シューターのブログ

ラッキーな誤解

 

今週はアカデミックな事から私用までいろいろなことがありました。そんな中で今週は新たなことを始めました。プログラミングです。

 

挫折してきた

今までプログラミングは独学でやろうといろいろ試してきました。学校のプログラミングに入ってみたり、マイクロビットを買って、取り組みもうとしたり、などなど。でもどれも上手くはいきませんでした(笑)。何故ならば、具体的に作りたいものが定まっていなかったからです。そんなこんなで何かとプログラミングに対して、高いハードルをイメージしていました。そしてつい先日、ちょっとした相談を受けて、具体的に作りたいものが決まりました。

 

思わぬきっかけ

それは大学で、ある授業を受けた後、声をかけられました。声をかけてきたのは、大学に勤務している中国出身の先生。めちゃくちゃエネルギッシュな先生で、スーパーサイヤ人の金色のオーラが出てそうな人(笑)。スマホやパソコンからアクセスできる英語の教材を作りたいって話でした。で、「なんで俺?」。どうやら、僕のブログを見ていただいているみたいで、パソコンができる人ってイメージがあったらしい(笑)。後、その授業をいつも、コンタクトじゃなくて眼鏡で受けていたのも影響があるかも(笑)。そして、その教材の話を聞く限り、大学にあるシステムを使うってよりは一から作らないといけない雰囲気(苦笑)。そこで思いつきました!その教材一から自分が作ってみようと(勝手に)。。。

 

ゼロからスタート

作るものが決まったということで、とりあえずどの言語を学べばいいか、少しだけ具体的になりました。ただ、どうやって勉強しようと、この文ばかりが無限ループ。そこで見つけたのが、Progateっていうサービスです。言語別や目的別にプログラミング学習コースが組まれていて、プログラミング学習がかなり容易にできそうでした。早速プログラミング学習を始めると、とっても面白い。実際に学習を始めた言語は、HTML&CSSRuby。それに伴って、CommandlineやRuby on RailsRubyフレームワーク)(クックパッドRuby on Rails の枠組みで出来てるとのことで、WEBサービス開発にうってつけみたいです)のさわりも始めました。意外と構造や作業に関しては説明とともに理解できて、一通りやれば(膨大ではあるが)あとは慣れだなという感覚はありました。

 

プログラミングの必要性

大学に入ったら絶対勉強することの一つに僕は、プログラミングをあげていました。(一年間、ほとんど勉強できませんでしたが...)なぜ、プログラミングを勉強したいと思っているのか。それは、小学生のプログラミング学習が必修となることからもわかりますが、「これからプログラミングスキルの必要性がグッと上がるから」の一言につきます。というのは、今の時代、何かサービスを提供しようと思った時に、ネットを経由しないでサービス展開はほぼ不可能、避けて通れません。アウトソーシングをするにもしても、プログラミングについてある程度わかってないと、外注する業者が適切な外注価格を提示してきているのかもわかりません。だから、事業を作る起業家はもちろん、就職して働く人にもあったほうがいいスキルです。

 

猿のように夢中になる

しばらくの間は徹底的にプログラミングを勉強することにしました。そして、自分でウェブサービスを作ります。プログラミングを勉強する環境は今の時代、充実しています。少し興味のあるなって人は、プログラミングに挑戦すると、将来の可能性をぐっと広げられると個人的に思います。大きなチャンスが転がっているので、僕は猿のように夢中になって勉強します!

 

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後悔

 

一つ、後悔していることがあります。昨日祖母が亡くなりました。二日前に会いに行けばよかったなと後悔しています。先週今週と忙しく、昨日はあるプロジェクトのちょっとした集大成であり、連日準備に追われていました。休日は引き受けた依頼としてプレゼンをやったり、課題をやったりしてました。こうやって言葉を並べてみましたが、全部言い訳です。

 

必ず別れがある

普段生活していると、「全てのことに終わりがある」と頭ではわかっていても、なかなか意識していないものです。小さい頃、なんの根拠もなく、ただただなんとなく、自分はずっと子供で、母と父と一緒に住むんだろうなぁ、と思っていました。そんなことはなくて、いつか子供ではなくなるのに...。もうすぐ二十歳になります。もう数年したら、学生生活は終わります。なんとなくまだまだ続くって、心の何処かで思っているけれども...。

 

いつかは死ぬんだよな...

一つ、考えてもどうにもならないことがあります。それは「死」についてです。「死んだらどうなるんだろう」と寝る前に時々考えてしまいますが、途中でなんだか気持ちが悪くなり、考えるのをやめます。考えてもいつかは来る「死」を避けることはできないし、死んだ後のことなんてわからないし...。人の死亡率は100パーセント。全然受け入れられないし、受け入れたくもないです。

 

一期一会

これが最後かもしれない。この日がおそらく最後だ。こう思っていても、「明日もあるはず」という希望でつい自分をごまかしてしまいます。それは今も今までも。自分はタイミングをわかっていない人間だなとつくづく思います。今日は、祖母と最後のお別れをしてきます。祖母本人の希望でお葬式はしないみたいなので、本当に最後。「おとといは会いに行かなくてごめんなさい」「今までありがとうございました」と伝えてきます。外がだんだん明るくなってきた。

 

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歩いて見えてくる尾道の歴史

 

令和初のブログ、更新が遅くなりました。今回は僕のちょっとした趣味について書きます。僕の趣味は少しマニアックですが『ブラタモリ』の本を片手に、旅をすることです(笑)ずっとやりたいと思っていて、このGW、令和にやっと始めました。『ブラタモリ』とはNHKの番組で、タモさんが日本のいろんな街を歩いて、地理的観点から見たり、歴史的観点から考えたりしながら、出されたお題の答えを明らかにするという番組です。少しマニアックかもしれないけれど、僕が大好きな番組の一つです(笑)

 

昔の尾道が見えてくる!

尾道には何回か来たことがあるのですが、しっかりと観光したことはありませんでした。「尾道の商店街をなんか歩いたことがあるなぁ」「しまなみ海道をずいぶん前に自転車で渡ったなぁ」程度です。僕にとってはそんな尾道でしたが、『ブラタモリ』の本と共に旅をすると、とびきり楽しかったです。まず、千光寺山の東の通りを歩きました。すると、通りのはずれにこんな古い道標がありました。

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左 いづも往来

この「左 いづも往来」が表す意味。それは出雲につながる出雲街道があったこということです。この出雲街道を通って、平安時代には、石見銀山で掘り出された銀が尾道へと運ばれ、船に積まれ、西回り航路を通り江戸へと運ばれました。さらに、出雲街道の中間には、世羅町という場所があります。そして、平安時代にはその世羅町に「太田荘」という大きな荘園がありました。そこから都に運ぶための年貢米が出雲街道を通って尾道に運ばれ、船に積まれていました。そう、この道しるべは尾道が歴史ある街だということを表しています。尾道を歩いていてもなかなか目に入らないと思いますが、気がつくととっても面白いです。

 

参道の途中に国道二号線とJR!!

尾道に久保八幡神社がありました。その神社、なんと、参道の途中に国道2号線とJRが通っています。なんとも不思議な光景です(笑)。

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参道入口 奥に2号線と踏切が見える!!

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参道途中に踏切が!!

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参道入り口の方を向いた時に撮った写真 国道2号線が!!

この奇妙な光景。実は尾道ならではの事情により生まれています。尾道駅を降りてすぐのところにある尾道商店街、あの一帯はもともと海でした。そもそも尾道はほとんど平地がなく、今栄えているところは埋め立てでできています。そして明治時代に鉄道を通そうということになったのですが、尾道商店街のあるところよりもさらに南を埋め立てて陸地にすると西回り航路でもある尾道水道を塞いでしまい、海運業に多大な影響を及ぼしてしまいます。そこで、無理やり内陸に鉄道を通し、参道の途中に線路が存在することになりました。

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ブラタモリ17』監修:NHKブラタモリ」制作班 P74より

このように『ブラタモリ』の本と旅をすると、マニアックではあるかもしれませんが、旅が数倍も楽しくなります(笑)。まだまだ尾道について紹介したいですが、興味のある方は是非、『ブラタモリ』と一緒に旅してみてください!!

 

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平成最後のブログ

 

平成最後の日ということで、最近さぼりがちのブログを更新しなければと思い至りました(笑)。先週は体調を崩しゲホゲホとやっており、あまりはかどらない週でしたが、一つ自分の中で整理できたことがあります。それは「美意識」や「アート」といったものについてです。

 

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呉のロケ地マップ!!

 

明確な理由がなく巡った一年

平成最後の日、家で過ごすのは何か勿体ないなと思ったので、日中呉に行ってきました。呉は阿賀の方や音戸の瀬戸の方は歩いたことがあるものの、呉市街はほとんど歩いたことがなく新鮮でした。レンガ通りはレトロな感じがして綺麗で、数時間しかいなかったけれどもどこか居心地の良さを感じました。商店街の中(歩道)に駐輪場があるのが少し変わっているなと思いました。まあ、そんなこんなで呉の街を歩いたのですが、一番の目的は、呉市立美術館に行くことでした。去年一年間、大学の取り組みに便乗して、美術館をたくさん巡っていたのですが、呉は豪雨災害でJRがストップしている期間が長く、訪れていませんでした。それがゆえに、一回呉市立美術館に行ってみたいという思いが自身の中で大きく育まれていました。ただ、この美術館巡り、明確な理由・目的を持ってこの一年間行っていたわけではなく、むしろ漠然と行っていました。

 

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初めて行ったレンガ通り

 

論理的なことや技術的なことは後からどうにでもなる!?

実は新学期になってから、レジャーサークルの立ち上げを友達としており、だいぶ時間を費やしています。先週はサークルの規定づくりをしていて、規定の施行日を記述する際、令和1年5月◯日と書くのが新鮮でした。そんな新しく作っているサークルでは、自分と違う学部の人も集まってきてくれました。そして、立ち上げで一緒にやってくれてる人の中に芸術学部の人がいるのですが、その人の言っていたことが最近ずっと残っていました。彼は映像が専門で、一緒に街を歩いていると、スマホを片手に、水たまりの前で立ち止まり動画を撮ったり、街並みをとったりと面白いです。エスカレーターで映像を撮っている際は、面白半分「盗撮に間違われないように」と心配しています。そんな彼が映像が街を歩きながら映像を撮っているときにこんなことを言っていました。

「感性を磨くことが先」

一語一句あっているかは定かではなく、僕の解釈が入っていると思うのですが、このようなことを言っていました。つまり、論理的な部分は言語化されていて再現性があるから後からどうにでもなるが、言語化されていない「感性」は再現性が低く、磨くのに時間がかかる。だから、「感性を磨くことが先」な訳です。

 

指摘された半年前のこと

「感性」というワードでつい思い出すのが、半年前のことです。僕は半年前、『「フィール(感じる力)」が足りない』と指摘されました。感じる力があると、「見えないものが見えたり(病的な幻覚ではないです(笑))、新しいものを思いついたりすることができる」ということを聞きました。ただ、僕はその「感じる力」が弱く、「論理的」な部分が発達している。だから「感じる力」を磨きなさいと言われました。そう言われた確かにそうだと思ったのですが、理屈じみた僕はなぜか、納得しきれないところがありました。だから、もやもやを抱えたまま、美術館を巡っていました。

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商店街の中に駐輪場ってなんか新鮮

アートスクールに送り込まれるエリートたち

このモヤモヤを晴らしてくれた一冊『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』に先週出会いました。実は最近、「グローバル企業の幹部トレーニング」としてアートが扱われ、重要視されているそうです。そしてアートを学ぶことの必要性がこの本には書かれていました。この本に書いてあるアートを学ぶ必要性の理由をざっくしと書くと、

1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある

2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある

3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している

この3つだそうです。

どういうことかというと、今までの世の中はモノで満たされることを世界は求めていたが、先進国どころか発展途上国にまで良質のものが行き届き、人は精神的な満足を求めるようになりました。そして、多くの人「自己実現」を目指せる状態になった。すると、「論理」の賜物である「機能」や「性能」はどの製品もある水準を保証しているから、人は「デザイン」でものを選ぶようになりました(これからますますこの傾向は強くなるでしょう)。だから、ビジネスをする上で、今日、そしてこれからは「論理」より、「アート」の方が重要になってくるというのが理由の1番と2番です。

3番については、ルールの制定が追いつかないから、「自身の中にある美意識(軸)」を元に行動しましょうということです。もう少し、損得で話をすると、法律の原則として「法令不遡及の原則」があります。つまり「出来た法律を、過去のことに適応してはいけません」ということです。だから、法律の穴を縫ってグレーゾーンで儲けようとする人たちが多く出てきたのですが、グレーゾーンに対しては、「法令不遡及の原則」を適応されないことが多々あります。グレーゾーンで儲けてたら後から「新しい法律で法律違反ね」と言われることがあるということです。結局のところ、「自身の中で美意識を作り」それに従いまししょう。倫理を基にして行動しましょうというわけで、これが3番の説明です。

他にもアートを学ぶ理由はあるのですが、大きく3つの観点から取り上げるとこんな感じです。これで僕は「美意識」や「アート」を磨く理由を明確にすることができました(笑)。自分の弱い部分「感じる力」を継続して磨いていきたいと思います。

 

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PDCA、よく聞くけれど...

 

今日はMG2日目でした。1日目の会社の成績が悪い中、どうやって会社を立ち直らせようか模索しました。1日目の3期のミスが響き会社の状態が悪かったのですが、過去はどうすることもないので、ミスから学んで過去の意味を変えようと4期、5期に臨みました。おかげで周りの人の状況から周りの人の戦略を読んで、その裏(ブルーオーシャン)で勝負することができ、会社をだいぶ持ち直すことができました。周りを見てから戦略を立てることの重要さ、その上で自己投資を最大限生かす方法を考えることの重要さを感じました。

 

モチベーションが高いのは武器?!

MGでは経営や会計のことを学べるのですが、他にもいろんな分野のことを絡めて話してくれるので、幅広く深い学びを得ることができます。その中で、モチベーションの話というのがありました。そして、社会の発展度とモチベーションの関係として「社会が発展していればいるほど、その社会で暮らしている人たちのモチベーションは低い」逆に「社会が発展していないほど、その社会で暮らしている人たちのモチベーションは高い」という2つは相反する関係にあることを学びました。これがどういうことかというと、あまり社会が発展していない時、洗濯ひとつにしても高いモチベーションが必要でした。なぜなら洗濯物を抱えて川まで持っていき、川についてから自らの手で洗濯物を洗う。それから外に干しに行く。日が暮れる前に取り込むととても労力がかかるからです。では対して、発展した今の日本では洗濯は洗濯機に放り込んで洗剤を入れてボタンを押すだけで乾燥まで出来て、労力はあまりいりません。つまり、社会が発展していると生活するのに労力がいらず、低いモチベーションで生活することが可能です。ということはそれを逆手に取ると(モチベーションを高いと)それだけで稀有な存在になることができます。そして、そのモチベーションをうまく使えば、稼いだり、ある分野で結果を出したりすることができます。だから社会が発展した現代において、モチベーションが高いことは武器に十分なり得るというわけです。

 

PDCAPDS

もうひとつ面白い話として、PDCAPDSの話がありました。よくPDCAという言葉は職場や学校で聞くと思います。PDSという言葉もちょくちょく耳にします。この二つの言葉、実は違いがあるようです。確認としてPDCAとは、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Act(改善)の略 、PDSとは、Plan(計画)、Do(実行)、See(見てみる)の略です。あんまり変わらないと思うかもしれませんが使う場面が違います。PDCAは既存のことに対して用い、PDSは新しいことを生み出す時に用います。PDCAはきちっと計画を立てて、やってみて、あらかじめ用意した項目で評価して、それを元に改善するというサイクルなので既存のことに対して用いるのに適しています。対してPDSはさっと計画を立てて、とりあえず、やってみる。そして、こうなるんだ、うまくいったな、うまくいかなかったなと見てみる。こういうサイクルであり、新しいことを生み出すのに向いています。僕は今からの時代、PDCAよりもPDSを求められると思います。それは人工知能が決まったことは得意であり、PDCAを人の代わりにやるからです。だからこそ新しいものを生み出すことが人間には求められ、そのためにはとりあえずやって、見てみるというPDSを回すことが必要です。是非、PDCAの他に、PDSも頭に入れてみてください。

 

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僕に一番足りないもの

 

今日は3ヶ月ぶりにMGに参加しました。MGに参加していない間に勉強した成果を出してやると前日に計画を立てて挑みました。「損益分岐点比率に気をつけるんだ」「レバレッジを効かせるんだ」「資金繰りをよくするんだ」と。明らかに前回とは見えているものが違ったから、自信がありました。そして、ゲームが始まり、序盤はちょっとしたミスこそあるものの今までにない好感触でした。「うまくやれば、ハマって収益が出るんだ」と。しかし、そこからがだだ下がり。市場の中で明らかに有利な位置、強い立場にいたにも関わらず、自分の投資を活かしきれず自滅。さらに、その市場にいた人たちも道ずれにしてしまいました。「何回同じ過ちをしてるんだ。」本当に情けなかったです。明日は今日の反省を活かして会社を立ち上げてみせます。

 

突き抜ける感覚

MGでは毎回「これでもか」というくらいの学びを得ます。しかし、それ以上に学びを得るのが1日目のMG後の飲み会です。飲み会では、「学んだなー」という感覚をいつももらうのですが、その5倍10倍いつも「このままじゃダメだ」と焦りを感じます。例えば、「投資家にどういうタイプがいて、どういう資金の調達方法があるか全くわかってないよね」とか、「君の稚拙なアイディアには、強烈な思いや熱意、現実性がないよね」「頭で考える前にまずやってみるというところができてないよね」とかみたいな...。毎回帰りに自転車を漕ぎながら「やばいやばいやばい」と頭の中で堂々巡りしています。でも今日に関しては、もっともっと本質的なことを言われました。そしてそのことは、父親を見ていてもそうでしたし、何より自分自身に当てはまりました。それは「突き抜ける感覚がない」ということです。

 

学校一・市一・県一・日本一・世界一

飲み会では「突き抜ける感覚」をおしぼりをドーナツ状に丸めて説明してくれました。一般の人たちがドーナツの穴の中にいるとします。そして、何かを極めた人、何かで一番になった人は、穴の外側にあるドーナツを貫通した人です。僕の周りでも「陸上で県一番になって都道府県対抗駅伝に出た人」「国体でサッカーの得点王になった人」「野球で甲子園に出た人」「バスケやバレーで県一になった人」などがいました。有名人でいうと「フィギュアスケート羽生結弦」「サッカーはメッシやロナウド」「公認会計士だったらカツマー」「ダンスだったらエビケン」「ユーチューブだったらヒカキン」などなど。対して僕はどうかというと確かにサッカーを頑張った。けれども「県一番どころか学校一、近所一にもなれなかった。」勉強も高校時代頑張った。けれでも「県一番に学校一番にもなれなかった。」つまり僕はドーナツを内側から貫通できなかった人、「少し内側から穴を開けては諦め、また少し内側から穴を開けては諦めた人」です。では「ドーナツを貫通した人」と「ドーナツを貫通できなかった人(僕)」の違いは何か。それは、「これだけ頑張れば、特定の分野においてトップになれるという感覚」があるかないかです。そして、その感覚のある人、つまり「ドーナツを貫通した人」は、「これだけ頑張れば一番になれるという感覚」があるから他の分野に挑戦したとしても、成功します。逆に「ドーナツを貫通できなかった人(僕)」はというと、何に挑戦しても「これだけ頑張れば一番になれるという感覚」がないから、大きく成功することがありません。ドーナツの穴の中をさまよい、武器を持っていない魅力のない人間になってしまいます。これが僕の置かれている状況です。

 

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突き抜けろ、一番になれ

僕が大きく成功するために通らなければならないことはただ一つ。それは「何かで一番になる」ということです。今日は剣道で日本一になった方ともMGでご一緒させてもらったのですが、その人は「突き抜けたこと」があるから、「自分の背骨(軸)」ができており、好きなことが見つけさえすれば、そこで成功します。そして、僕はそれ以前に何かしらで”一番”にならないといけないです。だから、その人と僕とは将来の期待値が何倍も違います。僕の方が圧倒的に期待値が今の所低い。だからなんでもいいから一番になってとにかく「突き抜ける感覚」を手に入れることがまず肝要。これができると、本当に好きなことが見つかった時「絶対に好きなことで一番になれます」。でもいざ自分に振り返ると「得意なことってなんだろう」「好きなことってなんだろう」「のめり込めることってなんだろう」と疑問と不安がとてつもなく襲ってきます。「会計なのか?」「統計学なのか?」はたまた「最近始めたバスケだったりして?」僕は一番を目指すものを早く見つけたいです。本当に時間がない。何かにのめり込んで、一番になるために苦しい思いをして、一番になるまで頑張って「突き抜ける感覚」を掴みたいです。のめり込むことを一刻も早く見つける、それで近所一、学校一、市一、県一、日本一と一番の範囲を広げることに力を注ぎます。

 

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23.6

 

今日は新しいバイトを始めようと面接に行きました。そこで履歴書に貼る写真を取りに行ったのですが、右頬にニキビが...。同じニキビの写真が何枚も印刷されるのは嫌だな、これは一大事。「どうしようと」嘆いていると、母からあるものを渡されました。それは”ファンデーション”。「なんで俺が”ファンデーション”!?」とはいえ、「やってみないとわかんないかー」ということで、ニキビに塗ってみると...「えっ、めちゃ消えるやん...」「化粧ってやば」メチャつぼりました。まあ、そんなことはさておき、一つ知ってもらいたい数字があります。

 

残念な23.6

23.6という数字を聞いて何を思い浮かべるでしょうか。ただ、キリの悪いようなビミョーな数字だなと思うかもしません。多分23.6という数字を聞いてもピントくるものが無いでしょう。この数字、あるマーケティング調査で出た「日本人が夢を諦める平均年齢」です。この数字を聞いて若いと思うかどうかわかりませんが、僕はあまりにも若いと感じます。「人生100年時代」と言われているにも関わらず、人生の4分の1の地点に達する前に諦めてしまう。「人生一度きりとわかっていてみんな夢を諦めているのかな?」と僕はつい疑問に思ってしまいます。

 

社会にとってはありがたい!?

この23.6という数字、皮肉にも社会のことを考えた時にはプラスに捉えることも可能です。なぜなら、「夢を諦める人がいてくれるからこそ、社会が回るから」です。極端な話を例にあげますが、みんなが”医者”を目指すとします。そして「医者になるまでは何年浪人してでも勉強し続けるんだー」とみんなが夢を追いかけ続けたら、「他の医療周辺の仕事やその他の雑用は誰がやるのって?」ことになります。もっと、例を拡張してみます。例えば、「とりあえず何かでっかいことをしたいんだー」と夢を探していたとします。そのために、時間を費やし、ろくに働きもしません。この場合、国してみればたまったものではありません。ただでさえ少子高齢化なんだから、「経済を回す一端を担えよ」「税金をたくさん納めろよ」となります。だから、「夢を探すこと」や「夢を追いかけること」は社会的にはある意味迷惑で、「夢を諦めること」は歓迎されます。

 

頑張っても報われない社会が待っている

このこと、昨日の東大の入学式で、ジェンダー研究の第一人者の上野千鶴子さんに述べられました。今とても話題になっていますよね。もちろん、この「頑張っても報われない社会が待っている」ということは印象深かったのですが、特にその中で、印象に残った部分があります。

 

世の中には、頑張っても報われない人、頑張ろうにも頑張れない人、頑張りすぎて心と体を壊した人たちがいます。頑張る前から、「しょせんお前なんか」「どうせ私なんて」と頑張る意欲を挫かれる人たちもいます。

あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

 

先述の通り、社会にとっては「夢を諦める」ことは歓迎される傾向があります。そして、上野千鶴子さんの一文。『頑張る前から、「しょせんお前なんか」「どうせ私なんて」と頑張る意欲を挫かれる人たちもいます。』から分かるように、「夢を諦させる」トラップが社会にはあふれています。だから多くの人は20代前半で夢を諦めてしまうのだと思います。でも夢が、はたから見れば、「馬鹿げたようなでっかい夢」、「人に大きく役立つような夢」の場合、僕は諦める必要はないと思うし、その夢を持っている人には諦めて欲しくないです。「夢を追える」という環境にあるだけで幸せだと言えます。だから、僕は同じ世代の人たちに20代で「夢を諦めるということ」はして欲しくないです。そして、自分の弱いところは人と協力して支え合い、夢を叶えて欲しいと思いますし、自分自身そうありたいなと思います。

 

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