内容か、どういう業界の特徴があるか、どんなルールがあるかを知ることが必要です。さらにはその仕事をするにはどんなスキルが必要か、何を身につけなければならないかということ自体も知っておかなければ明確に未来を描くなんてことはできません。そして一番重要なのは、経験しないと見えないことがあり、経験したからこそ見えるものがあるということです。そこを通過した上で描ける未来というのがあります。だから何も知らない、経験したことない人に「青写真を描きなさい」なんていったら酷です。目の前のことを一生懸命やっていく中で、徐々に成長し、青写真を描けるようになっていくことが大切なのかと思います。

 ちなみに僕はまだまだ、目の前のことを一生懸命やる段階と自覚しています。コツコツとやるしかないです(笑)。あーまずは学校の課題とテスト勉強からやらねば,,,

 今週末のMGでB/S経営に挑戦です。うまくいくか否か、試すのが楽しみで仕方ないです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます

 

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ワルツ×2

 

今年も1月が終わり、2月になりました。2020年ブログを書こう書こうと思っていたら2月になっていました。だからと言って何もしていなかったわけではありません,,,(笑)ということで2020年も宜しくお願いいたします。

 

抱負を考えたのだけれど

 「今年の抱負はどうしよう」と1月はわりかし真剣に考えたのですが、これといって決めることができませんでした。というのも、1年もあれば興味が変わり、進む方向も気持ちも変わるだろうと思ったからです。もちろん、今年は英語学習に本腰を入れようとか、パソコン全般を含め、エクセル・マイツール に取り組もうだとか、学びたいこと・学べばならぬことはあれこれと思いつきます。しかし、これだ!というものは思いつきませんでした。ただ、具体的ではありませんが一つだけ決めたことがあります。

それは「目の前のことを一生懸命やる」ということです。

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奥深いMG

 今年も絶対に取り組みたいことがMG(マネジメントゲーム)です。昨日もテスト勉強の息抜きを兼ねてMGに参加してきました。昨日は特別に関西から広島に来ていただいた方の講義があり、MGについてまだまだ知らないなと感じました。今までのMGの認識としては、「当時の松下電器に勝つために1976年にソニー西順一郎さんが開発した経営ゲームで、会計、会社全体最適、儲け方が学べるのが特徴」というくらいでした。しかし、昨日は初めて、西順一郎さんとソニーの創業者の一人、井深大さんに関係があったこと、さらにはホンダの創業者、本田宗一郎さんと関係があることを知りました。そしてMGの中には井深大さんと本田宗一郎さんの思想が反映されていることも知りました。他にも、MGの重要人物には鈴木バイオリン製造の創業者、鈴木慎一さんなどがおられることを知り驚きました。また、講義の中ではわからない言葉がたくさん出てきてとても刺激的でした。例えば、「X理論」と「Y理論」という言葉を初めて聞いて、後で調べると、「ダグラス・マグレガーという心理学者・経営学者が唱えたモチベーションの理論がMGとか関わっているのかー、そんな理論があるのかー」とか、「財務会計管理会計・戦略会計は出力の違いで、目的によって使い分けるんだー」とか、何とかかんとか、とっても勉強になりました。

 

同じことを繰り返すと見えてきた?!

 昨日の講義では、MGの歴史、とりわけ西順一郎さんがどういう人物でどうMGを開発したかということを聞きました。まだ、自分の頭の中では2割も解釈できていないのですが、左右会計から行列簿記という発想を経て、マトリックス会計表というのが誕生したそうです。僕はMGを継続して1年半ほど。100回以上はマトリックス会計表と対峙してきました。でもまだまだ僕にとっては謎めいた存在です。そして昨日、心に残る投げかけ、ヒントをいただきました。それは、

「なんでワルツって2回すると思う?自分で考えてみなー」

という言葉です。MGにはワルツという作業があるのですが、あるタイミングでワルツの向きが変わるんです。(MGをやったことがある人には伝わるはず、笑)今まで散々向き合ってきたマトリックス会計表を家に帰ってからもう一度見つめ直してみました。そしてなんでワルツを二回するんだろうか、自分なりの答えであってるかわかりませんですが、一つ浮かび上がってきました。

 

ワルツ×2

 ここからは「なぜワルツが2回行われるか」僕なりの考えを記述していきたいと思います。ワルツはテ行とト行の境目のところで方向が変わります。ということはおそらくここでやっていることに変化があるはず...。そして、西順一郎さんは左右会計から行列簿記という形に大きく変えてマトリックス会計表を作った。つまり、左右を列と行に分けたわけです。ここでよ〜くマトリックス会計表を見ていると、あることに気がつきました。それは

「列が借方で行が貸方になっている」

ということです。

ははーん、至極シンプルに左右会計を開いたんだなぁ。

そこに気が付いた上でもう一度マトリックス会計表を凝視すると、テ行までは借方、(資産・費用)を作る作業で、ト行からは貸方(負債・純資産・収益)を作る作業であることが見えてきました。ではなぜ、テ行とト行の境目でワルツの方向が変化するのか。繰り返しになりますが、それは行が貸方になっているからです。ヌ行からフ行までで、貸方の収益が作成されるようになっていて、へ行には貸方の負債と純資産が集計されるようになっています。

だから

「ワルツ×2なんだ」

と僕は思います。

ワルツを考えるとマトリックス会計表全体が見えてきた気がします。

果たしてこれであってるのだろうか。

とっても気になっています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

 

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捨てることと探さないこと

 

「あけましておめでとうございます」と挨拶をしていて、気がついたら「良いお年を」と言っている。そんな、あっという間に過ぎていった2019年でした。「あれやりたい」「これやりたい」と思いながらも、できなかったことも多かった一年でもありました。とはいえ、一年いろいろなことを学ばせていただいたなという気持ちが大きいです。特にMG(マネジメントゲーム)を通じた学びが一番大きかったです。

 

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いろいろお世話になりました!

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MG(マネジメントゲーム

引っかかっている言葉

つい先日、年内ギリギリ、滑り込みセーフでMG100期に到達しました。100期まで一年半程かかりましたが、色紙を頂いて、本当に嬉しい限りです。この一年半、(無自覚のうちにいろんな人を傷つけたり、社長さんを始め、いろんな方のメンツを潰したり、話の腰を折ったりetc...)と迷惑をおかけしながらも、いろいろなことを教えていただいました。そしてMG(マネジメントゲーム)というだけあって、経営のことを学びましたが、それは2割。もっと根本的なところ、人間的なところ8割を学んだなというのが正直なところです。何を学んだのか、全て書きたいところですが、一番心に残ってる教え(言葉)であり、僕がいまだに引っかかっている言葉について綴ってみたいと思います。それは「整理整頓」です。

 

整理整頓

「整理整頓」という言葉を聞いて思い出すのは、「整理整頓しなさい!」幾度となく小学校の先生がとある生徒のお道具箱を見ては言っていたことです。幸い僕のお道具箱から「カビたパン」が出てくるようなことはありませんでしが、決して綺麗なお道具箱とはいえない部類に属していました。「整理整頓」と言われて、小学校当時は「とりあえず綺麗に並べれたいいんでしょ」とそれなりに先生の言うことを聞いてきたつもりでした。ところが大学2年生である今年になってやっと「整理整頓」の意味を知りました。それは今回のブログのタイトルでもある「捨てること」と「探さないこと」です。

 

整理=捨てること 整頓=探さないこと

小学校の先生はこう言っていたわけです。「お道具箱の中にあるもので、いらないものは捨てて、物(道具)を探さないようにしましょう」と。言っていることは至ってシンプル。「捨てろ」「探すな」の二つ。しかし、このことが歳を取れば取るほど重要になってきます。ところで、なんで「捨てる」ことと「探さないこと」が重要なのでしょうか。一つ例をあげたいと思います。オフィスで「印鑑がない」と探し回っている時のことを想像してください。

A:「あの辺にあった気がするんだけど、〇〇さん印鑑知らない」

B:「知らない。あっ、もしかしたら!」

(探す)→

B:「いや、そこにもない...」

A:「直近で使ったのはいつだっけ???」

こういうことは意外とあって、馬鹿にはできないですよね(笑)。そしてここで考えて欲しいのは、「この時間は有益ですか?」「この時間に何かを生み出していますか?」ということです。ちょっとしたことではあるのですが、塵も積もれば山となる。1日平均10分それをやっていたとしたら、1年間で3650分。2.5日間、ものを探していることになります。これが1日平均20分だったら、30分だったら、意外と物を探す時間って多いんです。

 

頭の中の整理整頓

よく一般的なビジネスの成功者のインタビューでこんな応答が見受けられます。

「俺は捨てるのがうまいんだ」とか「成功の秘訣は捨てることだ」とか。

組織では日本を代表する企業トヨタ「片付け」で有名です。

何が言いたいか。つまり、「捨てること」と「探さないこと」が社会でとても重要なこと。そして、そのとっても大切なことを小学生の頃に教えてもらっているということです。(とはいえ、小学校の先生自体、どれだけの人が「整理整頓」の意味を知った上で知っているか。)

さらにはこんなことをいろんな場面でよく聞きます。「シンプルに、シンプルに考えよう!」

このフレーズは「頭の中を整理整頓しましょう」。つまり、「頭の中で、いらないものは捨てて、探さないようにしましょう」と言っているのと同じです。

 

 

まずは物から

「捨てること」と「探さないこと」。自身を振り返った時にまず持って僕は出来ていません。それは物においても、考えにおいても、行動においても。「あれやりたい」「これやりたい」と思ってあっちこっち手を出してはあまり続かない。勉強も「あれ学びたい」「これ学びたい」とあっちこっち手を出しても、身にならない。だから、「何をしたいのか」「何のために今〇〇をしているのか」が答えられない。頭の中を整理整頓できていないわけです。

MG(マネジメントゲーム)でいろいろな職業の方にあって感じたことがあります。それは頭の中を整理整頓「捨てること」「探さないこと」ができている人が多いなということです。

私にとっては「〇〇が大切で、だから〇〇をしています」。

これを答えられるようにならなければ、何かを自分の意志で継続することはできないだろうし、何かを成し遂げるなんて到底無理だと思います。

だからまずは、頭の中の整理整頓の前に、物の整理整頓をしていこうと思います。そうすれば頭の中の整理整頓も自ずと進んでいくのかなと思っています。

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本の整理整頓

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本の整理整頓(2)


最後まで読んでいただきありがとうございます

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失敗のオンパレード

 

 先週末はMG(マネジメントゲーム)に参加するため福岡に足を運びました。広島から近いものの、福岡市内には数えるほどしか行ったことがなく、とても新鮮でした。一番驚いたのは何といっても利便性の高さ。博多駅から福岡空港までがとにかく近い。フライト予定は皆無でしたが、空港の利便性に誘われ、福岡空港で朝食をとりました(笑)

 

MG

 MG(マネジメントゲーム)。虎の子の300万円を片手に会社を設立し、5年間経営をするという設定のゲームです。「会社のことは実際に経営してみないと分かんないよね」という事実と、「実際に会社を経営するなんて普通無理でしょ」という事実をうまく擦り合わせたようなものであり、何といっても楽しいです。そんなMG(マネジメントゲーム)が先週末、ある企業で社内研修という形で行われ、僕もそこに参加させていただきました。よくお世話になっている社長さんと同じ卓で1期、2期とスタートです。すると早速、右から不吉なオーラを出しながら、僕の会社を大損失へと導こうと狙っている方が約1名います。ところが僕は意思決定カードを引くとリスクカードをリスクカードを一枚ひけと、指示が。すぐさまリスクカードを引くと運良く32円で3個売れました。すると、約1名の方が狙いをその社長さんに定めます。それからというものの、商品を売ろうとしても売らせないという攻防を目の前で繰り広げていました。

 

やっちまった...

 2期の後半に差し掛かり、僕の悪い部分が忌憚なく発揮されます。売る売らせない攻防に終わりが見えた頃、自身のキャッシュ不足を理由に、売らせない攻撃に僕は便乗してしまいます。入札で下をくぐり、その後あと一行。論理論理で考える僕は人の気持ちを考えません。他の卓の様子を見てから意思決定カードを一枚引き、意思決定をする前に一言。「終わりです。」そして戦略チップを一枚購入です。結局PQ(売上)=0に追いやってしまいました。「あ、ルール以外のこともちゃんと考えないとダメなんだな」と気づきましたが後の祭りです...。

 

失敗してなんぼ

 僕に残された道はただ一つ。それは反省して、猛省して、反省して、猛省して、開き直ることです。この一年半、企業の社長さんをはじめ、沢山の社会人の方にお世話になりました。そしてその数に対応するように、僕は失礼をし、失敗をしまくりました。「あんな生意気なこと言ったり」「こんな目のあてられないことをしたり」あー、ささっと忘れよう。そして、ある程度失敗しまくったところで「もうそろそろ失敗はしない!」と誓いの言葉を読みかける手前、福岡で失敗です。決して故意ではないのですが、僕はしつこいくらいに失敗してしまいます。そして、僕が失敗するたびに、指摘を受けたり説教受けたりはするものの、なんだかんだ温かい目で見守っていただいています。僕はこの上ない幸せ者です。しかし、これは所詮大学生だから許されることです。これ30半ばや40代になると、失敗を許してくれる人がいるいないは愚か、失敗を指摘してくれる人がほとんどいなく、「失敗を失敗」と気づく機会がゼロに等しくなります。取り返しのつかないことへと発展することもあるかもしれません。だからこそ今20歳。おかしな話ですが、遮二無二頑張って、結果いろんな失敗をしなければと思っています。

 

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