シューターのブログ

平等と公平

 

前回のブログで学生時代の勉強機会の不平等について少し触れたので、今日は「平等」と「公平」についてを書きたいと思います。「平等」「公平」、どっちも堅い言葉で嫌気がさすし、「一緒じゃん!」と思うかもしれません。とはいえ、僕も自分で例を出して、正確に「平等」と「公平」の違いを述べる自信がないので、『日本再興戦略』著者:落合陽一さんの「平等」と「公平」の説明を引用させていただきます。

 「平等」とは、対象があってその下で、権利が一様ということ。何かの権利を1箇所に集めて、それを再分配することによって、全員が同じ権利がある状態を指す。

 「公平」はフェアであるということ。システムのエラーがないことや、ズルや不正や優遇をしないということ。

 例えば、日本人は、センター試験カンニングなどの不正が起きると怒るくせに、公教育に地域格差があったり、教育機会の差がある人が同じセンター試験を受けることに対しては無頓着。

と書かれています。

 他にも僕が不平等だと感じるのは、学校のPTA制度。中学校や高校であれば、保護者は3年間のうちに必ず1回は何かしらの役員にならなければならないというルールがよくあり、それは公平ではあるかもれませんが、平等とは言えません。なぜなら、世帯によって、共働きで忙しく保護者の自由な時間が少ない世帯、母子家庭・父子家庭で保護者の自由な時間が少ない世帯がある一方、専業主婦が家庭にいて保護者の自由な時間が多い世帯、3世代家族で元気な祖父・祖母が家事を担ってくれていて、保護者の自由な時間が多い世帯もあります。それにもかかわらず世帯のタイプに関わらず、PTAの役員に必ず1回はならなければいけないという制度は平等とは言い難いです。

 

学生時代の勉強機会

前回のでブログで

僕は母子家庭であり、家から大学に通っているのですが、奨学金に加えてバイトをしないと授業料が払えないです。大学に行けるだけで満足しろと言われるかもしれませんが、裕福な家庭にお金を出してもらっている家庭と比べると、勉強に当てることが可能な時間は、バイトをしなければいけない僕の方が圧倒的に少ないです。だからこそ、バイトをしないでお金を調達し、時間を確保し勉強に当てる方法を模索しています。

と書かせていただきましたが、この「学生時代の勉強機会」も不平等であると思っています。本気で勉強に打ち込もうと思った時、圧倒的に有利なのは裕福な家庭です。裕福な家庭は勉強するのに当てることのできる時間を多く確保できます。多くの人に対して平等に与えられている「時間」に格差があるのは、本気で勉強しようと思う人にとっては辛い限りです。

 

日本人は「公平」には敏感だが、「平等」には鈍感

今までの例の通り、日本人の特徴「公平」には敏感で、「平等」には無頓着ということがわかると思います。これに関しては一長一短なところもありますし、文化レベルで根付いていることなので批判しても仕方がないかもしれません。個人の権利を主張してきた西洋に比べ、日本は農耕文化で集団で生活をしてきた歴史がありますし、江戸時代には不平等である士農工商という制度もありました。しかし、学生時代の勉強機会の不平等(時間の不平等)には納得がいきません。だからこそ、この問題は個人的に早めに解決したい問題です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます